ディスコ探偵水曜日〈下〉 / 舞城王太郎

完全に神話だこれ。舞城王太郎は神話を創ろうとしている。単なるタイムトラベルものかと思いきや、世界の成り立ちを解き明かし、時空の認識を一変させる壮大な話だった。いや、正直すげーわ。物語としてのまとまりなら「九十九十九」のほうが上だけど、本作はその「九十九十九」をもメタ的に取り込んだ舞城の集大成になっているので、読み応えは、ぐおん、である。でも手放しで喜べない点もいくつかあるので以下ネタバレで解説。
ネタバレなしの解説はこちら。

主人公ディスコを中心に世界が回りすぎている

まず読んで思ったのがこれ。世界の構造の中で、ディスコだけがなぜこんな特権的な地位にあるのかよくわからんのです。ほとんど天地創造に近いことやってるじゃないですか。人間の認識によって時空はその姿を変えるという、人間原理の世界観なので、ディスコ以外の人も似たようなことできるのかもしれませんが、でも作中においてはやっぱりディスコは世界の中心ですよ。うへえってなりませんか。まあ水星Cという他者がいるので幾分か脱臭できてますが。
あとディスコ独善的すぎ。子どもさらうのってどうなの。親の立場からするとやっぱり認めがたいでしょ。しかもラグナレク以降の旧世界は、倫理的に危ういとはいえ一応不死が実現した世界なので、なんでこんな素晴らしい世界を否定するのかわからない。新しい子どもの人格が産まれてこなくなるってだけで「終わった歴史」とばっさり切り捨ててしまうのは、あまりにもとがった美学だと思う。マンガ版「風の谷のナウシカ」と同じくらいついてけない。なんだお前は、あれか、神にでもなったつもりか。まあ神なんですけどね!
それにしても名探偵たちも、なんでこんなディスコのアイディアに付き合う気になったんだろうか。振り返ってみれば上巻の推理合戦も、ディスコのための御膳立てとして機能したわけで、名探偵たちはまるで消耗品のように使い捨てられていったことになる。いや本当に彼らの扱いはひどかった。「こんなわけわからん奴と付き合ってられるか。俺は自宅に帰るぞ」といつ言い出してもおかしくない。
とはいえディスコは命の恩人だから、やっぱ付き合うのが普通の感情なんだろうか。自分だったらラグナレク以降の旧世界のほうが楽しそうだし、子どもさらいも嫌なので、ディスコ神話には加担しないだろう。