珠玉の短編集という言葉がこれほど似合う本はほかに無いでしょう。
テッド・チャンを語らずして現代SFは語れない――――
グレッグ・イーガンと同じくらいに高評価されている作家です。私個人としましても、その評価に異存はありません。むしろ小説の出来自体はアイディアに突っ走りすぎたイーガンよりも上でしょう。あるいはちゃんと話をまとめた
円城塔というところ。かなり読みやすいです。奇想天外なアイディアの数々でSFファンを楽しませてくれる作品もあれば、ファンタ
ジーな世界観で宗教を皮肉った作品もあり、まさに粒ぞろい。普段SFを読まない人や、SFを読んでみたいけど何を読めばいいか分からないという人は、これがオススメです。極上の
センス・オブ・ワンダーがあり、かつ万人受けもしそうな稀有な作家ですね。ただ本業が別にある日曜作家なので、寡作すぎるのがファンとしてつらいところ。
以下、かるくネタバレありで解説します。作品の面白さとはほとんど関係ないので未読の方も読んで大丈夫かと思います。
バビロンの塔
「バベルの塔って実際にあったらどんなだよ?」というアイディアを膨らました作品。ファンタジーな世界観なんですが、よくあるご都合主義のためにファンタジーという形式を取っているのではなく、独自の理(ことわり)をもった確固たる世界として描いているのが好印象。主人公も、SFの王道みたいな探究心のあるやつで、世界の謎に迫る姿がよかったです。
理解
ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」っぽい作品。白痴が天才になってまた白痴に戻るのではなく、普通の人が天才になってさらにその先へと突っ走ってしまうストーリー。知性の地平線の向こう側を覗いた感じです。イーガンっぽい感動がありました。
ゼロで割る
数学が間違っていたら、それを基盤とする世界はどうなってしまうのか? というストーリー。あまり感情移入が出来なかったので、考えすぎだよ!と突っ込みたかったです。
ファーストコンタクトものですが、話の主題は「世界を異なる見方でみる」ということでしょう。ガジェットとし言語学を使っているのが新奇で興味深い。めずらしい二人称小説でもあり、クライマックスへと収束していくストーリー展開も素敵でした。ある意味タイムトラベルものとも言えるかもしれません。
七十二文字
「バビロンの塔」と同じくファンタジーな世界観の中で、その世界を動かす真理を探究する人たちの物語。言霊という概念のように、言葉が物理的な力を持っている世界です。言葉をこめて動かすゴーレムと主人公の卓越した発想。全ての設定に無駄がなく、ラストでそれら全部が複雑に絡み合うのは圧巻の一言。一番好きです。
地獄とは神の不在なり
チャン自体は宗教に不満を持っているそうです。その「ここが変だよキリスト教!」という批判を込めた短編です。天使が現れ人々に救済と災厄をもたらす世界。ヨブ記の世界観らしいです。神に振りまわされる民衆の悲哀を描いているのですが、ドタバタギャグとしても楽しめます。映画「コンスタンティン」みたいな感じです。キリスト教批判としては、神という道徳システムの不備を説いたニーチェが有名ですが、なるほどこういうのもあるのか、と感心しました。
顔の美醜について―ドキュメンタリー
美醜を感じることができなくなるテクノロジーをめぐる傑作。社会がどのように対応するのか、どのような意義があるのかなど、かなり丁寧に書いており、説得力があります。この世からブスも美人もキモメンもイケメンもなくなり、人間の価値が見た目以外のところで判断されるようになる。脊髄反射的に、ブス歓喜、美人涙目とかいう低次元な意見が飛び交いそうですが、話はそんなんじゃ終わりません。美しさを感じることができないのは人間として出来損ないなのではないか、といった話まであり、実に奥深いです。はたしてユートピアなのかディストピアなのか、考えさせられます。一番オススメですね。