誰が得するんだよこの本ランキング・2012

2012年は、中学高校時代に読んだ名作の書評をたくさんアップしました。ずっと温めてきたものを一挙に放出したので、例年よりもハイレベルのラインナップです。気持ちとしては「誰が損するんだよこの本ランキング」にしたいところですが、ブログ名との兼ね合いでこのタイトルになっています。実用書とフィクションそれぞれベスト10を発表するので計20作です。





過去のランキングはこちら。

実用書 第10位 ドナルド・A・ノーマン「誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論」

心理学の実験ではたいていある種のゲームの中で人間がどのようにふるまうかが着目される。本書ではその逆で、意識的になにか物事を考えるような場合ではなく、日常生活の中で人間がどのように無意識的にふるまってしまうかに着目している。たとえば、どっちから開けていいのかわからないドアがなぜ存在してしまうのかとか、発電所や飛行機の事故でよく言われるヒューマンエラーとはなんなのかとか、そういった話だ。



実用書 第9位 橘玲, 海外投資を楽しむ会「世界にひとつしかない「黄金の人生設計」」

人生を設計すると聞くと、なにやら自己啓発本的な、いかにして成功するかという話かと思いますが、本書は人生とはそのようにポジティヴに語るものではないと主張します。むしろ、どうしたら確実に損をするかを把握し、失敗を回避することをめざすことしか、僕たちにできません。そういうわけで、人生設計とは実はネガティヴに語るものなのです。



実用書 第8位 ビョルン・ロンボルグ「五〇〇億ドルでできること」

あなたなら500億ドルを渡されて、これで世界を救えと言われたら何をしますか? 世界をよくする方法はたくさんあるでしょう。温暖化対策、貧困対策、平和推進……。しかしお金は有限です。どうせなら最もコストパフォーマンスのよいやり方で、世界を救うべきでしょう。本書は費用便益分析によってグローバルな政策の優先順位をつけたものです。
とくに面白いのは温暖化対策のコストパフォーマンスがかなり低く、貧困対策のほうがより求められているという主張です。
たしかに地球環境の変化は「元に戻すのは極めて困難な不可逆的な影響」をもたらします。しかし、同じように人命の損失もまた不可逆なのです。将来と言わず、今すでにかけがえのない命が、飢餓や疫病によって毎年何千万人も失われているのです。この人命の不可逆な損失と、環境の不可逆的な変化、どちらを優先すべきかは明らかでしょう。


実用書 第7位 片山杜秀「未完のファシズム」

日本はなぜ負けると分かっていたのに、あんな戦争を始めたのか? ―――という問いには決まってこう答えられる。ファシズムのせいだ。一部の権力者に権力が集中する体制だったから、あのような無謀な動員が可能だったのだ、と。それに対して、本書は、ファシズムが未完成だったからこそ、戦争がはじまったと主張する。全体を管理する権力者がいれば、非合理的な戦争は起こりえない。しかし、たとえトップがこの戦争は非合理的だと思っていても、その意思を組織に徹底させることができなければ、現場の思惑次第でなし崩し的に戦争は始まってしまう。


実用書 第6位 ロバート・ノージック「アナーキー・国家・ユートピア」

「もし国家が存在しなかったなら、国家を発明する必要があっただろうか。国家は必要か。国家は発明されねばならないか」。
この、過激な問いかけから本書はスタートする。読みやすい本ではないが、古典として読み継がれていくべき価値はたしかにある。



実用書 第5位 ミシェル・フーコー「監獄の誕生―監視と処罰」

これも古典枠。例えば、あなたが暇を持て余した大学生で、人文系の古典でも読んでちょっとは大学生らしくしようかなー、なんて思っているのならオススメしたい。





実用書 第4位 瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」

以前「高学歴就活生が読むべき4冊」という記事を書いたが、正直これ一冊読めば十分じゃないかっていうくらい情報価値がある。本書の主張は簡明で、それはコモディティになるな」と要約できる。コモディティ化した個人とは「今やっていることをほかの誰かと交換しても、代わり映えしない労働力」であり、企業の側からすると徹底的に安く買いたたける存在である。*1 雇う側が「あなたの代わりはいくらでもいるもの」と評価するなら、労働者のほうとしては身を削って働き会社にしがみつくしかない。

実用書 第3位 P・W・シンガー「ロボット兵士の戦争」

「戦争は、人びとがほかの人びとを殺すときに始まるのではない。報復として自分が殺されるリスクを冒す時点で始まるのだ」 *2
では、ラスベガス近郊にいながら遠隔操作でアフガン上空を小型飛行機で索敵する兵士は、はたして戦争に参加しているのだろうか? ロボットが人間の兵士の役割を代替することで、今、戦場は劇的に変わろうとしている。そして戦争の変容は、社会の変容をもたらす。本書は、他にはないスリリングな切り口で戦争を論じた、最高に面白い一冊だ。


実用書 第2位 ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質」

経済学を批判してドヤ顔したいなら、終わコンのマルクスなんか読むよりもタレブを読んだほうはずっとよい。なにせタレブの射程は、経済学などというマイナーな学問領域に留まらず、経験科学全般に及んでいるからだ。
それは、帰納の問題である。僕たちが真理と呼んでいるものは、しょせん今までの観測データを無理なく説明できるだけの「お話」にすぎない。原理的に、過去だけしか観測できない以上、いまだ見ぬ未来については予想することしかできない。

実用書 第1位 ウォルター・ブロック「不道徳な経済学」

人生を左右する一冊というものがある。
僕にとって高校生のときに読んだこの本が、経済学や政治思想にハマるきっかけだった。本書では、社会的に不道徳だとされている人間こそが、ヒーローだと主張する。なぜなら、彼ら彼女らこそが不道徳という汚名を引き受けてまで、もっとも重要な価値―――個人の自由―――を守る防波堤だからだ。たとえば、麻薬の売人は本書によればヒーローである。麻薬を使ってラリようが、アルコールを飲んで酩酊しようが、どちらも本人の意思で行われている以上、両者を区別する必要はないはずだ。
にもかかわらず、立法者は麻薬の使用は禁止し、アルコールの使用は合法化している。それによって酒屋の主人は道徳的に非難されることはないが、麻薬の売人はクズ扱いされる。だからこそ、著者は麻薬の売人こそを道徳的に擁護するのである。
もし彼らが身体を張って麻薬を供給しなかったら、一体誰がシャブ中の幸福追求権を実質的に担保するのだろうか。たとえ法律に背いてでも、断固として個人の自由を守る側に立つ、彼らこそが真のヒーローである。




フィクション 第10位 グレッグ・イーガン「ひとりっ子」

たとえば、(1)確実に50円もらえる取引、(2)50%の確率で100円もらえるが50%の確率で何ももらえない取引を考えてみます。期待値はどちらも50円で同じですが、多くの人が(1)の取引を選ぶでしょう。僕たちは、不確実なものが嫌いなのです。このことを経済学では、人間はリスク回避的である、と表現します。
しかし、はたしてそうでしょうか。イーガンは思考実験として、脳内のニューロンの結線を固定し、感情を永久化する技術について考えます。この技術ならば、不確実で予測のつかない感情とそれに起因する人間関係も、永遠に固定化することができるはずです。
たとえば、愛する恋人同士が、その愛という感情を、決して朽ちないように永久にロックするということもできるはずです。これによってリスクは排除され、恋愛から得られる効用は固定化されます。あなたならこの「ロック」をしたいと思うでしょうか。

フィクション 第9位 筒井康隆「おれに関する噂」

筒井康隆の短編集では一番好き。表題作は、無名の会社員の私生活がいきなりマスメディアの報道の対象になるという、個人のブログが炎上する昨今を予言したかのような作品。なんの脈絡もなくテレビで、「今日は○○をデートに誘おうとしたが断られた」などと暴露され、しかもすぐに消費されて飽きられる。つまり、マスメディアの流す芸能記事なんてこれと同程度に無価値なはずなのに、なぜか人々の需要があるという、なかなか不思議な状態を風刺しているのですね。報道価値とは何かをめぐる深遠な作品なのですが、同時に最高に笑えるギャグ小説。


フィクション 第8位 

人類最高の表現力で画かれたバレエのマンガ。
およそ紙の上に画かれた表現の中で、これほど読者の鳥肌を立たせ、圧倒させるものは無い。ストーリーがいいとか画力が高いとか、そういう個々の次元ならば、この作品を超えるものもあるだろう。ただ総合的な演出で、つまり読者の感覚にどこまで訴えるものがあるかという点では、「昴」に勝てない。「昴」だけが到達しうる極地というものがある。


フィクション 第7位 円城塔「これはペンです」

不滅の小説。 中編2編が収録されており、表題作はものを書くとは何かという話で、「良い夜を持っている」の方はものを読むとは何かという話です。そしてどちらも、不滅という珍しいテーマを扱っています。僕は「良い夜を持っている」の方が圧倒的に好きで、グレッグ・イーガン「順列都市」に類する作品だと評価します(最大級の賛辞)。架空の世界を構築する男の話という点では村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と似ていますが、文体も内容もこちらのほうが百倍面白いです。


フィクション 第6位 三島由紀夫「豊饒の海」

かつてこれほど僕をにやにやさせた小説があっただろうか。個人的にはドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を完全に超えた。成金の侯爵の息子で優雅な美少年を地で行く清顕と、大審院判事の息子でとにかく有用な人間になろうとしている本多の物語。これだけ聞くと二人の友情がメインテーマかなと思われるかもしれないが、そんな凡庸なくくりでは収まらないものがあります。とくに清顕のぼんぼんっぷりというか、優美であろうとするあまりに愚かさすらも厭わない様は圧巻。本多も世界とか人生とか平気で語っちゃう法曹志望の学生でして、何か他人事とは思えません。というか僕の周りには本多のような連中がけっこういまして、読んでいて面映ゆいというか、にやにや笑いが止まりませんでした。


フィクション 第5位 橘玲「永遠の旅行者」

中学生の僕の心を最も揺さぶったのが村上龍「希望の国のエクソダス」だとするならば、大学生の僕が最も影響を受けたのはおそらく本書。
政府は、とくに民主主義国家の政府は、少数派にとってはやっかいな存在だ。自分が賛同してもいないのに、それが多数派の選択だというだけで、強制を余儀なくされる。もちろん、多数派が望むことなのだから、多くの人にとっては好ましい政策だろうし、その政策によって幸福な人生を生きることのできる人もいるだろう。それが、福祉国家 welfare stateを正当化する根拠だ。
だがしかし、取りこぼされた人たちは常にいたし、これからもい続けるだろう。彼ら彼女らには一体何が残されているのだろうか。

フィクション 第4位 村上龍「愛と幻想のファシズム」

苛烈な一冊。中南米の国家債務のデフォルトを機に世界的な金融危機が起こるが、そうした状況に対して何も抜本的な対策をできない日本政府に人々はうんざりしていた。そこで強い指導力のあるリーダーが求められ、「進歩的」な左翼からファシストと批判されながらも、その政治結社が着実に支持を集めていく……というのがだいたいのあらすじです。現在の日本とそっくりですね。ただ面白いのはこのファシズムが、「弱者の犠牲になるな、弱者が我々を搾取している。世界は強い人間達のものだ。団結しなければならない」と語る点です。

フィクション 第3位 村上龍「希望の国のエクソダス」

傑作。日本の教育には問題点が主に2つあって、それは「いじめ」と「学校教育が社会に出て役に立たない」というものです。村上龍はこれらの2つの問題を抜本的に解決するために、全国の中学生が一斉に不登校になればいいと主張します。荒唐無稽に聞こえますが、これはなかなか鋭い問題提起です。
学校という閉鎖空間でなければ、いじめられっ子も逃げやすいし、いじめっ子の方もゲームやカラオケといったエンタメが他にあるので、わざわざイジメなんてしなくなるでしょう。
また学校の勉強なんて社会に出たら役に立たないというのなら、勉強なんかせずはじめっから社会に出てビジネスを始めればいいわけです。

フィクション 第2位 村上龍「五分後の世界」

僕が高校生のころ最も好きだった小説。
本作は、戦後のぬるま湯を批判して、それを破壊するような小説を書いてきた著者がついに出した、代替案です。登場するのは、第二次大戦で無条件降伏しなかった日本です。そのパラレルワールドでは、沖縄戦ソ連の参戦、広島・長崎への原爆投下の後も帝国軍は戦争をやめず、小倉・新潟・舞鶴にも原爆が落ち、本土はソ連・中国・アメリカに分割占領されています。日本国政府は地下のトンネルに潜伏して、ゲリラ活動をしています。
なんてひどい状況だって感じですが、そこには戦後のぬるま湯とは正反対の日本社会があります。他国の文化的奴隷となることなく、自己決定し、それに誇りを持つ国民がいるのです。これこそが村上龍ユートピアなのです。

フィクション 第1位 グレッグ・イーガン「しあわせの理由」

本作は、脳内の物理的状態を変更できるナノマシンによって、しあわせが、いとも容易く得られる世界を描いていまいいす。この技術の衝撃はすさまじく、既存の価値観はことごとく破壊され、生きる理由でさえも、どこにも見出せなくなりそうな絶望に襲われます。いや、その絶望ですらも、無意味にしてしまいます。パラメータをちょっといじっただけで完全に消えてしまう程度の絶望なら、はたして絶望と言えるのでしょうか。まあ、同じことは希望にさえあてはまってしまうのですが。
結局はすべて脳内のニューロン間結合と神経伝達物質の濃度にすぎないのだとしたら、希望は、絶望は、そのときどこに在るのか。主人公が下す決断は、ネタバレになるのでここでは控えますが、僕の人生を塗り替えるほどの衝撃を持っていました。本作は、僕にとってオールタイムベストの短編です。とても面白い。

*1:瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」35p

*2:P・W・シンガー「ロボット兵士の戦争」624p、軍事史家マーチン・ファン・クレフェルト