人間性の心理学 / マズロー

最高に健康な精神の研究、というわけで大変うさんくさいわけなんですけれども、なかなか良書でした。そこらの自己啓発本を読むよりも人生楽しくなるかもしれません。研究の手法がけっこう適当で説得力に欠ける点がありますが、その辺は軽く受け流しましょう。人生経験がカバーしてくれます。




マズローが想定する人間像

簡単にまとめると次のようになります。

  • 人間は食物への欲求・安全への欲求・愛情への欲求・尊敬への欲求・自己実現への欲求といった基本的欲求をもっている
  • 最初の欲求ほど人間にとっては必要不可欠である
  • より基本的な欲求がいったん満足されると次のより高次な欲求が生まれてくる
  • そのため人生において欲求はなくなることはない。完全に満足することはない
  • 自己実現の欲求だけは他の欲求と違って完全に満足するということはない。人生に完結というものがない以上、自己の潜在能力の開花(自己実現)にも終わりはない。常によりよい自己へと成長し続けることが自己実現なのである。終わりがないのが終わり、それが自己実現……!*1
  • しかし自己実現への欲求を満たせるようになると、その人間は最高に健康な状態にあるといってよい
  • 逆に基本的欲求を満たせないということは不健康である(安全・愛情・尊敬など、欲してやまないものが得られないとき、人間は精神的におかしくなる)

基本的欲求が満たされるということの意味

「All You Need is Love」とビートルズは言いますが、餓死寸前の人間にとっては明らかに愛よりパンが必要でしょう。本人の心理も食べ物のことで頭がいっぱいになります。また戦争や災害時、虐待されているときも、愛なんて必要じゃありません。そんな抽象的なものはいいから、とりあえず安全なところに逃げたいと思うのが人間です。で、食物への欲求と安全への欲求が満たされてはじめて愛情への欲求が生まれます。しかし、この愛情もいったん満たされると次第に飽きてきます。もっと刺激に満ちた、もっと人生を豊かにするようなものを欲しがります。それが他者からの承認です。社会的にすげーと思われたい、そういった尊敬への欲求が生まれます。そして尊敬への欲求が満たされて初めて自己実現への欲求が生まれます。
食物・安全・愛情・尊敬は全て他者から与えられるものでした。社会的に交換可能なものです。しかし自己だけは違います。結局のところあなたはあなたでしかなく、他の何者でもないあなたとして生きているのです。食物・安全・愛情・尊敬が満足されるまではけっこうどうでもいい「自分」ですが、最終的にはその「自分」を実現させて生きたくなるというわけです。自分らしさの演出ともいうかな!(違う)
(「自分らしさ」ってけっこう贅沢品なんですね。食物・安全・愛情・尊敬が「もういいっすよ」というほど十分に満足されて初めて立ち現れる欲求なんですから。だから「自分」って演出するものではなくこみあげてくる本性みたいなもんです。本来は演出されない「自分らしさ」をなんとかして演出しようとする人がいたら、それによって愛情や尊敬を得たいと思うからでしょう。)

人間性とは

マズロー「人間は何であるか、人間は何であるべきか」と問題設定する哲学をばっさりと切り捨てます。それは花や動物が何であるべきかと問うのと同じようなことだからです。花はビー玉であるべきでしょうか? または子猫になるべきでしょうか? 馬鹿げてるぜ! 人間も動物なのですから、わけのわからない観念論ではなく、今までの経験から叙述するべきです。つまり「人間は何でありうるか」を考えなくてはいけません。そうした人間の可能性の研究を通して、人間のより健康なあり方・そうした健康にいたる方法が見つかるのです。
人間は人間でしかありません。結局自分のやりたいことをやるだけです。何をすべきかなんてお仕着せの哲学は必要ありません。

健康とは

マズローは精神病の治療は基本的欲求を満たしてやればいいとシンプルに結論づけます。

たとえば、友情とか結婚とかの人間関係、対人関係を分析してみると、究極的には次のようなことがわかる。(1)基本的欲求は対人関係によってのみ充足されうるものであり、(2)これらの欲求の充足は、まさに既に治療薬として述べたもの、すなわち安全や愛、所属意識を与えること、自分を価値のあるものと感じること、自己尊重などである。(中略)


所属感や安全感などはけっして、樹木だの山だの、さらに犬などのペットなどによって満たされるものではない。他の人間からのみ十分に満足できる尊敬、保護、愛情を得ることができるのであり、またそれらを十分に与えることができる対象も他の人間なのである。もっとも、尊敬、保護、愛情は、まさによい友人同士、恋人同士、好ましい親子、師弟の間で与え合っている事柄なのである。それらは我々が好ましい人間関係すべてのなかに求めているものということができるであろう。そして、好ましい人間をつくるための必要条件、必須条件は、まさにこれらの欲求の満足であるということができる。それは言い換えれば、すべての心理療法の究極的な(直接的でないにしても)目標なのである。

なんだか宗教的な情熱すら感じてしまいますが、宗教っぽいからダメというのは話が逆で、むしろ宗教が伝統的な精神医療だったということなんでしょう。中二病真っ最中な方やシニカル一直線な方には受けが悪いかもしれませんが、なかなかタメになると思います。

*1:まあ、もし人生に完結というものがあるとしたらそれはグレッグ・イーガンディアスポラ」の最終章で語られたあの哲学なのかもしれません。