代議士の誕生 / ジェラルド・カーティス

代議士というのは一体どんな財の売り手なんだろうか。僕たちは財を買ったり売ったりしている経済的な存在だ。僕は『代議士の誕生』という財の買い手であり、日経BPは売り手だ。プロパイダは「ウェブ」という財の売り手であり、あなたは買い手だ。僕たちはマーケットにおいてさまざまな財の売買をしている。同じように、選挙というマーケットにおいても財の売買がなされているはずだ。通常のマーケットでは財と日本銀行券が交換される。流通しているのはお金だ。しかし、選挙で流通している通貨は国民主権である。僕たちはこの国民主権を売って、代議士から何らかの財を買っているのだ。
一般的な政治学では、代議士が売る財は「社会設計サービス」である。おのおのの候補者は魅力的な社会設計サービスを掲げて、その財の買い手である僕たちに営業トークする。「○○で日本が変わる! 地元にも利益が来る! どうか○○の実現のために清き一票を!」 それを聞いて僕たちは食堂のメニューを見て思案する消費者のように、一番良さそうな候補者を決める。これはこれで理想のデモクラシーなのだが、残念ながら現実の僕たちはそこまで合理的な存在ではない。「有権者は自分に都合のいい政策を選んで自分の利益を最大化するはずだ」という利己的投票者仮説は実証的な裏付けがあんまりない。

年長者だからと言って、他の世代の人々よりも社会保障やメディケアを強く支持しているわけではない。高齢者はそれらの政策の強く支持しているが、若者も実はそうである。(中略)国民全体と比較して、失業者は政府が保証する雇用をせいぜい少しだけ多く支持しているにすぎないし、保険未加入者も国民健康保険をせいぜい少しだけ多く支持しているにすぎない。自己利益の尺度からは、経済政策に対する信念をほとんど予測することができない。たとえ利害が生死に関わろうとも、政治的な自己利益が表面化することはめったにない。徴兵される可能性のある男性は、ベトナムからの撤退を普通程度に指示し、ベトナム徴用兵の家族や友人は、実際のところ、撤退に対して平均よりも多く反対しているのである。
ブライアン・カプラン「選挙の経済学」

カプランは「有権者にとっての利益とは金銭的な利益だけではなく、自分の信念を満足させる心理的な利益も含まれる」と主張する。たとえそれが端から見て非合理的なものでも、個人的な効用を満たすものなら、僕たちにとっては立派な財(サービス)なのだ。僕たちの個人的で非合理的な信念を満足させるという点で、「競争とかやめてみんな仲良く友愛しようぜ!」と語る鳩山民主党は、財の供給者として優れていた。規制緩和とか競争原理とか言っちゃう自由主義者よりもよっぽど消費者目線だ。
だが、この説明もたぶん的外れだ。カプランもあくまでも代議士が売る財を「社会設計サービス」であると仮定している。だが本当に代議士は政策だけを売り物にしているのだろうか? 違う。2009年のNスペ「永田町・権力の興亡」で藤井財務相は「政策を売りにした民主党は子どもの政党だった。小沢一郎が来てはじめて大人の政党になった」という趣旨の発言をした。これはつまり、政策を売るだけじゃ営業(マッケッター)として未熟だという意味だろう。
どぶ板選挙をやってこそ初めて一人前の営業になれる。そう、大人の代議士が売るのは政策ではないのだ。彼らが売っているのは個人的な人間関係からくる愉悦なのである。「僕のような一般市民にあの○○が握手してくれた!」「俺だって○○と一緒に飲んだことあるぜ!」「私なんか○○とカラオケまで!」みたいな、自分よりも格上の人に関われたという快楽なのだ。権威ある代議士が「どうか一票を」と泣きつくたびに僕たちはささやかな優越感に浸れるのである。「くく、ざまあねえなあ、代議士さんよぉ、かわいそうだから一票めぐんでやるぜw」 ここまでくるともはや完全に代議士のマーケティングの餌食だ。
本書はアメリカ人研究者が日本の地方に住み込みで取材をして、一人前の代議士が誕生するまでの過程を描いた論文なのだが、まるでベンチャー起業家が事業を軌道に乗せるまでの体験談のようでもある。いかに顧客(票)を獲得し、市場(世論)の動向を分析し、競業他者(他の派閥)に負けない強みを打ち出すか、その過程はまさにビジネスそのものだった。読んでいて退屈ではあるが、ドキュメンタリーとしてたいしたものだと思う。
最後に蛇足であるが「1票の価格.com」みたいなサイトを作れば面白いと思う。各マニフェストの再分配のやり方と予測経済成長率から、この政党に投票したら自分がどれくらい儲かるかを可視化し、高値の順にランキングするのだ。おそらく数百万円単位の幅が出てくるので、1000円かそこらで買収される人は額の大きさに魅かれてこれを使うだろう。各政党もランキング上位を狙うために経済学的にまともな政策を掲げるようになる。ウェブが実現する選挙2.0ってことでどうでしょうか。