僕たちは愚民である――ブライアン・カプラン「選挙の経済学」がすごい part1

選挙の経済学
鳩山政権がほぼ何もしなかったに等しい8カ月を終えた後、管政権になったとたん支持率が急回復して、一体この国の人たちは何を考えているんだと不安になった。経済政策のダメさ加減では鳩山も管もどっこいどっこいなのに、いくら期待をこめての支持とはいえ、ちょっとひどい。こうした状況にたいして「政治にもっと民意させろ」と説く人もいる。しかし本書では皮肉なことに「民意を反映させても国民の利益にならない」とデータで示している。




1.合理的選択理論(Rational Choice Theory)

「投票者はすべて利己的である。よって自己の利益を最大化するという選好をもっている。投票行動においても、すべての有権者は利己的=合理的に行動する」という理論。利己的投票者仮説が元になっている。政治学者の多くがこのアプローチを採用している。この合理的選択理論からは2つの仮説が導き出される。

1.合理的棄権仮説


小選挙区1区には約30万人もの人がいる。よって自分の1票の価値は30万分の1しかない。これでは投票しても投票しなくてもたいした違いはない。よって合理的な有権者は棄権する、という考え。
1票の価値が小さくても、選挙の争点が自分にとって重大な場合や、1票の価値が高い接戦の場合は、合理的に投票にいくことが予想される。極端な事例では、候補者Aに49.5%、候補者Bに49.5%の票が集まっている場合は、残りの1%の人の票が選挙の結果を左右していることになる。この1%の人の人数が100人だったら、この100人の票の価値は30万分の1ではなく、100分の1である。

2.合理的無知仮説


選挙の左右できる確率がものすごく低いので、合理的な有権者は選挙についてあえて何も考えない、という考え。
政治リテラシーを上げる労力(コスト)とそれによって政治が自分に都合がよくなる可能性(パフォーマンス)を考えると、コストパフォーマンスはかなり悪い。よって政治に関して無知なのは合理的である。

2.「合理的な非合理性」理論

「投票はすべて利己的である。よって自己の利益を最大化するという選好をもっている。ここまでは合理的選択理論と同じだが、有権者の利益は多様性をもっていると経済学者カプランは主張する。つまり、有権者にとっての利益とは金銭的な利益だけではなく、自分の信念を満足させる心理的な利益も含めると考えられる。有権者は、自分の信念への選好を持っている。
たとえば、自由貿易が自国と相手国の双方の利益になるにもかかわらず、保護貿易を望む有権者は多い。ここでは、「有権者は自己の利益を最大化するという選好をもっている」という仮説ではうまく説明ができない。だが、「有権者は自己の信念を満足させる選好をもっている」とするならば、うまく説明できる。市場メカニズムは人間の直感と反するので、不愉快な真実を無視して、自己の直感どおりに行動するのは、合理的である(比較優位の考え方が納得できない学生は多い)。
このように、非合理的なバイアスのもとで、合理的に人間は行動するという考えを、合理的な非合理性と呼ぶ。

ではなぜ、経済学は人間は合理的に行動することを前提としているのに、投票において非合理性を認めるのか。その理由は、市場(つまり世間一般の活動)において、非合理的に行動することはコストが高いからである。労働者・経営者は自分にとって不利な行動をする自由をもっているが、たいていそれを実行することはない。そんなことをしても損をするのは自分であるし、わざわざ自分から損をするような人は自由競争の中で淘汰されてしまう。
しかし、政治(投票活動)において、非合理的に行動することのコストは異常に安い。どんなに非合理的な投票でも、もともとの投票の価値が30万分の1なので、ほぼ実害はない。このコストの安さが、有権者に非合理的に行動することを止めさせない。