似たようなおじさんには無限に出会えるのに本当の家族には1ミリも出会えない話──グレッグ・イーガン「堅実性」がすごい

久しぶりにグレッグ・イーガンの新作が読めるということで買ってきました。いや、マジでこのためだけにSFマガジン買う価値がある傑作です。

ストーリーとしては、無限の平行世界に何の前触れもなく飛ばされて、周囲の人やモノが似ているんだけど微妙に置き換わる、というものです。全人類が。そう、全人類が平行世界を貫く濁流にシャッフルされて、元居た世界線の家族や友達と二度と出会うことができない、という災害の話なのです。しかも、神がマッチングアプリでスワイプしているのか、同じような生い立ち、容姿、スペックの人にどんどん置き換わって無限にエンカウントできます(本作の状況は無限おじさん編です)。

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想像力を鍛える20年代最強のビジネス書──冬木糸一「「これから何が起こるのか」を知るための教養 SF超入門」がすごい

2023年は生成AIの普及により、人類に残された仕事が何になるのか心配になるくらい激動の年でした。2024年も、戦争、気候変動、核融合、宇宙開発、BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)と様々なニュースが飛び交い、これからどうなるのかまったく予想がつきません。正直いって、この状況下で何を学んで何に賭けたらコモディティにならずにすむのかも見当もつきません。

そこで本書です。流行りのビジネス書なんか読んでもすぐに陳腐化してしまうほど変化の速い時代ですから、もっとぶっ飛んだ発想、大所高所の視点に触れることの方が重要です。ゆえに、テクノロジーの進歩により社会がどのように変容するかという思考実験の塊であるSFを読みまくるのが、もっとも限りなく正解に近い。イーロン・マスクもハマっているSFが一体何なのかとりあえず概要だけ知りたい方も、本気で想像力を鍛えにいきたい方も、幅広い方の知的探索の羅針盤となる、最良のブックガイドがここに爆誕しています(献本御礼)。

 

とくにこのSFがオススメ

  • 伊藤計劃「ハーモニー」:フーコー的な、健康延命強制ディストピアで、パブリック・リソースとして回収されたくない、プライベートな<わたし>の反政府活動の話。何がユートピアなのかディストピアなのかよくわからなくなる、考えさせられる名作。遺作なのが惜しい。
  • 小川一水「救世群」:新型コロナウイルスを百倍厄介にしたような新種のウイルスによる世界規模の混乱と断絶。そんな壮絶な舞台でお互いに憎しみあうマイノリティとマジョリティ同士が、いかにして対立を乗り越えるのか、というテーマも熱い。
  • 劉慈欣「三体」:言わずと知れた全世界で2900万部売れた中国SF。もはや教養として読んどけ枠であるが、第二部がデスノートみたいな知的バトルものになっていてエンタメとしてふつうに面白い。
  • グレッグ・イーガン「順列都市」:人格の電子コピーが当たり前になり、何が自分を自分たらしめているかというアイデンティティですら、設定ひとつで変更できてしまう、自由すぎるサイバー空間が舞台。そこから、意識、情報処理、死、人工生命を巡る哲学的なテーマの話になる。手塚治虫「火の鳥」並みの宇宙規模のスケールのデカさが魅力。

 

収録されていないが、実はこのSFもオススメ

テッド・チャン「顔の美醜について―ドキュメンタリー」

「SF超入門」は面白いんですけど、一つだけ不満があるのは、入門とうたっている割には紹介されている本の多くが長編で、さくっと読めない、というところです。忙しい人向けにはやはり短編集だとありがたい。ということで、「あなたの人生の物語」収録の短編を紹介します。

本作は、美醜を感じることができなくなるテクノロジーによって、ルッキズムに鉄槌を下すという思考実験です。この世からブスも美人もキモメンもイケメンもなくなり、人間の価値が見た目以外のところで判断されるようになる、と聞くとポリコレ的に最高、という気もします。が、美しさを感じることができないのは人間として出来損ないなのではないか、といった保守的な主張も出てきてます。倫理、美学、モテ、非モテと炎上しそうなテーマで賛否両論バランスよく出てきて、ドラマとしても面白い。

グレッグ・イーガン「しあわせの理由」

表題作の短編は、脳内の物理的状態を変更できるナノマシンによって、しあわせが、いとも容易く得られる世界を描いています。この技術の衝撃はすさまじく、既存の価値観はことごとく破壊され、生きる理由でさえも、どこにも見出せなくなりそうな絶望に襲われます。いや、その絶望ですらも、無意味にしてしまいます。パラメータをちょっといじっただけで完全に消えてしまう程度の絶望なら、はたして絶望と言えるのでしょうか。まあ、同じことは希望にさえあてはまってしまうのですが。

結局はすべて脳内のニューロン間結合と神経伝達物質の濃度にすぎないのだとしたら、希望は、絶望は、そのときどこに在るのか。主人公が下す決断は、ネタバレになるのでここでは控えますが、僕の人生を塗り替えるほどの衝撃を持っていました。本作は、僕にとってオールタイムベストの短編です。とても面白い。

ジェイムズ・P・ホーガン「星を継ぐもの」

SFミステリの古典。この小説のすごさは、サイエンスによって予測される世界ではなく、サイエンスそのものを描いていることです。未来予測はいずれ陳腐化しますが、この本は決して古びない。状況を観察し、事実を発見し、仮説を立て、その仮説を検証し、間違っていたらやり直し、正しければその仮説を元に改めて状況を観察する。この繰り返しによって謎を少しずつ地道に解き明かしていく。その過程が延々と続くわけです。ありえないような事件が起き、その状況を説明しうる、もっとも合理的な結論にたどり着くまでの謎解きは、自分がこの世紀の発見に実際に立ち会っているかのような臨場感があります。ミステリ好きにもオススメ。

円城塔「Self-Reference ENGINE」

東大の金子邦彦研究室で複雑系と言語を研究していた超頭いい著者による短編集。その内容のあまりの突飛さ、常識の範疇を軽く超えるスケールのデカさを前にしては、思わず笑うしかない。「高度に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」というのはかのクラークの言ですが、高度に発達したSFはギャグと見分けがつかない。

このままAIが発展しすぎて、人類の知性を超えてしまって、世界がまったくわけのわからない状態になったらどうしよう、という不安がある人にこそ読んでほしい。そして味わってほしい。世の中には、想像を絶する「わけのわからなさ」が存在するということを。そして、わけがわからなすぎて、ハハ、おもろ、となってしまう瞬間があることを──。

完全に奇書――舞城王太郎「JORGE JOESTAR」

ジョジョ2部の主人公ジョセフ・ジョースターの父であるものの、原作においてはほとんど言及されないジョージ・ジョースターの物語。舞城王太郎がノベライズしているわけなんですが、波紋でもスタンドでもなく、名探偵ジョージ・ジョースターとして活躍するというカオスな作品です。舞城……名探偵……うっ、頭が……。となってしまう人もいるんじゃないでしょうか。

わかる。

もう舞城「ディスコ探偵水曜日」みたいな感じで、名探偵連続殺人事件とか、時空の越境とか、平気で出てくるんですよねえ。いや、まあ、ジョジョも6部で宇宙一巡とか、7部で並行世界とかやっちゃってるんで、その本家取りという意味ではいいのかもしれませんが、もうなんか処理しきれない感じです。

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誰が得するんだよこの本ランキング・2018

誰が得するかは知らないが、少なくとも私が得したことは間違いない、そんな年間ベスト本の紹介です。





実用書

ナシーム・ニコラス・タレブ 「反脆弱性 不確実な世界を生き延びる唯一の考え方」

MBAにおける意思決定の講義では、それぞれのシナリオごとの確率とその影響(金銭的な損得)を予想して期待値を計算するというのをやるんですが、タレブによれば、そうしたやり方は完全に間違っている、とのことです。すなわち、そもそもここでいう確率というのは、過去に起きたことが未来も起こるだろうという強い仮定の上に成り立っています。仮に過去のデータがそろっていたとしても、そもそもそのデータもリーマンショック前のサブプライムローン市場のように、非常に短い期間においてたまたまうまくいっている時だけを切り抜いている可能性もあります。一見、データに基づいて理性的に判断しているようでいて、実は、非常に「脆い」(ランダムな事象に弱い)ポジションを組んでいることになります。
タレブが主張するのは、確率は予測できないが、その影響(エクスポージャー)はある程度予想つけるので、ダウンサイドのペイオフが限定的で、アップサイドのペイオフが青天井のようなポジションを見つけてそれにベットしろ、ということです。これをタレブの言葉で表現すると、「反脆い」(ランダムな事象から得をする)ポジションということになります。コールオプションの買いのようなポジションを取れ、ということですね。この考え方は金融市場に生きる人だけでなく、幅広くビジネスモデルの構築にも応用できるかと思われます。もうMBA行かずにこの一冊だけ読めばいいのでは?


斎藤環「オープンダイアローグとは何か」

フィンランド発の精神医学の新しい思想・技法を紹介する本。ただ対話をすることで、投薬もしないのに効果があるというエビデンスもあって、あまりにも画期的すぎて逆に心配になるレベルですが、思想的には非常に面白かったです。当事者と家族と二人以上のカウンセラーが、当事者をたまたま困難な状況にあるだけのまともな人として扱い、言葉のキャッチボールを通して、その人を理解していく場をつくる、というのが、オープンダイアローグでやっていることです。
伝統的な「治す人」と「治される人」というような関係性においては、初っ端から本人の在り方を矯正の対象として否定的に解釈してしまうことにつながり、自己肯定感が下がってしまったり、信頼関係を構築できなかったりするわけですが、そうしたCUREはもうやめてCAREでいいのでは、という革命的な割り切りがあるように見受けられます。




國分功一郎「中動態の世界 意志と責任の考古学」

伊藤計劃虐殺器官」という最高に面白い小説があったんですが、この作中で、言語が人間の思考や行動を規定する、という話が出てきます。思考の基底にあるがゆえに、意識の及ばない階層において、積み重なっていく言語が、文法が、虐殺のトリガーになる、というネタですね。まあ、現実においてはそんなのないやろ、というわけですが、少なくとも言語が思考の可能性を規定していることは事実としてはあるし、適切な言語がないがゆえにひどくわかりづらい形でしか表現できない哲学的な概念があったりするのも事実ですので、こういう考え方を持っておくのは大事です。
さて、前置きが長くなりましたが、中動態というのは、古代ギリシアの時代にかつてあり、ラテン語の時代にはすでに失われていた、古い古い文法です。それは、「何かをする/される」という能動態/受動態で基本的にはできている現代の文法とはまったく異なる軸で、現実を描写します。すなわち、何らかの出来事が主語の外に向かっている場合は能動態になり、その出来事の過程に主語が座している場合は中動態ということになります。これは、行為の主体を特定することには関心がなく、出来事を出来事として描写し、その影響が及ぶ範囲を淡々と描写するような文法なのです。
ここから伺えるのは驚異の世界観です。これは、何かが起きても、それが誰かの意志によるものだとは考えずに、過去からの流れでそうなったものだと捉え、まるで自然現象の一部として人間を描写するような世界観です。たしかに、人間は理性と欲望の間で常になんらかの選択をしているわけですが、それは過去の事情のうえで仕方なくそうしたことをしているわけで、過去に囚われずにまったくゼロから未来をつくっているわけではありません。その意味で、過去の事情に依存しない、自由な意志による決定というのは、幻想みたいなものです。中動態を使っていたころの人間はそれがわかっていました。しかし、徐々に中動態は衰退し、出来事は「誰かの行為」として描写され、そこに行為者の意志が仮定されるようになりました。そして、意志のもとに行われた(他のやり方もあったのにあえてそれを選択して行為した)のだからという理由で、責任も生まれました。もしかすると、責任を負わせないといけないという社会的な要請によって、意志が仮定され、そのために能動態/受動態の使用頻度が高まり、自然と中動態が使われなくなったのかもしれません。
とはいえ、いかなるときも私たちが意志と責任の主体であらねばならないというのは、けっこうしんどいです。例えば、アルコール依存症においては、たしかに誰かに強制されてお酒を飲まされている(受動態)わけではありませんが、かといって意志のもとでお酒を飲んでいる(能動態)わけでもなく、とてもしんどい過去の事情があるがゆえに、仕方なく飲まずにはいられない/気づいたらお酒に飲まれていたわけです(中動態が現在失われているので、一言で表現することは不可能ですが……)。依存症の人に「じゃあ、お酒飲まないように気をつければいいじゃん」と正論を言うのは簡単ですが、それが正論たりえるのは能動態/受動態のフレームワークで物事を考える言語があるからであって、その言語自体は歴史上、普遍的なものではなかった、と理解しておきたいものです。


アレックス・モザド、ニコラス・L・ジョンソン「プラットフォーム革命」

UBERAirbnbのようなCtoCのマッチングサービスがいかに、伝統的なモノを仕入れて売るタイプのパイプライン型ビジネスモデルより優れているかを解説し、プラットフォーム型ビジネスモデルの作り方を説明する本。ネットワーク外部性があるので、ある一定以上の規模になると雪だるま式に規模が増加する(当たれば大きい)上に、在庫も不要で設備投資もそんなにかからないとダウンサイドも限定的と、ビジネスモデル的にはホントにいいところしかないんですよね。タレブ的な「反脆い」ポジションでもありますし、「反脆弱性」と併せて読みたい一冊です。


アントニオ・ガルシア・マルティネス「サルたちの狂宴」

いやー、これは読み物として極上の面白さでした。ゴールドマンサックスで債券クオンツウェブ広告ベンチャーのエンジニア→VCから資金調達してウェブ広告ベンチャーで起業→会社をツイッターに売却してイグジット→Facebookでプロダクトマネージャー、という怒涛のキャリアを歩んできた著者が明け透けにすべてを暴露してくれます。VCは起業家のプロダクトなんか見ずにピボット(方針転換)を前提にして起業家自身のポテンシャルだけを見ている、無料でサービスを提供しているGoogleFacebookのマネタイズ方法はこれだ、とかシリコンバレーの内情がよくわかって面白かったです。


ふろむだ「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」

誰もが一度は思う「なんであんな奴が評価されるんだ!?」の謎を解き、「誰にでも使えるズルい武器」として解説する異色作ということで、人生のなるべく早い段階で読んでおきたい本ですね。個人的には、MBA受験する人は必読だと思います。



新井紀子「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」

機械学習(世間でよくいわれるAI技術)は、文章の意味を理解することなく、統計的に「だいたいあってる」答え(パターン)を導き出しているだけのアルゴリズム。深層学習でその精度が高くなったので話題になっているにすぎない。しかし、そんな程度の機械学習よりも、現実の中高生の読解力が低いことが判明。彼らは、文章の意味を理解することなく、単語の羅列から一番それっぽい回答を選択している。
また、AIが仕事を奪うというのは比喩であり、正確には、AIを導入し経営を効率化させた海外企業との競争に、日本の非効率な経営する企業が負ける、というのが今後起こる。日本企業の経営者は負けじと、人件費を節約するので、どんどん労働環境がブラック化する。このほか、経営目標だけは高く掲げて、あとは無策で現場に丸投げするインパール作戦が横行する。疲弊した現場は粉飾についつい手を染めてしまう。労働のブラック化と粉飾の多発は、すでに始まりつつある。
……という話。正直この分野は素人なので、今後20年でAI失業が起こるというシナリオの蓋然性についても評価しかねるのですが、少なくとも現状起きているファクトの整理としては、首がもげるくらい頷けるところがあります。

フィクション

町田康「ギケイキ」

もう文学的価値とかよくわからないんですが、源義経の伝記をあまりにも自由すぎる文体で語るというこの小説、マジで大好きなんですよねえ。当時の文化は、今と比べてきわめて異常で、主人公もカジュアルに菊門を犯されたり犯したりしているし、殺られる前に殺るというのは当たり前だし、神仏の顕現は日常生活に取り込まれているし、もう異世界ファンタジーものなんですよね。それは萎びた古典的文体ではなく、その辺のあんちゃん的な語りで描写するので、余計に異常さが際立つのです。
そしてキャラも強烈なんですよね。「一騎当千どころではない、ひとり核爆発といっても過言ではない弁慶」とか出てきて、まあ文体だけでワロえるんですが、もうほんとにこのとおりの無茶苦茶な強さのメンヘラ的な存在で、さすがに1000年の時を経てキャラ立ちするだけあるわ弁慶。という感じ。まだシリーズの途中なのですが、単純にエンタメとして、次巻を大変楽しみにしております。

飛浩隆「零號琴」

にんげんの二次創作、ともいうべき、凄い音楽SF。上演されることで巨匠の古典は現代にも生き続けていく、みたいな陳腐な表現があるが、まさにそれをこんな媒体であんなにもグロテスクにやるとは……。生きる神話であり、残響する人格であり、仮面であり、演劇であり、そして音楽なのである。プリキュアネタは正直よくわからなかったけど、謎の感動があります。まあ、ごちゃまぜ過ぎワロタという感想も多少はありましたが、夢中で読みました。

「宝石の国」が面白い

基本的に、完結していないマンガを紹介しても、皆さん忙しいのであんまり読んでくれないし、そらそやろな、という気もするので憚られるわけなのですが、それでも、それでも言わせてほしい。「宝石の国」が素晴らしい、と。もともと、絵柄も、間の取り方も、すごい独特で、ほーん、という感じで読んでたのですが、なぜか、つい、読み返したくなるんですね。不思議と。

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青春とは一体なんだったのか――恩田陸「夜のピクニック」

何かを定義するのは、哲学者の仕事であるらしい。

世界とは何か。時間とは何か。認識とは何か。言葉とは何か。

定義されるのは、きまって、抽象的で、思弁の対象とすることが格好いいものだ。そして哲学者が相手しないような何かを、作家が相手にする。恩田陸は、この作品で、「青春」とは何かを定義しようとして、夜に全校生徒がひたすら80km散歩するという謎の行事の中、二人のわだかまりが融けていく物語を描き出した。それは「人生」が本格的に始まる前であり、それは男女の「恋愛」でもなく、シンプルで爽やかな後味の「友情」でもない。しかし、「青春」とは何なのだろうか。私たちはどう「青春」に向き合うのが正解なのだろうか。

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MBA受験生は必読――ふろむだ「人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている」

非常に面白かった。欧州のトップスクールに留学していると、キャンパスビジット対応で「MBAに来ると、どんないいことがあるのか?」と聞かれることが多い。「MBAでどれだけスキルが磨けるのか? そもそも、どれだけ優秀な人ならMBAに来れるのか?」といった問いもよく聞かれる。
就活ランキング上位の大手企業の方が、就活生のようなフレッシュさで目を輝かせながら質問してくるので、ついつい、こちらもドヤ顔でアピールしてしまう。
しかし、本音を言えば、MBAなんて「ぱっと見なんかスゴそうな奴が、ぱっと見なんかスゴそうなキャリアアップをするための、転職予備校」に過ぎないと思う。
基本的にみんなグローバル企業出身で、何か国語も喋れて、性格もナイスガイなエリートなので、最初会うと「おー!すげー!」と圧倒されるが、いざ一緒にグループワークしてみると「……ん? こんなガバガバな詰め方でいいのかこれ?」と首を傾げることも多かった。
StrategyもFinanceも、講義で得られる知識は、翻訳されている書籍を読めば十分だし、いくらクラスやグループワークの議論で鍛えられるとはいえ、ものすごく実力が伸びるわけではない。しかし、そんなことはお構いなしに、みんないいところからオファーもらっているのだった。

ハロー効果、錯覚資産

本書によれば、こうした事態はすべて脳のバイアスによって説明できる。企業の採用担当者は、ある人のポジションへの適性・実力を適正に判断しているつもりでも、学歴(MBA含む)・職歴・第一印象といった論理的な結びつきのない属性から判断してしまいがちなのだという。簡単に言うと、真の実力なんてものはよくわからないので、わかりやすい肩書に引っ張られて、「ぱっと見なんかスゴそうな奴は、たぶんこのポジションでも良いパフォーマンス発揮するだろ。ぱっと見なんかスゴそうだし」と無意識に結論づけてしまうのだ。これをハロー効果という。
こうした"錯覚"の"資産的価値"は半端ない。実力を伸ばす地道で律儀な努力よりも、はるかにROI(投資によって得られる効果)が高い。

ハロー効果を積み重ねていく運ゲー

とはいえ、MBAはその選抜の段階から「ぱっと見なんかスゴそうな奴チャンピオンシップ」だ。アプライする時点で、それなりにキラキラしたCV(履歴書)を用意しないといけないし、エッセイでも、わかりやすくて一貫性のある印象的な人生のストーリーを語らないといけない。初めの取っ掛かりは、どうすればいいのだろう。

まずは、いろんなことに、小さく賭ける。ハロー効果が得られそうな仕事や役割に手を上げ、いろいろチャレンジしてみる。チャレンジして成功するかどうかなんて、運次第だから、たくさんチャレンジするしかない。サイコロで当たりを出すのに一番効果的な方法は、たくさんの回数、サイコロを振ることだからだ。
(中略)
ミソは、これは運ゲーだけど、「当たると、当たる確率が上がる運ゲー」だというところだ。だから、いきなり大きく賭けるのは、損なのだ。どうせ大きく賭けるなら、当たりが出て、確変が入ったときに、大きく賭けたほうが、はるかに勝率が高くなる。


実力さえ磨けば自ずと成功すると信じている人は、技術さえ磨けば自ずと商品が売れると信じている日系メーカーに似ている。
評価されるかどうかも運ゲーなところがあるので、とにかく試行回数を増やすしかない、という局面もある。また、自分を評価する立場の人の意思決定プロセスは、実はどうしようもなくバイアスがかかっており、それをうまく利用するマーケティングの方が、ズルいようだけどROIが高かったりするのだ。