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実用書
ケネス・S・ロゴフ「現金の呪い――紙幣をいつ廃止するか?」
ハーバード大のロゴフは、高額紙幣の廃止と中銀による電子マネー発行を提案しています。例えば、日本国民は一人当たり約80万円のお札を持っています(これは未成年も含めた数字)。おそらく、多くの人の財布の中にはそんな大金は入っていないので、銀行に預金したくないニーズを持つ一部の個人が大量のお札を抱えている可能性が高い。実際、マイナンバー制度の導入以降、千円札の発行は横ばいである一方、一万円札の発行は増加しています。4億円入る大型の金庫がよく売れているという報道もあります。脱税予備軍と疑われてもおかしくない、こうしたアングラマネーを潰す手段として、電子マネー発行はいい政策でしょう。
また、紙幣廃止+電子マネー発行+マイナス金利の組み合わせで、インフレ税同様に現金保有のインセンティブを減少させ、消費や投資を喚起させるアイディアも披露されており、面白いです。全体的に、主張の書というよりも、論点を整理し、メリット・デメリットを比較検討した手堅い一冊という感じです。
岸見一郎, 古賀史健「嫌われる勇気」
マズローに言われるまでもなく他者承認って必要だよね、でもそれが容易に得られるわけではないから人生しんどいし、自分は変われるとかいう自己啓発本は胡散臭すぎて無理だよ、という考えをもつ青年と、それを否定するアドラー心理学を代弁する哲人の対話で全編が構成されている。会話しかないので、大変読みやすく、それでいて、感銘を受けたし、なんなら泣ける。
- なぜアドラーは、他者からの承認は、必要ない、と宣うのか。他者からの承認を求めることは、他者に都合のいい自分を演じることでもあり、すべての他者を満足させることができない以上、そのクオリティは中途半端なものになるし、いつまでたっても自分の人生に集中することができないことになる。自分に自信がないから、他者に承認されたい、という気持ちはわかる。しかし、もう他者から承認を受ける必要すらない、嫌われてもかまわない、と割り切ってしまえば、他者承認を受けない自分を劣位に扱う必要もなく、ただただ、目の前にあるシンプルな自分の課題だけに向き合えばよい、ということになって、人生は相当楽になる。
フィクション
芝村裕吏「セルフ・クラフト・ワールド」
フィクション部門からは、エンタメとして完全に面白い本作を紹介。遺伝アルゴリズムで本当に進化してしまったオンラインゲーム上の生物をめぐる冒険。この生物の構造が人間の発想じゃ到底出てこないようなもので、かつ、現実世界に応用しても有用という設定であり、このゲームを運営していること自体が、日本という国の資源となっています。しかも、他国ですらその資源の獲得に躍起になっているので、国際政治そのものがゲームに依存しているような草生える状態になっています。そうした現実世界のいざこざと、仮想世界内での冒険と文明の発展がリンクし、最終的にはとてつもないところまでいくのでよかったです。現実世界の概念、例えば、憲法、民主主義、少数意見の尊重といった概念が、淘汰を経ることで現在とは全く異なる意味に変貌してしまうあたりも、草しか生えないですねえ。ネットは広大だわ。
オキシタケヒコ「筺底のエルピス」
これも極上のエンタメ。一定空間内の時を止めるという能力をいろんな形で発現させながら、人類規模の敵と戦闘するという話なんですが、将棋でいったら、矢倉限定で戦えみたいなもんですよ。制限つけずにもっといろんな能力もアリにしたほうがいいのでは、と最初思ったのですが、制限があるからこそ、そこからの派生が光るというか、とにかくめっぽう面白い知的戦闘になっています。ハンター×ハンターよりも続きが気になっているといっても過言ではない。柞刈湯葉「横浜駅SF」
その誕生以来、常に工事が継続中だった横浜駅(実話)。その増築工事を人類が制御できなくなり、本州全土のほぼすべてが横浜駅のエキナカに飲み込まれるのは時間の問題だった……みたいな話。スイカ端末的なものがないと、自律的に徘徊する”自動改札機”に排除されてしまうというディストピアです。まあ、設定だけですでに面白いので、何も言うことはないです。設定が近い「BLAME!」もオススメです。
飛浩隆「自生の夢」
表題作は、一言で言うと、Google小説、でしょうか。"知覚する"が"ググる"に置き換えられ、情報収集は効率化し、便利になる一方のはずなのに、アルゴリズムによる情報の整理が、言葉と言葉の結びつきの整頓が、とんでもない情報の渦を生んでしまう、という話。ちなみに、その渦に飲み込まれたら死にます。ホラー的なようでいて、むしろ恐怖はなく、美術品めいた荘厳さを感じさせる、とても詩的な作品です。グレッグ・イーガン「シルトの梯子」
相対性理論と量子力学を統一する究極の理論で世界を説明しようとするのが、前期イーガンだとすると、この作品はその集大成的な位置づけでしょうか。
本作では、6兆分の1秒で崩壊するような不安定な真空を人為的に作る実験をしたところ、その真空が想定外に崩壊せず、光速の半分のスピードで拡大し続け、制御不能となる大厄災から話は始まります。人類の生存圏も、この新しい真空にどんどん飲み込まれてます。当然、人類一丸となってこの問題に対処する、より具体的にはどうやってこの新しい真空を消し去ることができるかに挑戦する話なのかなあ、と思っていたら、「いっそ新しい真空に適応できるように私たちの身体の方を改造すればいいのでは」とか言い出す輩が出てきて、おいおいおい、マジでイーガンって感じでした。その発想はなかったわ。
グレッグ・イーガン「白熱光」
しかし、こう、ちょっと、イーガンって難しすぎませんかねえ? そりゃ、現時点で有望そうな理論をわかりやすくアレンジして紹介してくれるのは、ありがたいのですが、いかんせんド文系には、既知の理論ですら覚束ないんすわあ。イーガン「よろしい。ならば相対性理論だ」
というわけで、始まったのが、ニュートンが古典的力学を発見して、アインシュタインが相対性理論を発見するまでの歴史を六本足の異星人の世界でやるという本作品。
まあ、ここまではいい。よくない、という人もいるだろうが、相手はイーガンだ、勘弁してやってほしい。問題は、この異星人の住む世界が小惑星の内部で、天体を観測できないというところ。星々の動きを観察することなしに、どのような思考プロセスで法則を発見するのか、という、いったい誰が読むんだという話になっており、もう、イーガンのそういうところ、ホントもう……!状態です。でも終盤は謎の感動。
グレッグ・イーガン「クロックワーク・ロケット」<直交宇宙>三部作
前期イーガンが、究極の理論がいかに人間の世界観を変えるか、あるいは宇宙そのものを変えうるか、みたいな系統だとすると、後期イーガンは、もはやこの宇宙に関心を失っているようにすら思える(え……?)。このシリーズでは、既知の宇宙の根幹をなす法則の数式の符号を変えることで、どのような世界が生まれてくるかを圧倒的なディティールで創り上げました。
私たちの宇宙は、3次元の空間+1次元の時間で構成されているが、空間の任意の一点に移動するように時間軸を自由に行き来することはできない。しかし、本作の<直交宇宙>では、空間と時間の境目がなく、空間移動と同じような感じで時間移動もできてしまう。
この奇妙な宇宙の物理学を解明したうえで打開策を見つけないと、世界が滅亡するという緊張感のあるストーリーで、いやー、これはホントすごかった。それぞれを簡単に解説すると以下のとおり。
- 相対性理論を発見する「クロックワーク・ロケット」:なるほど!(理解、知的興奮)
- 量子力学を発見する「エターナル・フレイム」:なるほど?なるほどぉ?(不可解、圧倒、呆然、畏怖)
- 異なる時間軸を持つ物体同士の熱力学が交錯し、<直交宇宙>ならではの未解決問題に取り組む「アロウズ・オブ・タイム」:な……なるほどぉ……(不可思、謎感動)
ちなみに、この記事で紹介したイーガン作品は、すべてジェンダーSFでもあります。性交するたびに片方の性が爆発四散してその四つの破片から子供が生まれるから生き残った片親が育てる(大意)みたいな作品もあります(片方の性の社会的抑圧をどうするか、みたいなテーマも当然あります)。