心壊サミットはジャイアンの敗北

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これは「僕」=ジャイアンとして聞いてみると面白い。「僕」が調子こいて「君」をいじっていたら、「君」がその主従関係を裏切ってコントロールできなくなる。ここで「僕」には2つの選択肢が出てくる。

  • 1つ目:あくまでも「僕」を主軸に考え、その付属物として「君」を扱う。
  • 2つ目:「君」を主軸に考え、その「君」と衝突するやり方を捨てる。

この曲で最後に「僕」が選択したのは2つ目だったけど、これはジャイアン的なるものの自殺だろう。「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの」というように、すべてを「僕」を基準に判断するのがジャイアニズムなのだ。それがあろうことか「君」などという他者に自己を託してしまうのだ。「僕」より大切な「君」などというものが出てきたら、今度は「僕」のほうこそが「君」の付属物になってしまう。それでいいのさ! とさわやかに締めくくってしまうこの曲は、不満足なジャイアンでいるよりも満足した出木杉君でありたい大衆の心をとらえて離さない。

ところでこの「君」は誰なのだろう? 「僕」=ジャイアンだとしたら、「君」=のび太が妥当だろうか。しかし劇場版のときみたいに共通の敵がいるときならジャイアンもカッコよくなるのだが、のび太程度に拒絶されたくらいで日常パートのジャイアンが改心するとは思えない。むしろ、ドラえもんの秘密道具で人為的に作成されたきれいなジャイアンがこの歌詞を歌っているような気にさせられる。「僕はきれいなジャイアン。昨日までのジャイアンはもういないんだ」みたいな。うわぁ。

さらに疑問が残るのは「君」が「僕」の手をもぎちぎって逃走するシーンと、「僕」がその「君」を背中から粉砕するシーンだ。攻殻機動隊レベルのアクションシーンである。やはりここはもっとSFチックに、AIと仮想現実に登場してもらうしかない。プログラム「僕」は創造したサブ・プログラム「君」が思いのほか出来が良くて、もう自分を「君」verに改変するしかプログラムとして有用性がなくなってしまった……、今、仮想現実上で血みどろの下剋上がはじまる……! とか。神林長平がすでに書いてそうだなあ。というか、これはなにもAIに限定せずとも人格的なものならなんにでもにもあてはまるな。映像的に手をひきちぎることにこだわらなければ、ニートとしての人格「僕」が社会人としての人格「君」に修正される話でもたぶんいける。ニートの「僕」視点でみると敗北だけど、統合的な人格「僕」視点で見ると成長になっているという構図。


きっとね、カラカラ落ちて


きっとね、空から見てる
「ねえねえ。」


ずっとね、君を見ていると
その感情は薄れてしまうけれど
きっと胸の奥の奥の海で溺れてる
「どうする?」


僕の手をもぎ 走り去る君を 見ていたんだけど
つまらないから 余った足でその背を踏みつぶした


痛みに歪むその顔が 可愛くて 可愛くて
何度も君を傷付ける
「止めないでよ。」


何がどうしてアレがコウしてこうなったどうなった?
「止めて。」
うるさいな どうだっていいだろ
黙って従え だって君は 僕だろ?


僕の手を付き 起き上がる君を見ていたんだけど
起き上がる前に 押し倒して
「言え。僕が好きだろ?」


ひとつひとつ片付けて
君を待つ僕の手を引こうとする
ひとつずつでしか存在出来ない僕を
僕は殺した


君の手を引き 走り去る僕はたくさんの僕の
生き残りでさ かっこよくもなくて バカだけど
この僕が生き残れたのはたぶん てゆーか絶対
君のおかげで僕は君の影 ずっと側にいるよ