ラノベの域を超えた快著――至道流星「羽月莉音の帝国」

素晴らしかった。国を創る。それも世界のシステムに変革をもたらすような帝国を創るという、壮大な物語だった。本書は新世紀の小林多喜二「蟹工船」になる。
当然、日本からは領土をぶんどって独立宣言をしなくてはいけない。その後は領土を守るための軍事力を持たなければならない。それだけなら反政府武力組織にすぎないので、今度は他国の政府から国家として承認をもらわなければならない。この全てを行うためには途方もないお金が必要になるから、それも稼がなくてはならない。
実際本書の中身はほぼ金儲けの話に当てられている。小説風味のビジネス書として読んでもらってもいい。しかも、ビジネスモデルが「これは」と思わせるような新しさを持っていて驚かされる。とくに終盤では証券市場まで設立してしまうのだが、これなんか現状の「監査してもらう側の企業が監査法人を雇う」という粉飾決算の温床のようなシステムを丸ごと改革するもので、単純に素晴らしいと思った。
村上龍「希望の国のエクソダス」「愛と幻想のファシズム」を好きな人にオススメ。
以下ネタバレ。

世界をこの手でつかむ感触

この本の何が素晴らしいかっていうと、それは「世の中の大勢など、しょせん自分にはどうにもできない、だったら趣味的に生きてささやかなしあわせで満足すればいいか」という諦念を吹き飛ばすところにある。世界はそんなつまらないものじゃない。その奥底を開いて見てみれば、それはもう大変だけど、それでもやっぱり面白いのだ。魔法も超能力も要らない。人力だけで世界は変えられる。そんな可能性がほんのわずかでも残っているというだけで、人生は面白い。たとえ最後に朽ち果てる結果になっても、前向きに倒れるほど走りぬけば、その人生はやっぱり面白い。
ラストで主人公たちが、もうミサイルで爆撃されて死ぬしかないという境地に立たされる。そこで、革命部のメンバーが偉大なのは、「こんな結末になるなら革命なんてしなきゃよかった」なんて微塵も思わないことだ。むしろ、「俺の人生はしあわせだった」と断言する。この断言が、すごい。強がりでもハッタリでもなく心底そう思えるだろうな、と共感できるのですよ。本当にうらやましい。
たとえ、本書が「新世界構想」の段階で終わって、エピローグがなかったとしても、納得しただろう。なぜなら、本書は自己啓発本みたいな成功を目的とする話ではなく、革命を起こす話だからだ。革命を継ぐ者に志を託すことができれば、たとえ主人公たちが死んでもかまわないのである。
むしろ、この展開のほうこそ、先ほどの人生観は強くうきあがってくるかもしれない。主人公たちが自分の人生を振り返って肯定したのは、悪のテロリストとして朽ち果て、一縷の希望を総理に託して死ぬという未来が決まっている、まさにその時だったのだ。そのような苦難の中でさえ、人生を肯定しうる、というのは、とんでもない倒錯にも見えるかもしれないが、しかし、これこそは希望というものだろう。
ちなみに、村上龍希望の国エクソダス」も、希望を得るために国を創る話だった。こちらもまた、わくわくするような小説なのだが、「羽月莉音の帝国の帝国」のほうを、今の僕は評価したい。登場人物の挙動とか、そういったディティールのリアリティは「希望の国エクソダス」の方がはるかに上だけどね。

建国する必要あったのだろうか

目標はあくまでも世界金融革命なのだから、猿島を独立させる意味なんてあったのだろうか、という気はする。しかも傲慢な春日恒太が演説担当したせいで、世界の破綻をもくろむ極悪非道のテロリストになってしまったし。「人類の敵」呼ばわりされてるし。金融システム変革という主張を通る可能性を自ら狭めてしまったようにも思う。
だが、おそらくこの過程も必要だったのだろう。人類は敵を得ることではじめてひとつになった。人類というだけで彼ら彼女らは味方になった。人類の敵がいるというむちゃくちゃな状況だからこそ、今はお互いにいがみ合っている場合ではないという認識を各国に生み出すことができたのだろう。