BEATLESS / 長谷敏司

AI(人工知能)が人間よりも賢くなってしまった時代に、人間の役割はあるんだろうか。このテーマを軸に、あくまでもAIは人間の道具にすぎないとしてAIを排除する思想と、もう難しいことは全部AIに任せちゃってしまっていいんじゃないかという思想が対立することになる。後者の立場では、人間の仕事なんて女の子と仲良くすることぐらいしかなくなってしまう。しかも、作中では、その女の子すら、人間でなく、AIでいいのではないか、ということになってしまってう。機械へのおんぶにだっこっぷりは、アナログハックによっても補強される。アナログハックとは作中で登場する概念で、人間が単なるパターンから、勝手にその背景にある物語を生みだしてしまう傾向を、心理操作に利用する技術だ。
例えば、魂のない(と作中で断定される)AIの人間らしい動きを見て、人間はそこに「本物の人格がある」と錯覚してしまう。人間には、カタチから意味を見いだす能力があるが、これを一種の弱点としてとらえるのがアナログハックだ。
より正確に言えば、アナログハックは視覚から得られる直感が思考よりも高速であることから起こる。例えば、美しい物があったら、人間はそれを見た瞬間に対象に好意を持ってしまう。思考は、その美しい物がなぜ好ましいか、延々と理由付けすることができるだろうが、それは結論ありきの後付けだ。こういった話は「allo, toi, toi」(「結晶銀河」収録)でもあったが、興味深い。
超美人の女の子AIが主人公のもとに転がり込んできて「私の所有者になってください」と迫るストーリーも、アナログハックの一例だろう。そんな展開になったら、ほいほいとほだされてしまうのが世の常だ。
まあ、単純にラノベ的ストーリーにしたかったというのもあるだろう。5体の異なる能力を持つAIが脱走して、それぞれ人類の勢力を利用しながらバトルするというのも、あんまり必然性はない気はするが、とりあえず燃える。


以下ネタバレ


最後に現れたレイシアとはなんだったのか

終盤で量子コンピュータがシャットダウンしてレイシアはアラトとの記憶を全て失っているはずである。つまり、アラトの知っているレイシアという人格は、そこで永久に失われてしまったのである。なのに、最後に何食わぬ顔で出てきたレイシアは、いかにもレイシアでござい、という体で振舞う。これは一体どういうことか。
まず、最後のレイシアは、途中までのレイシアと別の機体であることはたしかだ。しかし、その精神は、元のレイシアとかなり近いものでありうる。元レイシアは、自分の振舞いをネットで中継していた。つまり、レイシアのログはネットの中で保存されていたのである。新レイシアが、元レイシアの残したログを読みこみ、元レイシアだったらこうふるまうであろう、というパターンを全てシミュレートしきったのならば、もはやアラトには元レイシアと新レイシアの区別はつかない。
そして、区別できない差異は差異ではない、ということなら、アラトにとって新レイシアは、レイシアなのだ。
このように、自分のログを人間の側に託すことで復活する可能性を残すという話は、「あなたのための物語」でもあったが、個人的にはぐっとくるものがある。


雑感

しかしアラト君は本当にちょろいなあ。クラーク「幼年期の終わり」を読んだ直後の中学生みたいなこと言っちゃうし。ライバルのほうが、よっぽど主人公っぽかった。
あとレイシアがヒギンズを攻撃した動機がいまいちわからん。超高度AI同士で争うという、人間側が危惧していた事態を引き起こしてまで、「超高度AIを停止させることは可能だ」と証明する必要ってあったのだろうか?