好き好き大好き超愛してる。 / 舞城王太郎

舞城王太郎の恋愛小説。不治の病に冒された女の子を看取る話。
「恋愛ってこういうもんだよねー」という考えをそっくりなぞるような恋愛、そんな既製品じみた恋愛を批判した恋愛小説。そしてその批判をもとにして作家の主人公が恋愛小説を書くというメタフィクション「セカチュー」と比べるのが可哀そうなくらい面白い。
これはメタ化された人間関係について語った小説です。メタ化された友人関係に悩む中学生を例に、主人公はこう説明します。

「メタ化された友達」というのは、相手と自分の間でお互いにとっての「友達」というものの役割が同一のものとして共有されていること、つまり「友達とはこういうもので、こういう場合にはこうするもの」という共通理解がされてしまっているということだろう。(中略)相手が(自分が)気持ちとしての友情から全てをしているのか、「友達」としての役割を演じるためにそうしているのか、うまく判断がつかなくなっているんだろう。「友達とはこうするもの」という意識は「こうしておけば友達として間違いがない」という気分も作り、そうするとなにか相手に手を抜いてるような(手を抜かれているような)気分になって、いかにもその「友達」や「友情」が偽物めいて感じられてしまうんだろう。

たとえば、友達が若ハゲで悩んでいるとします。いやあ正直きついわ、と内心では思いながらも「友達」としてフォローしたり、あえてそのハゲを茶化すことで一種の持ちネタへ昇華させ場を盛り上げたりします。ここでふと思うわけです。自分はこいつのことが好きだからフォローしているのか、別にそんな好きじゃないけど、「友達」として空気読んでフォローしているだけなのか。こういう悩みはけっこう共感できるんじゃないかと思います。
つまり人間関係を一種の虚構、「友達」というキャラに還元してしまっていいのか、ということです。この虚構性に悩んだ主人公は、作家として次のテーマを小説に書こうとします。*1

《キャラ》に与えられた定めとは何なのか、《定め》を乗り越えるためにすべきことは何なのか、《乗り越えた》ところに何があるのか

このテーマはそのまんま「好き好き大好き超愛してる。」のテーマでもあります。
正直言って最高の恋愛小説でした。もともと恋愛小説で感動することはほとんどなく、たとえ感動したとしても恋愛とは別の部分で感心してるだけだったんですが、本書ではまさに恋愛そのものに感動できました。メッセージを語りすぎなところもあり、ちょっとくどいですが、淡々とした小説よりは断然マシ。奥深い内容なのできっと読み返すたびに発見があるんだろうなあ。

ドリルホール・イン・マイ・ブレイン

現実と妄想が交錯する話。面白ことは面白いが少々ぶっ飛んでる。田口ランディ「アンテナ」のような抽象的でフェティッシュなエロさがあります。この作家は冒頭から才能を感じますね。のっけから引き摺り込まれます。あとギャグが秀逸。地の文でツッコミをいれるのが面白かったです。
とりあえず感想だけで。もうしばらくしたら考えがまとまって追記するかもしれません。

*1:柿緒のパートだけが現実で、他は全て主人公が書いたフィクションなんでしょう。