クォンタム・ファミリーズ / 東浩紀

東浩紀を読むのははじめてだが思わず徹夜で読んでしまった。「尊厳と無縁のカスきわまりない生を、いかにして生きればいいのか」という作中の問いはなかなか心にくる。ちょうど僕自身が就活をひかえた大学3年生という、社会への憂鬱を澱のようにためこむ時期だったこともあり「ぐはあ」という擬音すら漏れそうな勢いである。並行世界SFとして見るならグレッグ・イーガン「順列都市」「宇宙消失」筒井康隆「夢の木坂分岐点」の中間にあるような作品。元ネタの村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」よりも断然好きだ。

「いまやもっとも重要な問題は、富の再配分ではなく尊厳の再配分なのだ。希望の再配分とも言ってもいい。そこで問題を縁取るもっとも過酷な条件は、世界の富の総量は「クリエイティブ・クラス」の「イノベーション」でいくらでも増やすことができるかもしれないが、世界の尊厳=希望の総量は決して変わりはしないという単純な事実だ。ある個人に尊厳=希望を与えれば、別の個人が必ず尊厳=希望を奪われ地下室に堕ちる」

 
尊厳の再分配かあ。なるほど。たしかに絶対利得である富ならば平等に与えることができるかもしれないけど、相対利得である尊厳を平等に与えることはふつうは無理。しかし、尊厳が希望という形でほぼ万人に与えられている幸福な時代がある。それが子ども時代だ。ありえるかもしれない可能性の莫大な海を目の前にしているときは、その背後に埋葬されたありえたかもしれない可能性の量など問題にならない。だがいつまでも子どもであり続けることは不可能で、子どもの精神が「現実となってしまった過去」に塗りつぶされるのが35歳ということなのだ。
この小説では並行世界を垣間見るテクノロジーによってこの問題を解決しようとしている。無限の可能性があり、その中で最良の生を選び取っている自分がいることが確認されることによって尊厳を取り戻すのだという。……たとえそれが現実世界をなんら変えるものでないにしろ。とはいえ作品ではこの部分はあまり掘り下げられることもないのでよくわからない。結局のところ自分が生きている「今ここ」の生は変わらないのだから気休めにもならないんじゃないだろうか。まあ作中では生まれることのなかった娘が並行世界から貫世界通信でメールを送ってきたりするので、ありえたかもしれない可能性と「今ここ」の生が実際にリンクすれば、そのリアリティが本人に尊厳を与えてくれるのかもしれないが。
以下ネタバレ。



自分の、あるいは家族の生に希望を見るためにありえたかもしれない並行世界を渡り歩く主人公たちは、まるで「バタフライ・エフェクト」のようにより奇妙に入り組んだ世界に迷い込んでいく。そして最後にはこの一連の量子脳計算を真っ向から否定するような、説得力はないけど勢いだけはある主張が語られる。「どうせあらゆる生は別の生の可能性を犠牲にしているのだ」「この滅びゆく偽物の世界を肯定しよう」などと、たわけたことを言い始めるのであり、実際に良識派の息子からはそう詰られるのだが、それでも主人公は完全に納得して物語を完結させてしまうのだ。まったくもって釈然としない。まあいい。勝手に謎解きさせてもらおう。
結局のところ、この作品の結論はこうだ。希望と尊厳は違う。より正確に言えば、希望はなくとも尊厳の構築は可能である。第一世界の絶望した主人公が希望した可能性(第二世界)は欺瞞に満ちていたし、第三世界で再結合した家族もあの有様だ。ありえたかもしれない可能性を夢見た主人公が、実際にその夢を量子脳計算として夢見た結果、たいしていいものでもないなと幻滅する。そして彼は覚悟する。可能性の限界を。しかしだからといって彼は絶望するのではなく、むしろ馬鹿笑いしながら自分の物語に幕を閉じたのであった。そしてその瞬間、たぶん彼は誰の尊厳を奪うこともなく、ただ彼の内なる道徳律の下で尊厳とともにあった。彼のその道徳律は家族には理解されない。執拗にメッセージが誰かに届くモチーフが繰り返されるこの作中において、彼の尊厳はおそらく家族にも届かない。しかし、コミュニケーションに失敗しても、その手紙が承認されなくても、やはり彼の内なる世界は尊厳に満ちていたように見えるのだ。
だがちょっと待てよ。本編だけならこの解釈でもアリだが、エピローグの物語外では、主人公のありえたかもしれない過去が語られている。そしてこの過去はモロに主人公の「こうでありたかった過去」なのだ。ここの部分はどう解釈すればいいのだろうか。
やはり主人公のメッセージは貫世界的に汐子に届いたのだろうか。そしてそのメッセージをもとに改めて再計算された平行世界で主人公は救済されたのだろうか。なんだ。現世において報われなかったものが彼岸で救済されるというキリスト教とまったく一緒ではないか。そんなんでいいのか。いくらドストエフスキーが好きだからっていって今どきキリスト教なんて、なあ。でも小説としては完全に面白いから読んで損はない。