この国には何でもある。だが、希望だけがない――村上龍「希望の国のエクソダス」

傑作。日本の教育には問題点が主に2つあって、それは「いじめ」と「学校教育が社会に出て役に立たない」というものです。村上龍はこれらの2つの問題を抜本的に解決するために、全国の中学生が一斉に不登校になればいいと主張します。荒唐無稽に聞こえますが、これはなかなか鋭い問題提起です。
学校という閉鎖空間でなければ、いじめられっ子も逃げやすいし、いじめっ子の方もゲームやカラオケといったエンタメが他にあるので、わざわざイジメなんてしなくなるでしょう。
また学校の勉強なんて社会に出たら役に立たないというのなら、勉強なんかせずはじめっから社会に出てビジネスを始めればいいわけです。もし勉強が本当に有用ならば、ビジネスの過程で必要になったスキルから順に勉強していけばいいだけです。たとえばマーケティングをやろうと思ったらその段階で数学やら統計学を勉強すればいいわけです。また、プログラミングみたいに既存の教育制度では必修になっていないスキルもあるでしょう。
結局、いい大学に入っていい会社に入れば一生安泰というロールモデルが崩れた今、それでも「いい大学にとりあえず入れ」としか言えない親も教師も、ばっかじゃねぇの? という話なのです。

日本経済はまるでゆっくりと死んでいく患者のように力を失い続けてきたが、根本的な原因の究明は行われず、面倒な問題は常に先送りされた。メディアはそのことを批判したが、メディア自身にビジョンが欠けていたので、その批判は単に一時的なガス抜きの効果にとどまり、致命的な病巣を抱えたままの日本経済を結果的に支えることになった。つまり誰も本当の危機感を持てなかったのだ。*1

ゆっくりと死んでいくような閉塞感に襲われているのは、日本経済だけでなく、子どもたちもです。その子どもたちが、既存の教育制度を否定してビジネスを始め、日本経済にとっての希望をつくるという本書は、とても魅力的な本です。多少陰謀論めいたところや、空想的なところもありますが、それを補って余りある、刺激的な一冊です。


とある中学生のエクソダス

少し恥ずかしいのですが、自分語りをします。僕がこの本によってどれだけ人生が変わったか、ここに記しておきたいのです。僕は中学生のときにこの本を読んで真に受けて、マジで学校をやめようと思い立ちました。折しも僕は気のやさしい典型的いじめられっ子だったので、このままじゃ殺すか殺されるかのどちらかだなとか思ってました。寮に入っていたので学校でもいじめられ寮でもいじめられ、というか24時間気の休まる時間が一切ないという状況で、上司のパワハラによって過労自殺するブラック企業社畜ってこんな感じなんだろうなとか、ぼんやり考えていました。
いじめ問題の難しいところは、先生にチクればそれで解決と簡単にいかないところにあります。生徒の間にも暗黙の秩序があって、たしかにいじめは悪だが、それを先生にチクるのはよりアンフェアというルールがあるのです。だから、いじめられっ子が取れる唯一の解は、先生を通した和解ではなく、逃亡です。
しかしただ逃亡するのはカッコ悪い。この際、転校とか生ぬるいこと言ってないで、いっそ学校を中退して手に職つけよう。ウェブデザイナーとか面白そうだし、もうそれでいいや。「希望の国エクソダス」でも若いうちからプログラミングやった方が物になるって言ってたしな。……というわけで、僕は中学校からのエクソダスを画策したのです。
当然、親は猛反対でした。今でも記憶に残っているのですが、父が「何を小便くさいこと言ってるんだ。大学までいかないと選択肢が狭くなって大変だぞ。いいからまずは大学出ろ」と怒涛の勢いで叱ってきました。僕は人生の中でこれほど強く自分の考えを主張し、そしてそれを全否定されたのは初めてだったので、顔に血が上って、現実感が失われるほどの尋常でない怒りを感じました。そしてその怒りには、自分はこんなに苦しんでいるのにそのことをこの連中は決して理解しないのだろうという恐怖も含まれていました。
それから結局どうなったかというと、妥協案として僕は寮を出るものの学校には通うことになりました。プログラミングの勉強は独学でやることにしました。しかし、プログラミングは向いてなかったせいか三カ月で飽き、もともと勉強はできたのでそのまま現役で一流大学に合格しました。その後も大企業に内定をもらい、まさに昔の僕が唾棄すべきロールモデルと罵っていた「いい大学に入っていい企業に入る」を体現してしまいました。
しかも、今さらながらもっとちゃんと勉強しておけばよかったと後悔しています。たしかに学校教育には無駄は多いかもしれませんが、無駄が多いことは必ずしも無益を意味しません。とくに自然科学をやるなら数学・英語をひたすら詰め込んで基礎体力を作るのは重要です。僕は数学が苦手だったし、学校教育自体をバカにしていたので、試験で点数取りやすい文系に安易に流れましたが、やっぱり理系に行ってナノテクか脳科学の研究者を目指せばよかったな、と今では思います。とくにレイ・カーツワイル「ポストヒューマン誕生」を読んで、やっぱり世界を変えるのは理系だよなあと思っています。
だから「勉強が社会に出て何の役に立つかわからなくても、とりあえず大学まで行って選択肢を広げろ」という父のアドバイスは結局正しかったのでした。悔しいですが、僕は考えの浅い世間知らずのガキでした。
というわけで、このブログを読んでいる中学生のみなさんにはこうアドバイスしたいです。本を読め、世界を広げろ、学生のモラトリアムを利用しろ、と。たしかに学校の勉強とかクソみたいにつまんないし、実際社会人になってみたらクソみたいに役立たなかったというリスクはあります。だからといって、誰もが学校教育に向いてないわけではありません。たしかにプログラマーとかになりたいんなら学校やめてもいいかもしれませんが、とりあえず保険として学歴を持っておくのもいいと思います。
はあ、こうしてみると、僕も結局は凡庸で保守的でカッコ悪い大人になってしまったのだなあ、としみじみ思います。「希望の国エクソダス」に出てきたようなカッコいい変革者にはなれませんでした。しかし、細々とながらも自分の目標に向けて生きていきます。今の僕の希望については、次の2つのエントリを読んでみてください。

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