誰が得するんだよこの本ランキング・2018

誰が得するかは知らないが、少なくとも私が得したことは間違いない、そんな年間ベスト本の紹介です。





実用書

ナシーム・ニコラス・タレブ 「反脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方」

MBAにおける意思決定の講義では、それぞれのシナリオごとの確率とその影響(金銭的な損得)を予想して期待値を計算するというのをやるんですが、タレブによれば、そうしたやり方は完全に間違っている、とのことです。すなわち、そもそもここでいう確率というのは、過去に起きたことが未来も起こるだろうという強い仮定の上に成り立っています。仮に過去のデータがそろっていたとしても、そもそもそのデータもリーマンショック前のサブプライムローン市場のように、非常に短い期間においてたまたまうまくいっている時だけを切り抜いている可能性もあります。一見、データに基づいて理性的に判断しているようでいて、実は、非常に「脆い」(ランダムな事象に弱い)ポジションを組んでいることになります。
タレブが主張するのは、確率は予測できないが、その影響(エクスポージャー)はある程度予想つけるので、ダウンサイドのペイオフが限定的で、アップサイドのペイオフが青天井のようなポジションを見つけてそれにベットしろ、ということです。これをタレブの言葉で表現すると、「反脆い」(ランダムな事象から得をする)ポジションということになります。コールオプションの買いのようなポジションを取れ、ということですね。この考え方は金融市場に生きる人だけでなく、幅広くビジネスモデルの構築にも応用できるかと思われます。もうMBA行かずにこの一冊だけ読めばいいのでは?


斎藤環「オープンダイアローグとは何か」

フィンランド発の精神医学の新しい思想・技法を紹介する本。ただ対話をすることで、投薬もしないのに効果があるというエビデンスもあって、あまりにも画期的すぎて逆に心配になるレベルですが、思想的には非常に面白かったです。当事者と家族と二人以上のカウンセラーが、当事者をたまたま困難な状況にあるだけのまともな人として扱い、言葉のキャッチボールを通して、その人を理解していく場をつくる、というのが、オープンダイアローグでやっていることです。
伝統的な「治す人」と「治される人」というような関係性においては、初っ端から本人の在り方を矯正の対象として否定的に解釈してしまうことにつながり、自己肯定感が下がってしまったり、信頼関係を構築できなかったりするわけですが、そうしたCUREはもうやめてCAREでいいのでは、という革命的な割り切りがあるように見受けられます。




國分功一郎「中動態の世界 意志と責任の考古学」

伊藤計劃虐殺器官」という最高に面白い小説があったんですが、この作中で、言語が人間の思考や行動を規定する、という話が出てきます。思考の基底にあるがゆえに、意識の及ばない階層において、積み重なっていく言語が、文法が、虐殺のトリガーになる、というネタですね。まあ、現実においてはそんなのないやろ、というわけですが、少なくとも言語が思考の可能性を規定していることは事実としてはあるし、適切な言語がないがゆえにひどくわかりづらい形でしか表現できない哲学的な概念があったりするのも事実ですので、こういう考え方を持っておくのは大事です。
さて、前置きが長くなりましたが、中動態というのは、古代ギリシアの時代にかつてあり、ラテン語の時代にはすでに失われていた、古い古い文法です。それは、「何かをする/される」という能動態/受動態で基本的にはできている現代の文法とはまったく異なる軸で、現実を描写します。すなわち、何らかの出来事が主語の外に向かっている場合は能動態になり、その出来事の過程に主語が座している場合は中動態ということになります。これは、行為の主体を特定することには関心がなく、出来事を出来事として描写し、その影響が及ぶ範囲を淡々と描写するような文法なのです。
ここから伺えるのは驚異の世界観です。これは、何かが起きても、それが誰かの意志によるものだとは考えずに、過去からの流れでそうなったものだと捉え、まるで自然現象の一部として人間を描写するような世界観です。たしかに、人間は理性と欲望の間で常になんらかの選択をしているわけですが、それは過去の事情のうえで仕方なくそうしたことをしているわけで、過去に囚われずにまったくゼロから未来をつくっているわけではありません。その意味で、過去の事情に依存しない、自由な意志による決定というのは、幻想みたいなものです。中動態を使っていたころの人間はそれがわかっていました。しかし、徐々に中動態は衰退し、出来事は「誰かの行為」として描写され、そこに行為者の意志が仮定されるようになりました。そして、意志のもとに行われた(他のやり方もあったのにあえてそれを選択して行為した)のだからという理由で、責任も生まれました。もしかすると、責任を負わせないといけないという社会的な要請によって、意志が仮定され、そのために能動態/受動態の使用頻度が高まり、自然と中動態が使われなくなったのかもしれません。
とはいえ、いかなるときも私たちが意志と責任の主体であらねばならないというのは、けっこうしんどいです。例えば、アルコール依存症においては、たしかに誰かに強制されてお酒を飲まされている(受動態)わけではありませんが、かといって意志のもとでお酒を飲んでいる(能動態)わけでもなく、とてもしんどい過去の事情があるがゆえに、仕方なく飲まずにはいられない/気づいたらお酒に飲まれていたわけです(中動態が現在失われているので、一言で表現することは不可能ですが……)。依存症の人に「じゃあ、お酒飲まないように気をつければいいじゃん」と正論を言うのは簡単ですが、それが正論たりえるのは能動態/受動態のフレームワークで物事を考える言語があるからであって、その言語自体は歴史上、普遍的なものではなかった、と理解しておきたいものです。


アレックス・モザド、ニコラス・L・ジョンソン「プラットフォーム革命」

UBERAirbnbのようなCtoCのマッチングサービスがいかに、伝統的なモノを仕入れて売るタイプのパイプライン型ビジネスモデルより優れているかを解説し、プラットフォーム型ビジネスモデルの作り方を説明する本。ネットワーク外部性があるので、ある一定以上の規模になると雪だるま式に規模が増加する(当たれば大きい)上に、在庫も不要で設備投資もそんなにかからないとダウンサイドも限定的と、ビジネスモデル的にはホントにいいところしかないんですよね。タレブ的な「反脆い」ポジションでもありますし、「反脆弱性」と併せて読みたい一冊です。


アントニオ・ガルシア・マルティネス「サルたちの狂宴」

いやー、これは読み物として極上の面白さでした。ゴールドマンサックスで債券クオンツウェブ広告ベンチャーのエンジニア→VCから資金調達してウェブ広告ベンチャーで起業→会社をツイッターに売却してイグジット→Facebookでプロダクトマネージャー、という怒涛のキャリアを歩んできた著者が明け透けにすべてを暴露してくれます。VCは起業家のプロダクトなんか見ずにピボット(方針転換)を前提にして起業家自身のポテンシャルだけを見ている、無料でサービスを提供しているGoogleFacebookのマネタイズ方法はこれだ、とかシリコンバレーの内情がよくわかって面白かったです。


ふろむだ「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」

誰もが一度は思う「なんであんな奴が評価されるんだ!?」の謎を解き、「誰にでも使えるズルい武器」として解説する異色作ということで、人生のなるべく早い段階で読んでおきたい本ですね。個人的には、MBA受験する人は必読だと思います。



新井紀子「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」

機械学習(世間でよくいわれるAI技術)は、文章の意味を理解することなく、統計的に「だいたいあってる」答え(パターン)を導き出しているだけのアルゴリズム。深層学習でその精度が高くなったので話題になっているにすぎない。しかし、そんな程度の機械学習よりも、現実の中高生の読解力が低いことが判明。彼らは、文章の意味を理解することなく、単語の羅列から一番それっぽい回答を選択している。
また、AIが仕事を奪うというのは比喩であり、正確には、AIを導入し経営を効率化させた海外企業との競争に、日本の非効率な経営する企業が負ける、というのが今後起こる。日本企業の経営者は負けじと、人件費を節約するので、どんどん労働環境がブラック化する。このほか、経営目標だけは高く掲げて、あとは無策で現場に丸投げするインパール作戦が横行する。疲弊した現場は粉飾についつい手を染めてしまう。労働のブラック化と粉飾の多発は、すでに始まりつつある。
……という話。正直この分野は素人なので、今後20年でAI失業が起こるというシナリオの蓋然性についても評価しかねるのですが、少なくとも現状起きているファクトの整理としては、首がもげるくらい頷けるところがあります。

フィクション

町田康「ギケイキ」

もう文学的価値とかよくわからないんですが、源義経の伝記をあまりにも自由すぎる文体で語るというこの小説、マジで大好きなんですよねえ。当時の文化は、今と比べてきわめて異常で、主人公もカジュアルに菊門を犯されたり犯したりしているし、殺られる前に殺るというのは当たり前だし、神仏の顕現は日常生活に取り込まれているし、もう異世界ファンタジーものなんですよね。それは萎びた古典的文体ではなく、その辺のあんちゃん的な語りで描写するので、余計に異常さが際立つのです。
そしてキャラも強烈なんですよね。「一騎当千どころではない、ひとり核爆発といっても過言ではない弁慶」とか出てきて、まあ文体だけでワロえるんですが、もうほんとにこのとおりの無茶苦茶な強さのメンヘラ的な存在で、さすがに1000年の時を経てキャラ立ちするだけあるわ弁慶。という感じ。まだシリーズの途中なのですが、単純にエンタメとして、次巻を大変楽しみにしております。

飛浩隆「零號琴」

にんげんの二次創作、ともいうべき、凄い音楽SF。上演されることで巨匠の古典は現代にも生き続けていく、みたいな陳腐な表現があるが、まさにそれをこんな媒体であんなにもグロテスクにやるとは……。生きる神話であり、残響する人格であり、仮面であり、演劇であり、そして音楽なのである。プリキュアネタは正直よくわからなかったけど、謎の感動があります。まあ、ごちゃまぜ過ぎワロタという感想も多少はありましたが、夢中で読みました。

「宝石の国」が面白い

基本的に、完結していないマンガを紹介しても、皆さん忙しいのであんまり読んでくれないし、そらそやろな、という気もするので憚られるわけなのですが、それでも、それでも言わせてほしい。「宝石の国」が素晴らしい、と。もともと、絵柄も、間の取り方も、すごい独特で、ほーん、という感じで読んでたのですが、なぜか、つい、読み返したくなるんですね。不思議と。

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青春とは一体なんだったのか――恩田陸「夜のピクニック」

何かを定義するのは、哲学者の仕事であるらしい。

世界とは何か。時間とは何か。認識とは何か。言葉とは何か。

定義されるのは、きまって、抽象的で、思弁の対象とすることが格好いいものだ。そして哲学者が相手しないような何かを、作家が相手にする。恩田陸は、この作品で、「青春」とは何かを定義しようとして、夜に全校生徒がひたすら80km散歩するという謎の行事の中、二人のわだかまりが融けていく物語を描き出した。それは「人生」が本格的に始まる前であり、それは男女の「恋愛」でもなく、シンプルで爽やかな後味の「友情」でもない。しかし、「青春」とは何なのだろうか。私たちはどう「青春」に向き合うのが正解なのだろうか。

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MBA受験生は必読――ふろむだ「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」

非常に面白かった。欧州のトップスクールに留学していると、キャンパスビジット対応で「MBAに来ると、どんないいことがあるのか?」と聞かれることが多い。「MBAでどれだけスキルが磨けるのか? そもそも、どれだけ優秀な人ならMBAに来れるのか?」といった問いもよく聞かれる。
就活ランキング上位の大手企業の方が、就活生のようなフレッシュさで目を輝かせながら質問してくるので、ついつい、こちらもドヤ顔でアピールしてしまう。
しかし、本音を言えば、MBAなんて「ぱっと見なんかスゴそうな奴が、ぱっと見なんかスゴそうなキャリアアップをするための、転職予備校」に過ぎないと思う。
基本的にみんなグローバル企業出身で、何か国語も喋れて、性格もナイスガイなエリートなので、最初会うと「おー!すげー!」と圧倒されるが、いざ一緒にグループワークしてみると「……ん? こんなガバガバな詰め方でいいのかこれ?」と首を傾げることも多かった。
StrategyもFinanceも、講義で得られる知識は、翻訳されている書籍を読めば十分だし、いくらクラスやグループワークの議論で鍛えられるとはいえ、ものすごく実力が伸びるわけではない。しかし、そんなことはお構いなしに、みんないいところからオファーもらっているのだった。

ハロー効果、錯覚資産

本書によれば、こうした事態はすべて脳のバイアスによって説明できる。企業の採用担当者は、ある人のポジションへの適性・実力を適正に判断しているつもりでも、学歴(MBA含む)・職歴・第一印象といった論理的な結びつきのない属性から判断してしまいがちなのだという。簡単に言うと、真の実力なんてものはよくわからないので、わかりやすい肩書に引っ張られて、「ぱっと見なんかスゴそうな奴は、たぶんこのポジションでも良いパフォーマンス発揮するだろ。ぱっと見なんかスゴそうだし」と無意識に結論づけてしまうのだ。これをハロー効果という。
こうした"錯覚"の"資産的価値"は半端ない。実力を伸ばす地道で律儀な努力よりも、はるかにROI(投資によって得られる効果)が高い。

ハロー効果を積み重ねていく運ゲー

とはいえ、MBAはその選抜の段階から「ぱっと見なんかスゴそうな奴チャンピオンシップ」だ。アプライする時点で、それなりにキラキラしたCV(履歴書)を用意しないといけないし、エッセイでも、わかりやすくて一貫性のある印象的な人生のストーリーを語らないといけない。初めの取っ掛かりは、どうすればいいのだろう。

まずは、いろんなことに、小さく賭ける。ハロー効果が得られそうな仕事や役割に手を上げ、いろいろチャレンジしてみる。チャレンジして成功するかどうかなんて、運次第だから、たくさんチャレンジするしかない。サイコロで当たりを出すのに一番効果的な方法は、たくさんの回数、サイコロを振ることだからだ。
(中略)
ミソは、これは運ゲーだけど、「当たると、当たる確率が上がる運ゲー」だというところだ。だから、いきなり大きく賭けるのは、損なのだ。どうせ大きく賭けるなら、当たりが出て、確変が入ったときに、大きく賭けたほうが、はるかに勝率が高くなる。


実力さえ磨けば自ずと成功すると信じている人は、技術さえ磨けば自ずと商品が売れると信じている日系メーカーに似ている。
評価されるかどうかも運ゲーなところがあるので、とにかく試行回数を増やすしかない、という局面もある。また、自分を評価する立場の人の意思決定プロセスは、実はどうしようもなくバイアスがかかっており、それをうまく利用するマーケティングの方が、ズルいようだけどROIが高かったりするのだ。

教育関係者は必読――新井紀子「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」

機械学習(世間でよくいわれるAI技術)は、文章の意味を理解することなく、統計的に「だいたいあってる」答え(パターン)を導き出しているだけのアルゴリズム。深層学習でその精度が高くなったので話題になっているにすぎない。
しかし、そんな程度の機械学習よりも、現実の中高生の読解力が低いことが判明。彼らは、文章の意味を理解することなく、単語の羅列から一番それっぽい回答を選択している。このままでは、AIを導入する企業との競争に既存企業が負けて、今後20年で大規模な失業が発生するというシナリオが予想される(要約)。

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MBA留学する前に読んでおきたい5冊

MBAは何かを学ぶ場というよりも、知識も経験もある社会人が、お題に対して自らの仮説を提示したり、クラスメイトの仮説をクリティカルに検証する場なので、丸腰で臨むと死ねます。なので、講義では当たり前すぎてスルーされるけど、やっぱりこれは知っておいた方がいいんじゃないか、という基本装備を紹介します。

津田久資「「超」MBA式ロジカル問題解決」

タイトルがちょっとアレなんですが、仮説思考、MECEがとてもよくまとまっています。課題を解決するアイディアがぱっと思いつけば最強なんですが、私たち凡人にはそれは無理なので、状況を場合分けして、とにかく手触り感のあるレベルまで細分化してから、考える、というプロセスを踏まないと何もいいアイディアが浮かばないんですよね。
例えば、「公園のハトが減っているが原因を洗い出せ」って言われても、パッと「環境ホルモンかなんか?」としか思わないのですが、もれなくだぶりなく、場合分けしていくとこんな感じになります。

  • まず、ハトの減少は、(1)流入減少か、(2)流出増加に場合分けできます。
  • (1)流入減少は、(i)ひなの数減少×(ii)ひなの育つ率の減少に場合分けできます。
  • (i)ひなの数減少については、(i)卵の数減少×(ii)卵の孵化率減少で説明できます。
  • (i)卵の数減少は、つがいの数が減った or 一つがい当たりの卵の数が減った、しか論理的にありえません。

ここまでいくと、最初よりも大分発想しやすくなるんじゃないかと思います。最後は、ロジカルシンキングだけではたどり着かない、ある種の「跳躍」が必要なのですが、その精度を高めるための下準備が、仮説による場合分け、というわけです。


安宅和人「イシューからはじめよ」

基本的な思考のフレームワーク本として、これもオススメです。MBAの講義はケーススタディなので、事前に膨大な情報のある(そして同時に散漫な)ケースを読み込む必要もあります。また教科書も読んで来いと言われるので、とにかく情報量が多い。
なので、結局「白黒はっきりさせないと致命的な仮説・主張はなにか」というイシューを見極める必要があります。
なお、イシューは、「Why」ではなく、「Where」「What」「How」のように具体的な問いになっています。
イシュー・ドリブンはケースだけじゃなくて、ビジネスプランを一から企画するプロジェクトでも有効です。たとえば、起業プロジェクトでは、3つのスタート地点があります。(1)顧客のニーズ、(2)テクノロジー(AI、IoT、ブロックチェーン……)、(3)人(こいつならこれができる)。このうち、(2)と(3)はイシューになりづらくて難易度が高いです。何をどのようにやれば売上が立つのか、という思考ではなく、とりあえず今ある道具でどこまでできるかという思考なので、いっぱい調べてパワポの枚数は増えたけど結局インプリケーション皆無なゴミ資料が出来上がります。つらい。
(1)については、イシューになりえます。すなわち、

  1. どこかに具体的に困っている人を見つけて(Where)
  2. その人がお金を払ってでも片づけたい用事は具体的に何かを定義し(What)
  3. その用事をどのように片づけてあげるかに答える(How)

これができれば、売上が立ちます。


クレイトン・M・クリステンセン「イノベーションのジレンマ

名著of名著。あまりにも名著すぎて、みんな知ってるよね?というノリで講義でもさらっとしか説明してくれません。つらい。優秀な人を高給で雇えて資本力もある大企業がなぜ、時代の変化についていけずに、ぽっと出のベンチャーに負けるのか、という失敗の経営学ですね。成功例だけ集めて再現性ゼロの法則を語る本より100倍役に立ちます。
ざっくり概要だけ言うと、大企業は優秀な人を雇っているがゆえに負ける、というのが結論です。すなわち、優秀な人を養うにはそれなりに大きい市場を相手にする必要があるため、大企業は、その構造的に、しょぼい市場は無視せざるを得ないわけです。しかし、大企業がしょぼい市場(ユーザー数も少なく、製品のクオリティも低く、商品単価も低い)と認識していても、ひとたび市場が存在すれば企業の設備投資により急速に技術は伸びるので、どんどんユーザー数も、クオリティも、単価も伸びていきます。
一方、大企業は、よりハイクオリティ・高単価の市場に「選択と集中」する、という手がありますので、まだまだ余裕です。しかし、その余裕によって意思決定が遅れ、最終的には衰退します。

  • コダックソニーのデジカメ? やっぱフィルムは紙だよ。あんなクオリティ低いの、おもちゃみたいなもんだよ」
  • ガラケースマホ? あんな低機能な商品にうちの高機能商品が負けるはずない」
  • 据え置きゲーム「ソシャゲ? あんなしょぼいグラフィックの商品、ゲームとは呼べない」

はい。無事死亡しましたね。
いつか、そのうちと言っているうちに人生は終わる。だから読むんだクリステンセンを。


ダニエル・カーネマン「ファスト&スロー」

これは直接役に立つというよりかは、教養枠ですね。行動経済学の選択科目では必ず紹介されますし、リーダーシップや起業論でも紹介されます。なぜかと言うと、これらの領域って十分な情報がない不確実性の高い状況下で意思決定しないといけないんですよね。そうすると、人間の認知の仕様上、バイアスのある直感で、えいやって決めてしまいます。少なくとも、どういう方向のバイアスがあるのか、ということを知っておくのは有用です。
たとえば、まったく知見のない領域で「はい、今から5分間周りの人とディスカッションしてくださいねー」と言われても、「人間の認知にはバイアスがあって、このケースでは、みんなAという方向に行きがち。そっちはレッドオーシャンだから、あえて反直観的なBを選ぶべき」と発言して、会話を成立させることが可能です。


瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」

これも教養枠ですね。コモディティになるな」というキャリア論でもあります。コモディティ化した個人とは「今やっていることをほかの誰かと交換しても、代わり映えしない労働力」であり、企業の側からすると徹底的に安く買いたたける存在でしかありません。MBAに来る人は、コモディティになりたくない、ハイスキルのプロフェッショナルになりたい、あわよくばスケーラビリティのあるクリエイティブ・クラスになりたい、という人たちばかりです。どういうマインドセットの人がクラスメイトになるのか、というのは知っておいて損はないですし、単純に人生論として面白いです。

自分の欲望を持たない者は、他者の欲望の対象を欲望するしかない――西加奈子「うつくしい人」

そのような者は、誰かがほしがるものしか、ほしがることができない。本作の主人公は、まさに、他者の欲望に欲望していたのであり、そのどこまでもいってもキリのない地獄に息苦しさを覚えていた。一方で、姉は、自分の欲望を持つ者<うつくしい人>であった。姉は、他者の欲望のゲームにおいては、底辺に位置するみじめな存在かもしれない。だが、自分の欲望を自覚し、他者の欲望を意に介さないという点において、自由であり、それを主人公は<うつくしい>と呼ぶのであった。この醜さが美しさへと転置される展開は見事であり、すがすがしい思いで読んだ。

だが、違和感を覚えたところもある。

たとえば、主人公にとって、<他者>とは何者なのだろうか。主人公が気にしている、<皆>とは、具体的に誰を指すのだろうか。

私は「皆が認める」、社会的に地位のあるいい男と付き合いたい。「皆が羨ましがる」立派な職につきたい、絶対に人に面倒がられる女にならない。皆の前で取り乱したくないし、空気の読めない女などと言われたくない。惨めな30代を送りたくないし、若い子に馬鹿にされたくない。*1

*1:140p

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