では、そのような社畜が嫌ならどうすればいいのか。他の人では代替できない特別の価値を持つしかない。そのための手段を本書は提供している。僕が感動したのが、その内容があまりにも面白く、わかりやすいことだ。実用的な知識を扱っているのにまったく退屈でなく、村上龍「希望の国のエクソダス」のような経済小説のように夢中になって一気読みしてしまった。この、わくわく感には心が震える。
若手の経済評論家の中からは、「既得権益を握っている高齢世代から富を奪え」というような意見も聞かれるが、社会全体のパイが小さくなっているときに、世代間で奪い合いをすることには意味がない。才能がある人、優秀な人は、パイを大きくすること、すなわちビジネスに行くべきだ。
パイ全体が縮小しているときに、分配する側に優秀な人が行っても意味がない。誰が分配しようが、ない袖は振れないからだ。 *2
これはまさにその通りだと思う。だから僕が一番尊敬する人は、ハイエクでもノージックでもなく、発明家のレイ・カーツワイルだ。彼の語るビジネスには投資したいと思っているし、また一消費者としてもそのようなサービスを欲している。なにより、そこには希望がある。
参照
どちらも「分配の正義だけ語って、そのパイの増やし方を語らないのは、片手落ちではないか」という話。
「僕武器」は最高にためになる実用書だけれども、それでも全員がゲリラ戦で成功できるわけではない。そのとき、いかにして個人の尊厳を確保するのか、という話。
「僕武器」で批判されている、コモディティなスキル獲得のノウハウ本。個人的に、そんなに悪い本ではないと思う。