膚の下 / 神林長平

号泣した。まさかここまでとは。「あなたの魂に安らぎあれ」「帝王の殻」に続く、三部作の最終章。正直言ってなにが面白いのか説明できる自信がまったくない。けど、たぶんこれは神林長平の最高傑作だと思う。「あなたの魂に安らぎあれ」でも感じた、なにか凄いものを突きつけられたという感覚が、より高い純度で迫ってきた。人造人間が主人公で、人間との関わりの中でアイデンティティーに悩むという、ありがちなストーリーなのに、そんなことを微塵も感じさせない。
以下ネタバレ。

われらはおまえたちを創った
おまえたちはなにを創るのか

なんて創造主から言われたらどうするだろうか。これだけじゃ、あまりぴんと来ないだろう。「別になにも創らなくてもいいんじゃない?」「ですよねー」で終わってしまいそうだ。心理学者のマズローが言っているように、なにかを創りたいという欲求はかなり高次の欲求であり、普通の人間はそれより低次元の欲求を満たすことに必死なのだ。とりあえず食べ物にありつきたいし、安全な場所で寝たいし、愛されたいし、みんなからすげーって思われたい。なにかを創りたいと思うのは最後なのだ。食物への欲求・安全への欲求・愛情への欲求・尊敬への欲求、それらが満たされてはじめて自己実現への欲求が生まれてくる。
でもこれはあくまでも一般論であって、中には自己実現が他のすべてに優先するみたいな人もいるだろう。その自己実現にすべての欲求がこめられている、そんな状況だってあるだろう。あいにく僕はそんな極限状態に生きてはいないからその気持ちはよくわからない。このブログを書いているのだって片手間でやってるだけだ。だから全然共感できない。しかし、共感できないからこそ、その創造へのこだわりに鬼気迫るものを感じる。


主人公の慧慈の行動は理不尽で身勝手で、その思想はよくわからない。誰も殺したくない、動物ですらも殺させない、そう言いながらその目的のためには強硬な姿勢を崩さない。その姿は、独裁者に近い。独善的すぎる。
だけど、その創造の結果はとてつもなく感動的だった。いや、アートルーパーが動物になるっていうただそれだけのことなんだ。たかが変身ごときで胸が躍るなんてぶっちゃけどうよって気もする。でもこれはすごいんだ。やっぱり一人のアートルーパーとしては死ぬわけだから悲しいし、喪失感はある。だけどその死は同時に再生でもあって、荒廃とした世界に新たに生まれてくる動物ってのはかなり萌える。*1 いや、萌えるっていうよりももっとこう、厳かなもので、このうじゃうじゃと醜い権力闘争の世界から足を洗ったように見えるのだ。

動物たちは人間に比べてどうにも幸せそうだと思えることがある。木の枝で凍えて落ちる鳥は、惨めさを知らないと誰かが言っていた。
伊藤計劃「ハーモニー」


解放。そう言っていいかもしれない。別のなにかになったわけではない。たとえ形は変わっても、その膚の下にあるものは同じなのだ。そうした慧慈の思想にたつならば、形が変わることは死ではない。相変わらず同じ物質の集まりが動き続けて、そうした一連の動きとして生き続けているのだ。だから別に悲しくはない。本人が望んだのならなおさらそうだ。
僕は慧慈ほど突き抜けた考えはできないけれど、それでもあのカラスが生まれた瞬間はぼろ泣きした。曽田正人「昴」を読んだときのように、気持ちよりもまず先に身体が反応して泣いた。

*1:この小説におけるサンクのかわいさは異常。一番の萌えキャラはサンク。