永遠の旅行者 / 橘玲

中学生の僕の心を最も揺さぶったのが村上龍「希望の国のエクソダス」だとするならば、大学生の僕が最も影響を受けたのはおそらく本書ではないか。
なにせこの本を読んで法曹をめざしたくらいだ。結局、法曹にはなれなかったけれども、本書が提示する法制度の穴をつくようなライフスタイルにはいまだ憧れを持っている。しかし、なぜそのように政府に盾突かなくてはいけないのだろうか。一市民として安穏に暮らせばそれでよいのではないか。そのような疑問に、本書はリバタリアニズムでもって答える。
政府は、とくに民主主義国家の政府は、少数派にとってはやっかいな存在だ。自分が賛同してもいないのに、それが多数派の選択だというだけで、強制を余儀なくされる。もちろん、多数派が望むことなのだから、多くの人にとっては好ましい政策だろうし、その政策によって幸福な人生を生きることのできる人もいるだろう。それが、福祉国家 welfare stateを正当化する根拠だ。
だがしかし、取りこぼされた人たちは常にいたし、これからもい続けるだろう。彼ら彼女らには一体何が残されているのだろうか。より自由を侵害しない国家へと、選挙を通じて変えていけばいいのだろうか。そんな迂遠な方法はとらずに手っ取り早く革命でもすればいいのか。
本書が提示する抗戦手段は、租税逃れだ。課税は、基本的には強制労働のシステムである。なぜなら、10%の所得税があれば、その分だけ僕たちは政府のために10%分余分に働かなくてはいけない。また同じく強制労働のシステムとして、徴兵というものもあった。本書に出てくる元軍人の国家への恨みつらみは、なかなか読ませるものがある。
そしてやや唐突に思えるが、精神病患者も、国家によっては救われない者として登場する。おそらく、著者の橘玲は身近な人が発狂したことがあるのだろう。彼の著作には、精神病患者とそれを救えない福祉国家という構図が何度も出てくる。たしかに、狂気は政府がとやかくできる問題ではない。だからといって民間に任せればうまくいく問題でもないが、少なくとも金をばしばし稼いで、そのお金で患者を養うことくらいはできるだろう。
ここでリベラルな人間なら、障害年金などの福祉政策に頼るべきだと考える。そしてそれは現実的な解でもある。だが、もし政府が財政破綻をした場合、真っ先に削られる予算は、おそらく人間性に欠ける精神病患者だろう。あんなわけのわからん連中のために、なぜ我々の税金が使われるのか、という批判は強力だ。実際に、ナチス政権下では、彼らの人権は停止させられた。そのような歴史的経緯をふまえると、政府に依存するのはリスクが高い。
ならば、やはり公的な援助に期待せずに、できるだけ個人の力でもって、残酷で不条理な現実に対処するしかない。そのためならば、信用のできない政府を逆に利用することも、リバタリアンは辞さない。その手段として、租税逃れはある。
本書は、村上春樹「ノルウェイの森」のような文体の巧みさも、やわらかな感傷もないが、しかし、実務で役立つ知識と、知的刺激を与えてくれる思想がある。ややご都合主義的に終わるところを除けば、本当にいい小説だと思う。


兄弟たちよ。君は怪物の発する悪臭のなかで窒息するのか? 窓を打ち破り、あの大空へ飛べ!
大いなる魂たちのために、大地はいまもなお開かれている。一人生きる者たちや、孤独な二人のために、誰も知らない土地がいまもなお残されている。そこには静謐な海のかおりが漂うだろう。
国家が終わるところ――。そこでこそ、かけがえのない者たちの歌が、ただ一回の、ふたたび奏でられることのない旋律(メロディ)がはじまる。
フリードリッヒ・ニーチェツァラトゥストラはかく語りき