奔馬―豊饒の海・第二巻 / 三島由紀夫

三島由紀夫は「豊饒の海」の第四巻の原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地に日本刀を持って突入し、総監を監禁する、クーデターを促す演説をする、そして割腹自殺をする、という謎の行動に出て変に有名になってしまった人です。
しかし市井の人間には意味不明な行動にも、その内部にはそれなりのロジックがあったわけで、この小説を読めばそれはわかります。この小説の主人公も、天皇を信奉し、その忠義ゆえに違法な暴力に訴え、切腹するのです。
面白いのは、この主人公は自身の夢を「自分の行動によって国を変える」ことよりも「切腹する」ことにあると自覚している点です。是が非でも美しく生きなければならず、それは美しく死ぬことによってのみ達成されるという強い意志があるのです。

こうした右翼の青年で主人公と同じように、要人を刺殺した人はいました。沢木耕太郎「テロルの決算」で紹介された、山口二矢なんかもそうでしょう。しかし、その動機はあくまでも「国家の変える」ためであり、殺人は手段でしかありません。まして切腹する理由なんかありません。
しかし、三島の示す美学は、切腹のための手段として国家=天皇への忠義を示すみたいなところがあり、それ本当に忠義なのか? と疑問があります。死にたいなら軍に入ればいいわけだし、政治の腐敗を正したいなら政治家になればいいわけですよ。だから結局、この主人公は自分の美学(作中の言葉で言えば「純粋」)のために生き、そして死んだわけで、そこには他者あるいは社会への共感・想像力が無いのです。この点は作中でも本多によって言及されています。
まあ、だからといって、この主人公を幼稚だと言いたいわけではありません。たしかに、本多にとってみれば主人公は「人生」におけるちょっとした過誤でつまづいただけです。これから彼の「人生」はまだまだ挽回できます。
しかし「人生」の問題などというように一般化できるものは実はなく、そこにはただ「あなた」の問題があるだけなのです。それがどんな悪い「人生」に見えようと、それが「あなた」にとって大したことないなら問題ではありません。ただ「あなた」は自分の問題にのみ誠実に向き合わなくてはいけない。こうした意味で、主人公は誠実すぎるほど誠実だったのです。



おまけ。今回の気にいった文章の紹介。

人は共通の思い出について、一時間がほどは、熱狂的に話し合うことができる。しかしそれは会話ではない。孤立していた懐旧の情が、自分を頒つことのできる相手を見出して、永い間夢みていた独白をはじめるのだ。おのがじし独白がつづけられて、しばらくすると、急に今の自分たちは語り合うべき何ものも持たぬことに気づく。二人は橋を断たれた断崖の両岸にいるのである。*1

*1:68p