五〇〇億ドルでできること / ビョルン・ロンボルグ

あなたなら500億ドルを渡されて、これで世界を救えと言われたら何をしますか? 世界をよくする方法はたくさんあるでしょう。温暖化対策、貧困対策、平和推進……。しかしお金は有限です。どうせなら最もコストパフォーマンスのよいやり方で、世界を救うべきでしょう。本書は費用便益分析によってグローバルな政策の優先順位をつけたものです。
とくに面白いのは温暖化対策のコストパフォーマンスがかなり低く、貧困対策のほうがより求められているという主張です。
たしかに地球環境の変化は「元に戻すのは極めて困難な不可逆的な影響」をもたらします。しかし、同じように人命の損失もまた不可逆なのです。将来と言わず、今すでにかけがえのない命が、飢餓や疫病によって毎年何千万人も失われているのです。この人命の不可逆な損失と、環境の不可逆的な変化、どちらを優先すべきかは明らかでしょう。


世界的に炭素税が導入される場合のコストパフォーマンス

世界開発センター上席研究員ウィリアム・R・クラインは炭素税導入によるコストパフォーマンス(費用便益比率)を計算し、炭素税が十分にペイする政策であると主張しています。

この政策は、国際的な合意と協調を得た炭素税を各国政府が課税するというものだ。税収は各国がそれぞれの目的で使用する。最適な排出削減(1990年の排出量をベースラインとする)は40パーセント前後からスタートし、今世紀末までに50パーセント近くに引き上げ、2200年の63パーセントを頂点に、2300年には15パーセントまで引き下げる。この値を達成するために必要な炭素税は、同じように思い切った値となり、2005年には1トンあたり170ドル、2100年には600ドルとなり、そして2200年の1300ドルをピークに徐々に低下することになるだろう。
(中略)2300年までの気温上昇は、BAU(筆者注:「自然体ケース」)がベースラインのプラス7.3℃であるのに対し、プラス5.4℃に抑えられる。削減費用の割引現在価値が128兆ドルであるのに対し、被害の回避による便益の現在価値は271兆ドルとなり、費用便益比率は2.1である。*1

このように、世界的に炭素税を導入するプランは一見割りに合いそうに見えます。

京都議定書のコストパフォーマンス

次に、京都議定書の目標を達成することを目的として考えてみます。一般論ですが、京都議定書を守るためには炭素税が効果的だとされます。よって炭素税導入によって京都議定書が守られるとここでは仮定します。しかし、ウィリアムによれば、京都議定書は効果も薄く、費用の負担者と便益の受益者が一致していないため政策としても実現性に欠けるものです。

この政策は先進国と経済移行国に対して、排出量を1990年の水準から5パーセント削減して、その水準を維持することを求め、開発途上国には制限を課さないというものだ。
(中略)気温上昇に与える効果は、2300年までの上昇が、BAUが7.3℃であるのに対して6.1℃になるというもので、それほど大きくはないが、世界経済が受ける損害はGDPの15.4パーセントから10.3パーセントに削減できる。同じ期間内に、便益は横ばいの後に上昇を続け、2100ごろに費用を上回り、2300年には世界のGDPの5パーセントを超えるだろう。便益の現在価値の166兆ドルに対し、費用の現在価値は94兆ドルで、費用便益比率は1.77である。
しかし、実施される削減策が京都議定書だけである場合、現在の先進国と経済移行国(付属書1諸国)がすべての費用を負担することになる。これに対してこれらの国が受け取る便益は55兆ドルにとどまるため、京都議定書は先進国と経済移行国にとって、経済的観点からは魅力のない政策となっている。*2

ウィリアムの試算の問題点

ウィリアムによれば京都議定書は割に合わなくても、世界的に炭素税を導入することは、ある程度のコストパフォーマンスを保証するということでした。しかしはたして本当にそうなのでしょうか。ウィリアムの試算は4点ほど重大な問題を抱えています。

1.将来の便益を過大評価している

ウィリアムの試算では将来発生する便益を現在の価値に換算するときに、純粋時間選考率をゼロで計算しています。これは今受け取る100万円も1年後に受け取る100万円も同じ価値があるという考え方です。
従来の経済学ではこれは明らかに間違いで、ほとんどの人が1年後に100万円受け取るよりも今100万円受け取ることを選びます。もしかしたら1年後に100万円受け取るよりも今20万円受け取ることを選ぶ人もいるかもしれません。たとえ額面上は一緒でも、今受け取るお金と将来受け取るお金なら、今受け取るお金の方が価値は高く見積もってしまうのが人間の性なのです。たとえば、今すぐにお金を受け取ればそれを元手に商売することもできますし、投資や預金によってお金を増やすこともできます。また将来も相手がその約束を守ってくれる保証もないですから、今すぐにもらったほうがリスクは低くなります。
ですから、将来のお金を現在のお金に換算するときは、将来のお金を割り引いて換算する必要があります。この時間割引率が1〜2%を超えれば、全世界同時炭素税は費用が便益を上回る結果となってしまいます。

2.将来世代の問題を現代世代が負担すべきか

現代世代に負担をしいてまで将来世代を救済すべきなのかという問題もあります。そもそも民主制はその構成員の既得権益を保護するシステムですから、その構成員以外(構成員のまだ生まれていない子孫)を保護することには制度上無理があります。

3.2.5℃未満の気温上昇はメリットの方が大きい

イェール大学経済学部教授メンデルゾーンは「温暖化は、高緯度地域の国には大きな利益をもたらし、中緯度地域の国も2.5℃未満の平均気温上昇であれば利益を受ける。以前に指摘されていた程度の被害を短期的に受けるのは、熱帯と亜熱帯の国だけだ」と主張しています。*3

4.熱帯と亜熱帯の国が真に必要としているのは温暖化対策ではない

たとえば地球温暖化による悪影響としてマラリアの流行が懸念されます。たしかにその被害は甚大です。

IPCCによれば、特にマラリアについては、3〜5℃の温度上昇により、熱帯、亜熱帯のみならず、日本などが属する温帯を含めて、5000〜8000万人程度、患者数が増加するおそれがある。なお、温帯地方では、マラリアを媒介する蚊の数が10倍以上増えると予想される。*4

しかしこれはあくまでも将来における被害であり、同じ熱帯地域の途上国は現在においても深刻なマラリアの被害に合っています。本当に温暖化による悪影響を心配するなら、まず目の前の惨状からなんとかすべきでしょう。ロンドン大学医療経済学教授アン・ミルズとロンドン大学衛生・熱帯医学大学院研究員サム・シルカットは以下のように述べています。

気候変動によって悪影響を受けることになる世界最貧の数カ国にとっては、HIVエイズや飢餓、マラリアといったことのほうがずっと差し迫った問題であり、解決できた場合の効果が大きいのだ。(中略)

  • サハラ以南アフリカの5歳未満の乳幼児のうち、殺虫処理済みの蚊帳を使用する子供の割合を、現在の推定2パーセントから70パーセントに増やすと、年間費用が17億7000万国際ドルになるのに対し、180億ドル近くの便益が得られ、費用便益比率は10となる。これによってさらにマラリア侵淫地域の6000万人の子供たちをマラリアから守ることができる。
  • 所産の妊婦の90パーセントに二段階のマラリア予防治療を行うと、年間約500万人の母親とその新生児を守ることができる.2002から2015年にこのために必要となる費用は5億国際ドル未満であるのに対し、便益は62億ドルで、費用便益比率は12.1である。*5

環境の不可逆的な変化の弊害は、結局はそれによって生じる人命の損失です。しかし現に起きている人命の損失も、当人にとってみれば不可逆的な変化なのです。つまり、どちらも「どれだけの人が不幸を回避できるか」という経済問題なのです。
地球温暖化の影響はマラリアの被害拡大の他にも、海面上昇、砂漠化、異常気象、農作物被害、生物の多様性への脅威などが挙げられますが、その全ては経済問題です。「地球にやさしく」といったイメージで語られることが多い環境問題ですが、その本質は環境が悪化すると人間が困るという経済問題なのです。ですから、地球温暖化による悪影響だけを特別扱いするのではなく、世界が現在抱えている問題と同等に扱い、最も効果のある対策から始めるのが理にかなっています。
以上をふまえると、世界的に炭素税を導入することも、京都議定書を守ることも、世界にとってはあまり有効なプランではないと結論できます。

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*4:環境庁「平成9年版環境白書」

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