今こそアーレントを読み直す / 仲正昌樹

自由には2種類ある。libertyとfreedomだ。フランス革命はlibertyの思想からきたものだが、これは人間は自然の状態こそが本性であり、それが現在の悪しき制度によって歪められてしまっているので、体制を転覆し、人間を「解放(liberation)」しなくてはいけない、というものだ。たいして、アメリカ独立戦争はfreedomの思想からきたもので、これは社会制度は自分たちで作るしかない体制(constitution)であり、むしろその国家制度=憲法(constitution)の中でこそ、人間は自由に生きることができる、というものだ。面白いことに、アーレントはlibertyをボロクソけなす。
アーレントがlibertyを嫌う理由は、それが自らの属する政治的共同体の「共通善」を探るポリス的理想と相いれないからだ。古代ギリシャの時代、生産活動は家の中の奴隷に任せきりだったので、自由人たちはもっぱらポリス全体の運営を討論する生活をしていた。しかも経済的欠乏とは無縁だったので、彼らは自分があたかもポリス全体の代表者であるかのように、全体の利益を考えて討論した。そのように活動する余裕が自由人にはあった。
今では奴隷階級は消滅し、誰もが労働者になってしまったので、アーレント的な意味での自由人の「活動」に従事することは難しい。どうしても自分たちの経済的な利益を押し通すために、政治の中でふるまってしまう。しかし、それは他者の考え方をふまえない画一的な思考であり、そうした価値観の「複数性」を無視した動きは、いずれ全体主義へと向かってしまう。これがアーレントの考え方である。*1
とりあえずベーシック・インカムでも導入できれば、個人的な利害に囚われずに自由人として討論する余裕も出てくるかもしれない。ただ、これは国民全体が自らの稼ぐ力を放棄してBIに依存することになりかねないので、むしろ「隷従への道」ともなりうる。 財政がひっ迫したのでBI受給者には○○をすることを義務付けます、むしろ○○しない人にはBI受給権がありません……という感じに進んでいくと、自分で稼ぐスキルを失った国民はほいほいと国家の奴隷になっていき、ここにはれて全体主義政府爆誕となります。
やっぱり全体主義回避のためには、国民一人一人が経済的に独立していること=労働者として国家に依存せずに生きていけることが重要で、政治的「活動」とかぬるいことやっている暇はないんじゃないかなあ。そういう意味でやっぱりハイエク「隷従への道」が反全体主義の本としてはすばらしい。
みんながliberal arts(自由人が持つべき教養)を身につけ、生産性が今の20倍くらいになって単純作業のほとんどはロボットに代替され、週休4日制がデフォの未来になったら、そのときはアーレントを支持しよう。

*1:ちなみに、労働という言葉はアーレントによって特別な意味が込められている。「労働labor」=生理活動を維持するための仕事 「仕事work」=自然界にはない人工物を作る仕事 「活動action」=共同体の「共通善」を探る言論活動、という区分けがなされている。