「プロレタリア文学なんて共産主義のプロパガンダでしょ? 読む必要ないよ」と思っていたので、この小林多喜二の名作もスルーしていたんですが、ワーキングプア御用達だというので読んでみました。最初の見積もりが低すぎたせいか、そこそこ面白かったです。最悪の労働環境の中で労働者が立ち上がるというストーリーなんですが、奴隷が団結して一揆を起こすという、古典的なドラマがあって熱かったです。
ただやっぱりその思想には共感できない。このような不当な(少なくともそう感じられる)搾取というものは世界的に見れば現在でもさして珍しくはないし、主観的に「蟹工船レベルの地獄」だと感じる職場だって日本にも腐るほどあるでしょう。しかしその解決策として団結してストライキするってのは、もはや時代遅れです。時代遅れとわざわざここで明記するのが恥ずかしくなるぐらい、限りなく時代遅れです。
蟹工船の監督は「お国のために」という帝国主義でもって労働者を統制しようとします。厳しい労働も全て国民の義務なのだ、日本のためなのだ、という理屈です。労働者のほうもこの帝国主義に丸め込まれてしまいます。しかし帝国主義が過去の遺物となった現在ではこの大義名分は機能しません。じゃあ労働者のほうも帝国主義に縛り付けられることなく自由にストライキできるかといったらそうではありません。単純労働の職でそんなことしようものなら、たちどろころに発展途上国の安い労働力で代替されるだけです。*1
経済のグローバル化によって国境はますます曖昧になっていますから、そのうち全労働者が連帯することになるのかもしれません。そうすれば全労働者が狂った労働環境を拒否できるようになる日がくるのかもしれません。しかし、言語や文化の壁があるのでまず不可能でしょう。結局、「単純労働ではより安く働ける人が働く」という資本主義のルールはこれからもずっと機能し続けます。たしかに共産主義はある経済圏内の格差の是正には貢献しました。ですが、経済圏同士がお互いに重なるようになった現在では、たいして使い物になりません。もちろん経済システムとしての不味さは言わずもがなです。
まあ、こんなマクロな話をしてもしょうがないので、ミクロな話もしましょう。
厚生労働省が発表している「雇用動向調査結果」によると、前職より年収が増えたという転職者が、毎年30%前後もいる。20代から30代に絞れば、その数値は40%近くまで増加。古典文学を読み、知識を増やすことは大いに結構なことだが、共感をして境遇を憂えているだけでは何も始まらない。現状にふつふつと不満をため続けているよりは、行動を起こした方が得策なのではないだろうか。
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これは全くその通りで、プロレタリア文学というブランドを嗜んで教養人ぶってもそこには空虚な自己満足が残るだけです。ハッ! 空虚な自己満足? いやいや何言ってんの。超満足してますよ? と言える人ならそれはそれでしあわせです。ステータスとして文学を読んでいるのではなく、心底ハマって満足しているのなら私ごとき他人がとやかく言える領分ではありません。
現代日本において弱者が団結して権力に反抗するというドラマが読みたいなら村上龍「希望の国のエクソダス」がオススメ。共産主義ではなく、経済的効率性とITによって革命を起こすという小説です。