僕たちは愚民である――ブライアン・カプラン「選挙の経済学」がすごい part2

前回のエントリで説明したように日常生活においては明晰な僕たちも、こと投票箱の前ではいかんなく愚民っぷりを発揮する。だが、その愚かさにもかかわらず民主主義は一応機能しているように見える。この理由はなんだろうか。

3.集計の奇跡

そこで思考実験だ。ここにバカな投票者で100%みたされた選挙区があるとしよう。小選挙区制で二大政党制である。この場合、バカはランダムに投票するので、政党Aに50%、政党Bに50%の票が入る。つまり、政策は適当に選ばれる。バカに民主主義をやらせることはできない、という寓話だ。
さてここに、バカ99%、まともな人1%の選挙区があるとする。この場合も、バカはランダムに投票するので、政党Aに49.5%、政党Bに 49.5%の票が入る。すると、1%のまともな人がキャスティングボードを握ることになり、1%のまともな人が選択したまともな政策が、全体で選ばれることになる。仮に大半がバカな有権者でも、そのうち一握りさえまともな人がいれば、民主主義は衆愚政治に陥らずにすむのだ。これは集計の奇跡と呼ばれている。


4.合理的選択理論において集計の奇跡がおきない理由

待て、現実に集計の奇跡は起きていないじゃないか、とあなたは思うはずだ。この理由を合理的選択理論においては、投票活動に積極的な一部の人の意見が過剰に反映されているからだと考える。特定利益団体の問題だ。
コストが分散し、利益が集中すると、自分たちの利益を確保するために人々は団結しやすい。これが特定利益団体である。大企業、郵政政策研究会、建設、軍恩連盟、看護連盟、日本医師会、農協などだ。逆にコストも利益も分散すると、誰も興味をもたないので利益団体は形成されない。つまり多数派の一般的な利害が反映されず、少数派の利害の方が反映されるというデモクラシーにおいて奇妙な現象が起こるのだ。
特定利益団体は組織票と政治献金、官僚OBの天下り受け入れなどによって、政治に大きな影響力を及ぼすことができる。有権者が合理的棄権によって投票に行かなければ、その分だけ特定利益団体が持つ1票の価値は大きくなる。また有権者が合理的無知によってランダムに投票するならば、その分だけ特定利益団体がキャスティングボードを握ることになる。
一般論だけ語ってもしょうがないので日本の特定利益団体をばっさり斬る本を2冊紹介しよう。


高橋洋一「さらば財務省!」は、郵政改革の当事者が郵便局という特権団体について分析しており大変面白い。郵政が民営化される前の郵便局というのは、社会主義者が革命のあとに訪れると約束したユートピアのような場所だった。つぶれる心配のない国営企業で終身雇用が保障されており、その上特定郵便局長世襲までできた。当然その楽園のコストはすべて納税者が負担していた。All their cost are belong to usだったのだ。それを潰したというだけで小泉・竹中の郵政民営化は評価してもいい。

山下一仁「農協の大罪」は、規制緩和の話になるとたいてい「弱者切り捨てはんたーい!」と叫ぶ農家の話。たとえば減反は消費者からすると、コメの生産量が減ってその分価格が高くなるので迷惑なだけなんだけど、弱い農家を守るためだという理由であまり反対されない。
しかし農家の大半はサラリーマンもやってる兼業農家なので弱者というより富裕層に近い。小さな畑で細々と農業をやっている零細農家ときくとそのイメージは「貧農」だが、その実体は平均年収は792万円の富裕層だ。一方、全世帯の平均年収は597万円。
つまり経済的弱者であるふつうのサラリーマンが、自分たちよりもリッチな農家に毎年2000億円にも及ぶ補助金を税金ではらってあげているのが現状なのだ。 美しい国日本としか言いようがない。