「初音ミクによる統治」とか言い出すのはデモクラシー原理主義の病

濱野智史が「もう初音ミクが出馬するべきでは」と言っています。言い分はこうです。そもそも民主制(デモクラシー)なんてものは、自分たちのことは自分たちで決めるというだけなんだから、誰か代表を選んでその人に統治を任せるなんていうのはちょっと変だ。固有の頭を持っている分、独自の裁量でなにをやるかわからない「人による統治」よりも、自分たちの意見が直接政策を決めるような「理念による統治」のほうが望ましいんじゃないか。しかし誰かに主権を委任しないことには運営上いろいろと大変なので、理念を体現したキャラによる統治がめざすべき民主制のあり方となる、と。


ここにあるのは、間接民主制よりも直接民主制のほうがより民意を反映できている分すぐれているという思想です。現状では、主権者の意見をそのまま代弁するような存在がいないので、じゃあそういう存在をキャラとして作っちゃえ、というわけですね。*1

デモクラシー原理主義市場原理主義

選挙の経済学
このニコ生をみていて参加者が「ありとあらゆる問題はデモクラシーが完璧でないがゆえに起こりうる」ということを前提にしていると感じました。だから問題解決は「いかに民意を反映するか」ということになります。現状の代議士が自分たちの意見を反映せずにクソみたいな運営をしているとなると、じゃあ自分の裁量を一切もたない初音ミクに議員になってもらおう! というのも選択肢として出てくるわけです。
しかし、僕が懸念しているのは、「民意を反映すればするほど、間違った政策運営がなされるだろう」ということです。カプランは「選挙の経済学」において、投票者には反市場バイアスがあり、自分の首を絞めるような愚策を平気で選んでいることを統計的に示しました。そして「すべての社会の病はさらなる民主化によって治癒されうる」という思想を、デモクラシー原理主義だと批判したのです。

「すべての市場の病はさらなる市場化によって治癒されうる」と言う人がいれば、その人は、最悪の市場原理主義者と風評されるだろう。なぜ、そうした御都合主義がまかり通るのであろうか。市場原理主義と違って、デモクラシー原理主義は広く一般に浸透しているからである。

もちろん、市場原理主義もデモクラシー原理主義と同じくらいナンセンスです。しかし生身のデモクラシーでは、有権者は自己の持つバイアスのせいでまともな政策を選択できないことは事実であり、こうしたバイアスを是正することでしか僕たちの生活は豊かにならないでしょう。

解決策1:有権者を賢くする

カプランは投票者の経済リテラシーを高めることが衆愚制を回避するために必要だと主張します。ただ一人一票の原則は憲法上の要請でもあるので、実際には3番目のプランしか現実的でありません。

  1. 経済リテラシーの高い高学歴者・高額納税者に、複数の投票権を与える(複数選挙制)
  2. 経済リテラシーの高い高額納税者にのみ選挙権を認める(制限選挙制)
  3. 経済学を義務教育化する

解決策2:有権者を誘導する

たとえば小泉の郵政解散のときはこのケースでした。経済政策を争点にして解散し、経済学的に正しい政策をマーケティングの技術を使って有権者に魅力的にみせる。一方で、経済学的に間違った政策を主張する政治家・政党を「悪者」扱いする。そうして現状の反市場バイアスを打ち消すような、市場志向バイアスを有権者に植え付ける。しかし、小泉ぐらいしかできないんじゃないかとも思います。同じことがみんなの党河野太郎にはたしてできるだろうか。

解決策3:熟議民主主義

鈴木寛が「三鷹第四小学校一年一組のことは、文部科学省副大臣の僕にはわからない。官僚にもわからない。教育委員会にもわからない。わかっているのは担任や保護者といった当事者だ」といったことをニコ生で言っていました。そして、当事者でもない人間がいくらトップダウンで決めたところでどうしようもない、むしろ現場にいる人間たちで話し合って決めてもらったほうがいい、と言います。これもまた間接民主制よりも直接民主制のほうがすばらしいというあの思想なわけですが、鈴木寛のアプローチでは当事者同士が議論することによって当事者が持っている誤った信念が妥当な信念に変わることがポイントです。つまり議論を通して有権者のバイアスが打ち消されることが期待できるのです。
たとえば三鷹第四小学校一年一組のことを何も知らない教育委員会のおっさんが議論しても、くだらない結論しか引き出せないでしょう。しかし三鷹第四小学校一年一組の担任や保護者が、当事者として議論したら、その民意は政策的にもまともな民意になっているはずです。なにせ自分のことですから、誰だって真剣に議論します。
僕の暫定的な結論は、とりあえず「経済学の義務教育化」・「地方分権による熟議民主主義の場を増やす」のセットですかね。

*1:もちろん、キャラといえどもその実際の運営は生身の人間がやるわけであり、そうした運営者たちの恣意が入ってしまうことは十分ありえます。そうした実現可能性も考えるとキャラクラシーはダメダメだと思うのですが、ここではとりあえずその話は置いておきます。