結晶銀河

最近の国産SFはすごい。そう思わせるアンソロジー。読書会の課題本にしました。読書会では10点満点で点数をつけて4人で選評したのですが、一番高得点を獲得したのは長谷敏司「allo, toi, toi」(38/40)。満点をつけた人が2人もいました。児童性的虐待者のおっさんが主人公というきわどい設定でありながら、ある種普遍的な問いかけを投げかける作品と評価されました。〈第3回誰得賞〉を授与します。ちなみに最低点を獲得したのは眉村卓「じきに、こけるよ」(10/40)。低評価の理由は、内容がどうでもいい、などでした。これには〈第3回マジで誰が得するんだよこれ賞〉を授与します。
以下ネタバレありで解説。

冲方丁メトセラとプラスチックと太陽の臓器」 7点

新しく生まれてくる子どもが300年くらい生きられるテクノロジーがある世界で、親たちが自分の死後も子どもたちに残せられるものがあるかを気にする話。立派な墓を建てて墓参りしてもらえばいいんじゃね? とか思ったが、墓みたいな建築物は風雨に曝されてあまり長持ちしないらしい。そこで、プラスチックのおもちゃなら1000年単位で残るので、生まれてくる子どものためにプラスチックのおもちゃを買おう、ということになっている。
冷静に考えれば、子ども用のおもちゃなんて子どもが成人したら興味を失って物置に放置されるだけなので、物理的に耐久力があっても無駄だと思うのですが、まあそこは子どもを思う親の盲目的な愛のなせる業です。ほら、現に原発事故の後も母親たちが必死にミネラルウォーターを買いあさっていたじゃないですか。あんな感じですな。

小川一水「アリスマ王の愛した魔物」 8点

森羅万象を計算し尽くすおとぎ話。ありとあらゆる情報がわかれば、それから最適な戦略を導き出して相手を出し抜ける、というのはシミュレーションゲームではよくあることですが、それを小説でやったみというもの。語り口も素敵。

上田早夕里「完全なる脳髄」 6点

人間未満がはやく人間になりたいと画策する話。人間になったところでその結果がしょっぱいところも含めて面白いです。人間未満が誕生してしまうあたりのディティールもよい。

津原泰水「五色の舟」 10点

この作品の良さがわからないなんて君たちはどうかしている! と小一時間問い詰めそうになりました。僕以外はみんなこの作品の評価が低くてですね、3点とか5点とかつけるんですよ。うへえ。
出てきたのはこんな意見です。「なんかありそうだけど、とくに読みとれない」「見世物一座とくだんの登場と最後の後日談のつながりに必然性がない。唐突」「やさしいときの筒井康隆みたいな作品。『愛のひだりがわ』みたいな」。
ふむう。まあ、たしかに面白さを伝えづらい短編ではありますね。長編でない分、説明不足ではありますし。ただですね、濃密な読後感がありますよ。この短い中でひとつの人生を終えたかのような。その余韻は、筒井康隆「旅のラゴス」を読み終えた時に匹敵します。
まず世界線を移動することによってみじめだった一家は、物質的には幸福な環境に移るわけですが、それでも襤褸にまとって住んでいたころの船を「美しい」と形容しています。これはたぶん、貧しかった世界線にずっといた場合こんなふうに称さないと思うのですよ。ふつうの悲惨な人生だったと、ただそれだけだと思うのです。しかし世界線を越えて、他の可能性を生きることによって、はじめて「みじめさ」を「美しい」と肯定できたわけです。「美しい」という概念の強さを知りました。開き直りにも近い高貴さがあります。So be itって感じ。

白井弓子「成人式」 6点

設定が面白い。

月村了衛「機龍警察 火宅」 5点

ミステリとしてよくできてるし、文体も読みやすいけど、SFらしさはみじんもない。

瀬名秀明「光の栞」 2点

うぐう。最近の瀬名秀明は読むのがつらい。文学かぶれというか、あえてわかりにくくしている。

円城塔「エデン逆行」 4点

他の短編と十分に差別化できているので、読んではおきたいけども、別にたいして面白くはないという。

伴名練「ゼロ年代の臨界点」 6点

またクソみたいなオタク系評論を読まされるのかとうんざりしていたら、いい意味で期待を裏切られた。ゼロ年代といっても1900年〜1909年の話なのです。満点をつけた人もいました。

谷甲州メデューサ複合体」 5点

あまりにも土木系すぎる。

山本弘「アリスへの決別」 5点

非実在青少年規制を皮肉ったもの。面白いがメッセージ性が強すぎて、小説の部分が蒸発してしまっているのが難点。とくに批判が強かったのが「アリスが幼女のくせに物分かりが良すぎて、作者のイエスマンにしかなってない」というものです。たしかに作者が一方的に論破して終わりってのはつまらないですね。どうせなら登場人物に「うっさいわ、ロリコンきもいんじゃ、ぼけ」みたいに理屈にならない激情を表現してもらったほうが、深みがあっていいと思いますね。そのほうが一大ロリコン小説になったと思います。

長谷敏司「allo, toi, toi」 10点

で、これがまた一大ロリコン小説なんですねえ。幼い少女を強姦致死して終身刑を受刑中の囚人が主人公という、これだけで拒否反応示す人がいそうな設定です。ただこの作品に安易なメッセージはありません。主人公に肩入れするように「たまにはロリコンもいいよね!」という結末にもなりませんし、性犯罪の悲惨さを強調して「このロリコンどもめ!」と訓戒をたれることもありません。あくまでもロリコンにたいしてニュートラルなのです。なぜでしょうか。
それはこの作品が、「人はなぜ異常な愛情を抱いてしまうのか」という一般的な問題に焦点をあてているからです。別にロリコンに限らず、人には多かれ少なかれ偏愛があります。しかしどうして異常な愛情というものがありうるのでしょうか? この作品では、それが言語の使用によるものだと説明されています。
人間に限らず動物は、カロリーの高いものや異性を「好ましい」とする個体のほうが、それらを「嫌い」だとする個体よりも生き延びやすいと考えられます。つまり「好き嫌い」は、生存を有利にするためのプログラムだったのです。
ここで重要なのは「好き嫌い」は事前的な欲求がどう生じるかのシステムであって、行動の結果どのような快感を得るかの「快と不快の感じ方のセット」とは別だということです。実際に人間は「カロリーの高い食べ物」は「カロリーが高い」ために「好き」なのであって、それが「甘い(快感をもたらす)」から「好き」なわけではありません。
にもかかわらず、僕たちは「ケーキ(カロリーの高い食べ物)」が「甘い」から「好き」と、言語で表現してしまっています。たとえ「甘い」と感じなくても「好き」なはずなのに、「甘いから好き」という言語表現があるために、「甘い」ものを「好き」だと新たに考えるようになってしまうのです。
つまり言語は僕たちの「好き嫌い」を把握するには粗すぎて、言語によって思考すればするほど本能的な欲求からくる「好き」とは別の、思い込み・妄想によって造られた「好き」が形成されてしまうのです。本来、「好き」という感情は生存を有利にするプログラムであったはずです。危険なものを「好き」になってしまう個体は滅びてもはや生存していません。しかし、言語の使用によって文化的社会的に造られた「好き」は、淘汰の圧力を受けていないので、危険なもの・生存を不利にするものも「好き」と形容してしまうリスクがあるのです。
要するに、お前の「好き」って生身の欲求から来るものよりも社会や文化によって後発的にそう思い込まされてるだけの、そういう「好き」ってことなんじゃないの? と問いかけているわけですね。
同じ言語SFだったらグレッグ・イーガン「TAP」も併せて読みたい。こちらは言語の機能をよりポジティブに評価しています。

眉村卓「じきに、こけるよ」 4点

どうってことがなさすぎる。僕以外は3点、3点、0点。瀬名秀明のやつも合計10点だったけど分散が大きく、こっちはより分散が少なく総じて低評価でした。

酉島伝法「皆勤の徒」 5点

昆虫の生態系って女王とか兵士とか、まるで人間の役職みたいな名前がついているじゃないですか。あの役職名に社長とか取締役とか外回りとか解体者とか名付けたら面白そうですよね。「働きアリだけど職場がブラックすぎて限界かもしれない……」とか言い出したら笑えます。あれ、このネタで小林泰三あたりが書いたら本作よりも面白いかも(おい)。


交換会で放流されたラインナップ








橘玲「亜玖夢博士の経済入門」パオロ・バチガルピ「ねじまき少女」、大塚英志多重人格探偵サイコ―雨宮一彦の帰還」、高野文子るきさん」です。
左から、@daen0_0@huyukiitoichi@Soosanai@utcr からの推薦図書です。敬称略。みなさん、ありがとうございました。