社畜はゲリラ戦の夢を見るか?――瀧本哲史「僕は君たちに武器を配りたい」

必読。入社する前に絶対に読もうと思っていた本だが、もっと早く読んでおけばよかったと後悔した。以前「高学歴就活生が読むべき4冊」という記事を書いたが、正直これ一冊読めば十分じゃないかっていうくらい情報価値がある。本書の主張は簡明で、それはコモディティになるな」と要約できる。コモディティ化した個人とは「今やっていることをほかの誰かと交換しても、代わり映えしない労働力」であり、企業の側からすると徹底的に安く買いたたける存在である。*1 雇う側が「あなたの代わりはいくらでもいるもの」と評価するなら、労働者のほうとしては身を削って働き会社にしがみつくしかない。
では、そのような社畜が嫌ならどうすればいいのか。他の人では代替できない特別の価値を持つしかない。そのための手段を本書は提供している。僕が感動したのが、その内容があまりにも面白く、わかりやすいことだ。実用的な知識を扱っているのにまったく退屈でなく、村上龍「希望の国のエクソダス」のような経済小説のように夢中になって一気読みしてしまった。この、わくわく感には心が震える。

 若手の経済評論家の中からは、「既得権益を握っている高齢世代から富を奪え」というような意見も聞かれるが、社会全体のパイが小さくなっているときに、世代間で奪い合いをすることには意味がない。才能がある人、優秀な人は、パイを大きくすること、すなわちビジネスに行くべきだ。
 パイ全体が縮小しているときに、分配する側に優秀な人が行っても意味がない。誰が分配しようが、ない袖は振れないからだ。 *2


これはまさにその通りだと思う。だから僕が一番尊敬する人は、ハイエクでもノージックでもなく、発明家のレイ・カーツワイルだ。彼の語るビジネスには投資したいと思っているし、また一消費者としてもそのようなサービスを欲している。なにより、そこには希望がある。


参照

どちらも「分配の正義だけ語って、そのパイの増やし方を語らないのは、片手落ちではないか」という話。

「僕武器」は最高にためになる実用書だけれども、それでも全員がゲリラ戦で成功できるわけではない。そのとき、いかにして個人の尊厳を確保するのか、という話。

「僕武器」で批判されている、コモディティなスキル獲得のノウハウ本。個人的に、そんなに悪い本ではないと思う。

*1:35p

*2:287p