誰が得するんだよこの本ランキング・2008

2008年の年間ベストはまだ作ってなかったので、今さらながら発表します。この年はほとんど小説ばかり読んでいたので、実用書1冊とフィクション19冊を紹介します。ここで挙げられている小説は正直面白すぎて、豊かな人生の定義は面白い本に出会うことだと断言したくなるレベルです。





実用書 第1位 ミチオ・カク「パラレルワールド 11次元の宇宙から超空間へ」

超ひも理論とその発展理論であるM理論量子力学宇宙論、平行世界、タイムマシンなどについて本職の科学者であるミチオ・カクが解説した科学書です。最新の宇宙論では、平行宇宙は存在し、この宇宙から平行宇宙への次元を超えた脱出も可能であるとしています。しかし、それには途方もないエネルギーが必要であることも明らかになりました。そこで著者はこう提言します。

「地球なんてほっとくと50億年かそこらで太陽にのみこまれて蒸発しちゃうし、宇宙もそのうち熱力学的な死を向かえる。この定められた死を前にして、人類はこんな狭い惑星の上で小競り合いをしていていいのか? たかだか100年かそこらの覇権のために文明を食いつぶしてしまっていいのか? 
人類の目的なんて、人それぞれ考えがあるだろうが、そのことについて考えられるのもまず生き延びてこそだ。この死にゆく宇宙から脱出できるだけのテクノロジーを確立することがまず先だろう。ナイフが胸に刺さっている時に人生の意味について考えても仕方がない。まずはナイフを抜いて治療すべきだ。私たち人類にも熱力学的死という名のナイフが今まさに突き刺さっているのだ。人生の意味について考えるのは、このナイフを抜いてからでも遅くはない。ましてや、そのナイフを無視してお互いに殺しあっている場合ではない」。
スケール大きすぎワロタ……。 



フィクション 第19位 舞城王太郎「九十九十九」

とりあえず読んでください。話はそれからです。
前知識なしで読んだ方が数倍面白いです。清涼院流水のJDCシリーズをオマージュした小説ですが、元ネタを知らなくても大丈夫です。普通こういう二次創作はつまらないんですが、二次創作であることすら利用した、驚異のエンタメとなっております。というか元ネタより文章上手いってどういうことだ。


フィクション 第18位 牧野修「楽園の知恵」

面白いんだけど決して人にオススメできないような小説です。人に気軽にオススメできるような面白さをせせら笑うことで成立する面白さ。ブラックユーモアという表現が一番近いんですが、笑いだけではなく、感動があります。その感動は胸のすくような清々しさとは無縁の、深海魚のグロテスクな姿を見たときのような、なんじゃこりゃあ、という感動なのです。悪夢のようなエグさ、そして現実離れした神秘が放つ美しさ、それでも拭えない気持ち悪さ、それが全て綯い交ぜとなった戦慄なのです。小林泰三が近いかもしれませんが、SF色が薄く、より幻想的です。狂った世界に一般人が迷い込むというより主人公も含めて世界全部が狂ってます。


フィクション 第17位 桜坂洋「All You Need Is Kill」

ふつう小説のストーリーは主人公が「死んだら終わり」なので、主人公が死なないように才能や運がはじめから備わっています。しかしこれはご都合主義ってものです。百戦錬磨の兵士だけじゃなく、戦場ですぐ命を落とす凡人だっているのです。この凡人が主人公だっていいじゃないですか。




フィクション 第16位 テッド・チャン「あなたの人生の物語」

ちゃんと話をまとめた円城塔というところ。かなり読みやすいです。奇想天外なアイディアの数々でSFファンを楽しませてくれる作品もあれば、ファンタジーな世界観で宗教を皮肉った作品もあり、まさに粒ぞろい。普段SFを読まない人や、SFを読んでみたいけど何を読めばいいか分からないという人は、これがオススメです。




フィクション 第15位 佐藤賢一「ジャガーになった男」

日本人がスペインや新大陸を舞台に活躍するという逆「ラストサムライ」な内容です。かといって国を救う英雄譚というわけではなく、武士として生きたい一人の戦バカの泥臭くて奔放な話です。ドン・キホーテの日本人版と言えるでしょう。正直びっくりするぐらい面白かったです。



フィクション 第14位 梅原克文「ソリトンの悪魔」

沈黙の艦隊」から政治性と思想性を抜いて、特撮とSF成分を投入したような感じです。ソリトンの悪魔の正体も非常に刺激的。






フィクション 第13位 バリントン・J・ベイリー「カエアンの聖衣」

衣装SF。例えば家でしか着ることのない薄汚れたジャージと、外でしか着ることのないおしゃれなジャケット、この両者を着たときのテンションって明らかに違いますよね? 例えばぼさぼさに伸ばし気味だった髪を美容院でカットしてもらった時には明らかに自分が変わったような感じがしますよね? 衣装というかファッションには、人の中身に多大な影響を与えています。たかがファッション。されどファッション。この小説では極限にまで達した衣装の可能性が描かれています。


フィクション 第12位 森絵都「カラフル」

苦境の真っ只中にある人が「死ぬほどつらい」とこぼすことがよくありますが、その人に向かって「じゃあ死ねよ」って言ってみたくなるときってありませんか? 「こうしなくちゃいけない」「こうすべきだ」、そういう強い自意識のもとで、自分を取り巻く苦境を作っている連中はいっぺん死んでみたらいいんじゃないですかね! ……という話。




フィクション 第11位 ヴァーナー・ヴィンジ「遠き神々の炎」

犬型の群体精神を生き生きと描いています。人間の脳は神経ネットワークの結合ですから、脳同士のネットワーク結合でも知性が発現してもいいのでは? というアイディアが秀逸ですね。固体同士が4〜6匹集まって集合意識をもつのですが、そのコミュニケーション方法が音なので、何かを考えると <思考音>が生まれます。この思考音のせいで群れ同士が近づきすぎると、音が混ざって意識が混濁してしまうのです。
また固体のそれぞれが異なる性格を持ち、その個体の集合がひとつの人格をつくるという設定なので、固体が欠けたり増えたりすると性格が変わります。つまり精神の品種改良が可能なのです。自分に都合のいい性格の固体を残し、あとは間引きすれば物理的に精神を変えられます。競馬でいえば、馬主 兼 牧場主 兼 種牡馬 兼 繁殖牝馬みたいなもんです。

フィクション 第10位 小林泰三「ΑΩ」

小林泰三の集大成ともいえるハードSF。ウルトラマンゴジラなどの特撮モノはちびっ子に大人気の夢のあるファンタジーですが、実際にあの世界をリアルに再現したら地獄だろっていう話です。怪獣が大暴れしているその瓦礫の下には多くの人命が虫けらのように踏み潰され、血と肉とその他臓物が飛び散っているわけですが、そんなものはテレビの画面には映されません。しかしリアルを追求するならそういうグロ描写も避けて通れないわけで、空前のスプラッタホラーになっています。


フィクション 第9位 筒井康隆「残像に口紅を」

筒井康隆の最高の実験小説。世界から1文字ずつ文字が消えてゆき、その度にその文字を含む言葉・物体・概念が消えていくという空前絶後の作品です。例えば「あ」が使えなくなると、「愛」も「あなた」も消えてしまいます。跡形もなく消え去ってしまうものもあれば、残像のように残ったり、他のもので代替されたりと色々です。文字が消えるたびに笑えるハプニングが起こり、ドタバタとして読んでも面白い。エンタテイメント性と文学性を高度に両立させた傑作です。感動した文学作品を1つあげろといわれたら、迷わずこれを選びます。


フィクション 第8位 飛浩隆「象られた力」

人が何かを美しいと感じる時、その「美」はどこから生まれてくるのか。美術評論家だけが気にするような話題ですが、これをSFという視点で捌いたとき、誰もが目を瞠るような美しさがたち現れます。一見、ただキレイなだけの文章を並べているかに見えます。しかし美を解き明かすというテーマを考えるとそれは間違いです。全てがその中身と表面において美しさを象っており、それゆえにこそ清冽な感動がありました。



フィクション 第7位 小林泰三「玩具修理者」

もし人を狂わす小説が可能だとしたら、それは夢野久作「ドグラ・マグラ」ではなく、収録作の「酔歩する男」。





フィクション 第6位 伊藤計劃「虐殺器官」

9・11後の混沌とした世界をシミュレーションした本格社会派SFです。現代思想にハマった軍事評論家が、理論とテクノロジーの可能性をとりいれて書き上げた渾身の近未来戦争小説っていう印象ですね。鳥肌が立つほど感動し、また知的にも揺さぶられました。





フィクション 第5位 円城塔「Self-Reference ENGINE」

前回の芥川賞でこれを評価するのしないので意見が真っ二つに割れたのは、円城塔「これはペンです」でした。文壇はいまや円城党と反円城党の二大政党制に移行しているといっても過言ではないでしょう。
なんてことを言っていたら、今回の芥川賞でまさかの受賞。おめでとうございます。もはや円城党の勢いは止められない! そんな今をときめく円城塔の、おそらく一番面白い小説がこれ。


フィクション 第4位 小林泰三「目を擦る女」

この人はSFネタとホラーを結びつけるのが本当に上手で、人によってはトラウマになるんじゃないかっていうくらい怖いです。怖いんですが、日常を異世界に変えてくれるような新鮮さがあり、病み付きになります。緻密な論理でわけのわからない結論に追い立てられ、そんなのおかしいと愕然としつつも、でもひょっとしたらという疑念を払拭できない。生きた心地がしないという恐怖なら山ほどあるでしょうが、本書を読むと現実を生きている心地がしないという恐怖にくらくらできます。


フィクション 第3位 町田康「告白」

実際に起きた殺人事件「河内十人斬り」をモチーフにした大傑作京極夏彦のような深くて思弁的な心情描写が、舞城王太郎の軽やかな文体で語られた、といった感じ。京極夏彦「嗤う伊右衛門」のような常人を突き放した美学ではなく、筒井康隆「家族八景」 「底流」(「あるいは酒でいっぱいの海」収録)のような下卑た思考の垂れ流しなんですが、清濁併せ呑む筆致は大変リアリティがあります。文章それ自体の魅力が半端じゃなく、自分にとっては理想的な文体でした。ギャグめいた笑いを取りつつも、徹底した鋭い描写を心がけ、その描写の凝り具合がまた笑いを生むという、エンタメと文学性の幸福な両立。


フィクション 第2位 グレッグ・イーガン「祈りの海」

「わたし」を「わたし」たらしめている何かをめぐる、根源的な作品。おそらく過去100年間に発行された短編集の中で最も密度の濃い、空前の一冊。そしてこの作品を絶後にすることができるのも、著者のイーガンだけでしょう。イーガンの前にイーガンなく、イーガンの後にイーガンない。もはやそんなレベル。短編集なので長編よりもまとまっており、小説としてもより読めるものになっています。





フィクション 第1位 グレッグ・イーガン「順列都市」

大げさに言うと史上最高のSFとして君臨し続けるであろう作品。
地球が壊れても宇宙が終わっても、それでも永遠に続く意識を可能にするシミュレーションの話。不死についての与太話かと思いきや、生命・時間・認識・世界のパラダイムシフトを起こすロジックの整った強力な仮説。哲学とさえ言えるかもしれない。死ぬのが怖くて仕方がない人は読んでみるといいと思います。