君の頭は19世紀だね

などと冗談で友人に言ったことがある。ニーチェの価値相対主義について議論している際に、彼は「相対主義的に考えることってそんな必要なのか? 政治ゲームの勝者があまり幸福そうに見えない」とニーチェを批判するのだ。価値が相対的なものにすぎないとしたら、自分の人生の指針となるものは個人的な幸福や快感だけになってしまう。そうした快楽を得られる状態にずっとあるのなら問題はないが、快楽が欠乏すると、とたんに人生が意味を失ってしまう。無意味な人生を虚無的にさまようことはなかなか大変なので、「もう自分はこれでいいや!」と割り切ってなんらかの価値に奉じるほうがまだマシだ。相対主義なにそれ?で別にいいよ、おれにはおれの物語があるし、というわけなのである。
これを20世紀から19世紀への後退と見てあざ笑うことは簡単だけど、まあ思想的に19世紀だからといってなにか問題があるわけでもないし、実際に僕はかなり共感した。

「私には政治ゲームの勝者があまり幸福そうに見えないのです」はニーチェの嫌悪するキリスト教倫理者の言葉に似ている
最近はやりのニーチェかな - finalventの日記

というわけで僕もまた19世紀をうろうろとさまよっている。せっかくニーチェを読んだのにその程度かよ、と知的に残念な人間と評されるのも無理からぬことである。

ニーチェにとっての健全さ

僕がニーチェの思想でよくわからないのは、ルサンチマンが不健全であるというところだ。

ニーチェの頭の中の図式は、キリスト教倫理つまり神の支配というものが、生命の活力を抑圧し、そのことで大衆にルサンチマンを発生させ、ルサンチマンを迂回して、正義の概念を生から倒錯させてしまったことは間違いである、という思想なのな。

え、生命の活力ってなに? と思うのである。ニーチェにとって健康であること・健全な生であることというのは、一定の価値があったようなのだが、なぜ健全たらねばならないのか、その理由はいまいちはっきりしない。ただ健全さへの詩情あふれる賛美が続くばかりで、なぜその健全さが重要であるのか納得できる説明がない。哲学者の高橋哲哉は「健全という概念はニーチェの趣味みたいなものである」と言ったが、僕も同意見だ。

ニーチェは人が自身の生を肯定する生き方を、共同体を超えていくあり方として選択せよ。その選択のなかに、すべての苦悩とただ一度の恍惚をもって是認せよ、永遠に続く苦痛に対してすべてを生の快活の光に照らすただ一回の正午と対峙せしめよ、来世や神の国と言ったものを否定する永劫回帰というファンタジーを理解せよ、ということ。このあたりから、すっかりニーチェキチガイ用語になってしまうけど。

ニーチェにとっての健全さを突き詰めていくと、おそらくこうした形になっていくのだろう。それはそれでひとつの生のあり方であり、そうした戦略もある程度使えるのかもしれないなとも思う。だがこれが唯一の適切な戦略であるわけではないし、一人一人が好き勝手に自分の戦略を採用していけばいいだけの話だ。

このねじれた「力」への迂回路、徹底的に弱者を擬態することで実質的な強者たろうという陰湿な戦略をニーチェは「ルサンチマン」と呼んでいる。「権力」から遠く離れているようでいて、それは執拗に権力を志向する回路である。
論理的であり無力であることのルサンチマン - OAF

逆にニーチェが不健全で陰湿だと批判したキリスト教の権力奪取メソッドだって、戦略としてはアリだろう。


「健康であること」「健全であること」もまた相対化されねばならない

相手を自分の趣味に合わないからといって不健全だと言い切ってしまっていいのだろうか。「健康であること」「健全であること」もまた人それぞれ違うのではないだろうか。

聴覚を持たないことに誇りを感じるカップルは、産まれる子が親と同じように耳が聞こえない子であることを望むことが少なくない。
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デフカルチャーの議論は健康の相対性について考えさせられる。健常者の側からすると、「子どもを自分たちと同じところまで引きずりおろそうとしている。なんて子どもが可哀想なんだ!」ということになるが、聴覚を持たないことが当たり前の人生を送ってきた人はそう思わないかもしれない。
子どもにも自分たちと同じ文化で生きてほしいんです。だって親子の感覚がずれたまま生活するなんてそっちのほうが可哀想じゃないですか。純粋な善意なんですよ」と反論されたら、一体健常者の側はなんと言えるのだろうか。だいたい健常者なんて言い方も単一の健康なる概念があって、すべての身体をこの基準で判断できるといういやらしい価値判断に基づくものに思える。(BBC News | HEALTH | Couple 'choose' to have deaf babyによれば、あえてdeaf babyを選ぶカップルがすでにいるそうだ。)


補足。ここまで書いて話が壮大に脱線しているかもしれないと気づいた。そもそもニーチェのいう「健全さ」と日常的に使われる「健全さ」は同じことを指していないかもしれない。だからデフカルチャーうんぬんの話はニーチェとまったく関係ない可能性があるので注意。


余談。ゼロ年代海外SFベスト1、2はテクノロジーの発達によって人々の欲望が解放され、否応なく「健全さ」が相対化されていくことがテーマの一つ。どちらも超名作なのでオススメ。(http://kiten.blog.ocn.ne.jp/kisouan/2010/02/sf30sf2010_afdf.html参照)

万物理論 (創元SF文庫)

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