究極の経済学小説――グレッグ・イーガン「しあわせの理由」

経済学では、財は、その使用によってなんらかの効用 utilityを得るための手段です。ここでいう効用とは、快楽であり、幸福であり、欲望の満足です。経済学は財の効率的な分配を研究していますが、それは結局のところ、僕たちが効用を効率的に得るための道具なのです。
そこでこういう疑問が出てきます。では、なぜ効用そのものが直接、売買されないのだろうか。なぜ、しあわせは商品化されないのだろうか。
本作は、脳内の物理的状態を変更できるナノマシンによって、しあわせが、いとも容易く得られる世界を描いています。この技術の衝撃はすさまじく、既存の価値観はことごとく破壊され、生きる理由でさえも、どこにも見出せなくなりそうな絶望に襲われます。いや、その絶望ですらも、無意味にしてしまいます。パラメータをちょっといじっただけで完全に消えてしまう程度の絶望なら、はたして絶望と言えるのでしょうか。まあ、同じことは希望にさえあてはまってしまうのですが。
結局はすべて脳内のニューロン間結合と神経伝達物質の濃度にすぎないのだとしたら、希望は、絶望は、そのときどこに在るのか。主人公が下す決断は、ネタバレになるのでここでは控えますが、僕の人生を塗り替えるほどの衝撃を持っていました。本作は、僕にとってオールタイムベストの短編です。とても面白い。
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