センス・オブ・ワンダーの定義

SFの良さを語られるときによく使われる言葉NO.1が「センス・オブ・ワンダー」です。この曖昧な概念をちょっとここで整理しておきましょう。それと「書評とはこうあるべきだ」というなんちゃって批評論も展開します。

センス・オブ・ワンダーとは

多くの人がこのキーワードについてああだこうだ言っておりますが、個人的にセンス・オブ・ワンダーの定義でもっとも共感できたのはクリストファー・プリースト「逆転世界」の解説です。一言で言うと「認識の変革」だそうです。

認識の変革は、通常の境界を越えて、オールド・ウェーブにもニュー・ウェーブにも、ヒロイック・ファンタジーにもハードSFにも、ジャンルSFにも主流作家によるSFにもひとしなみに見られる。あまりにも強迫観念じみており、SFの感動と情熱にあまりにも密接に結びついているので、人間の根深い欲求――さらに遠くへ手を伸ばしたい、心の呪縛から逃れたたい、止まるより動いていたい、そして理解したい――が、そのまま形になったかと思えるほどだ。SFは何よりもまず、知的に満たされたい人びと、人間の生命がこれだけのものであるはずがないと感じる人々の文学である。SFの成熟はそこにこそあるのだが、奇妙なパラドックスによって、それがまた、いつまでも青くさい若者の憧れとも見えるのである。


そうそう。そうなんですよ。


センス・オブ・ワンダーの乱用について

で、なんでいまさらこんなことを言い出したかというと、以下のエントリを読んでちょっとびくっとしたからです。

「センスオブワンダー」を金科玉条のごとく振りかざす人がいたら、その人はあまり信用しない方がいい。
勝手にSFだけでハヤカワ文庫100冊 その10 現代SF――「現代」ってなんのこっちゃ?(69〜75) - 万来堂日記3rd(仮)

>「センスオブワンダー」を金科玉条のごとく振りかざす人がいたら、その人はあまり信用しない方がいい
それそれ。この「センスオブワンダー」はひどく曖昧な、人によって千差万別な意味をもたされていることばだと思います。その曖昧さを利用して、自分に都合のいい解釈をしたりしてしまわないように気をつけたいものです。フェアな評者なら、こういう意味の広すぎる用語は作品評価のためには使わないか、使う場合にも限定的な定義を与えてからにするでしょう。
「乱鴉の饗宴」途中経過 : 族長の初夏


はい。私のことですね。ただ少しだけ言い訳させもらうと、あんまり乱用した覚えはないんですよ。もちろん感動した作品には「センス・オブ・ワンダー」や「リアリティ」なんてラベリングで済ますことなく、多種多様な言葉で賛美させてもらってます。けど凡作にも同じだけのコストと時間をかけるのは無駄だと思うし、はっきり言ってめんどくさいんですよ。そりゃたしかにカート・ヴォネガット「タイタンの妖女」フィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」などの作品はたいした感動もしなかったにもかかわらず長々と考察しました。でもそれは古典として名高い作品だったから、なんとなく気分が乗って書けたというだけで、無名の凡作にも同等の愛情を注ぐことは私にはできません。
だからそういった駄作には「リーダビリティは高い」「エンタメとしては楽しめた」という安易なレビューも辞さない構えですし、そのことでいくら批判を受けようとも慎んで聞き流します。
でも。でもですよ。文学という先輩ジャンルだって《文学性》というわけのわからない概念を振りかざして今日も楽しく支離滅裂な文学談義をやっているのに、なにもセンス・オブ・ワンダーだけ槍玉にあげなくてもいいじゃんと思うんですよ。《文学性》と比べたらまだ方向性のはっきりした概念なんです。センス・オブ・ワンダーは。だからこの便利なツールを手放す気にはなれません。
しかし、いつまでもセンス・オブ・ワンダーにだけ頼っているのもあれですし、他のリアリティやリーダビリティなどもふまえて総合的に判断したほうがいいでしょう。というわけでそういった諸々の因子を数値化してレーダーグラフを作ってみるのもいいかもしれません。




しかしこれには致命的な問題が3点あります。

1点目:どの因子をグラフに反映するかという問題

そもそも本の評価基準が6つにまで絞れるというのがおかしいわけですし、また私のように「ギャグ」や「思想性」で小説を批評するという人はあまりいないでしょう。


2点目:各因子の定義の問題

さらりと思想性なんて書いていますが、これはわかりにくい概念ですよね。説明します。これはメッセージ性とも言い換えてもいいんですが、どれだけ評論家が喜びそうなネタを使っているかということです。要するに「高尚」で「深遠」で「有用」な思想があればいいということです。
ただこれはどれをとって「高尚」とするかというややこしい問題も抱えています。たとえばアンパンマンバットマンダークナイト)では、バットマンのほうが思想的に軍配が上がりそうですが、アンパンマンのほうがより思想的であると深読みすることだって可能です。また「有用」と思想性を結びつける考え方自体がすでにプラグマティズムにどっぷり浸かったものなので、客観的な定義とはいえません。何をもって思想的であるとするかも難しい問題です。


3点目:グラフの与える印象の問題

このグラフの面積は、「この点だけは10点だけど他はダメダメ」というとがった作品より「満遍なく5点以上」という平均的な作品のほうが大きくなってしまいます。これは要するにインパクトのある問題作よりも、そこらへんにある凡作のほうを高く評価するということで、いただけません。
たしかに朝食用のシリアルならどの要素も満遍なく摂取できるバランス型のほうが好まれます。他の栄養は全くないけどビタミンB1だけは莫大な量が含まれてるなんていう製品があってもまず売れません。そんな食の安全をおびやかしそうな商品は市場から静かに消えていくだけです。
しかし、こと本に限ってはそんな栄養バランスは必要ありません。全ての基準で高得点をマークする出木杉君じみた傑作もあるでしょうが、ほとんどの小説にそうしたポテンシャルはありません。でもそんな二流の作品の中でも印象に残るのは、やっぱりどこか光るところのある作品であり、全体的に可もなく不可もなくみたいな作品ではないのです。


というわけで書評というものは突き詰めて考えていくと次から次へとファッキンな問題点が噴出する厄介なものなのです。だから細かいことは気にせずに感情のおもむくまま書きなぐったほうが案外いいかもしれませんね。