資本主義と自由 / ミルトン・フリードマン

貧困とか格差について語るならせめて読んでおいてほしい名著。そもそもメディアでは貧困問題と格差問題を区別せずにいっしょくたに議論されているが、この両者は全く別物だ。前者は「絶対的貧困があり、それをセーフティネットによって拾い上げよう」というものだ。後者は「相対的格差があり、それをセーフティネットによって縮めよう」というものだ。
フリードマン相対的格差は問題とすべきではないと考える。そうした「結果の平等」を求めるパターナリズムでは、より生産的な活動をして上へ行こうというインセンティヴを殺してしまう。他人を蹴落とす競争なんてけしからんなどと反感をもつ人もいるかもしれないが、「もっとすごいものをつくって儲けよう」という個人の利己心が莫大な富を社会にもたらしてきたのだが歴史なのだ。どんなに手を抜いて生きても「結果の平等」が保障されるのなら、結局、旧社会主義圏が直面した経済の停滞につながってしまうだろう。

負の所得税はもっともマシな貧困対策

貧困問題も「結果の平等」を求める点では変わらない。しかし、それは最低限の「結果の平等」しか求めておらず、その線引きは客観的に定めることができる。どこまでも平等化が進んでしまう格差是正よりも、個人がもつインセンティヴを傷つけずにすむ。
フリードマンが貧困問題の解決策として提唱したのは負の所得税だ。わかりやすく言うなら一種のベーシックインカムである。*1 
そしてなぜ負の所得税でなければ貧困問題を解決できないかというと、それが行政の介入が少ないセーフティネットであるからだ。例えば、現行の生活保護制度では、受給のために財産を持ってはいけない・親戚づきあいがあってはいけないといった拘束がある。さらに生活保護に予算を圧迫されたくない自治体が水際で受給を阻止してしまうケースがある。生活保護制度の捕捉率は2割程度と言われている。つまり本当に生活保護が必要な人のうち実際に受給を許されなかった人が8割いるということだ。(飯田泰之「経済成長って何で必要なんだろう?」参照)  またいったん受給を認めても自治体職員が「働く意思を示せた」と認定しさえすれば、受給を打ち切ることができてしまう。北九州市で男性が生活保護を打ち切られて餓死した事件は記憶に新しい。行政の裁量に任せると危険なのだ。
さらに貧困が固定化してしまうという問題もある。現状では、働くと生活保護が打ち切られてしまうので、いつまでも貧困のまま働かないことが合理的になってしまう。負の所得税なら、働けば働くだけ収入が増えるので、働くインセンティヴを壊さずにすむ。

なぜ貧乏でもない人でも負の所得税を支持するか

また貧困にはフリードマンが主張するように負の外部性がある。貧困が招く犯罪・テロのリスクを考えると社会全体が負担をしてセーフティネットを作ることは合理的だ。また費用便益分析上、コストパフォーマンスがいいという理由だけではなく、一種の保険として考えてもいい。誰もが不慮の事故により働けなくなるリスクをもっている。また子どもを持とうとする親なら、自分の子どもが障害により働けないかもしれないというリスクをもっている。そうしたリスクにたいして、税金という名の保険料を払ってでも備えたいという人は多いだろう。

*1:基準額が300万円・負の所得税率30%とする。年収0円なら、(300−0)×0.3=年90万円がもらえる。つまりニートにとっては年収90万円のベーシックインカムと同じである。年収100万円なら、(300−100)×0.30=年60万円もらえる(100+60=160万円使える計算だ。)