隷従への道 / ハイエク

そろそろこの名著を紹介しておこう。  
世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼 - Zopeジャンキー日記 はてなブックマーク - 世界を上下に分けて下に味方するのが左翼、世界をウチとソトに分けてウチに味方するのが右翼 - Zopeジャンキー日記 でリバタリアニズムが支持されているのは「なにが正しいかはわからない。だから権力や暴力でなにかを強制するのでなく、自由にやってもらうしかない」という理由だった。
しかしさらに重要な理由は、何が正しいかについて大方の合意ができたとしても、そしてそれがみんなの善意に基づくものだとしても、人類はこれまで正反対の結果を量産してきたという事実だろう。たとえば格差のない福祉社会とか言われても誰も反対しないだろうが、そうしたスローガンのために国家権力が使われた結果は悲惨なものとなった。計画経済(計画化)を批判したハイエクによれば、全体主義福祉国家をめざす純朴な人びとがまねいた予期せぬ誤りであった。

ハイエクは、全体主義を集産主義の一形態とする。それは、一定の社会目標のために社会の全資源(労働力を含む)を意識的に組織化するものである。この社会目標は一般福祉だともいわれるが、その定義はあいまいである。welfare state と言われても、その内容は無限の組み合わせが可能であり、目的の序列(各人の欲望それぞれがどれくらい重要で価値があるのか、というコンセンサス)が必要である。だが目的の序列は存在しない。(主張1)
さらに、福祉の実現必要な情報を知りつくすことは誰にもできない。最も利他的な個人ですら、全体の欲望を理解し、順序づけることはできないだろう。(主張2)
主張1・2により、国家の直接統制は、それがいかに万民の幸福のためと喧伝されても、目的についての同意がなく行われる。目的についての同意がないので、結局は官僚や一部の専門家が信じる「望ましい目的」のために直接統制は行われる。つまり福祉国家とは、目的未定のプロジェクトを強制的に行わせる建前を官僚に与える、民主制とは相いれない理念なのだ。だから福祉国家は、もともとのプランがたとえ個人の自由の制約が軽微なものであっても、官僚を肥大化させる過程で予想外の人権侵害を発生させてしまう。
本書はファシズム社会主義の暴走をたまたま起きてしまった悲劇だとはこれっぽっちもとらえていない。それは、福祉(welfare)を望む善良な人たちが、その実現のために自分の自由を国家に預けてしまったことの必然的な結果だというのだ。地獄への道は善意で舗装されている。なんとも気に食わない教訓に聞こえるが、しかし数多の血が無駄に流された20世紀最大の教訓であろう。