残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 / 橘玲

世にあふれる自己啓発本は読んでも「成功」できないから意味無いよ、あと「成功」しなくても他者から承認されれば「幸福」なので、そういった愛され空間を探そうぜ、という内容。けっこういい本だと思いますよ。やっぱ他者から一目置かれるっていうのは快楽ですからね。マズロー先生を引き合いに出すまでもなく、多くの方がこの「幸福」の定義に納得いくんじゃないでしょうか。というか、自分が評価される空間がどこにもないという寂しさに人はきっと耐えられないんでしょう。
でもこんな意見も。


目を疑ったのはひとが幸福を感じるのはみんなから認知されたときだけだとか言い出した時で、こればっかりは何を言っているのかわけがわからない。人から認められた時にしか人間は幸福を感じないって言ってるんですか? 本気で? 誰に見せることもなく、誰に褒められることもなく、自分の好きなことをやって、「前よりうまくできた」と、自分で勝手に満足した時の、あの幸福感はそれじゃあいったいなんなんでしょう? 人に褒められ、認められた時の幸福感なんかよりも、僕は自分の中から湧いてきた満足感の方がずっとずっとでかいと思います。
残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 - 基本読書

自己実現欲求のほうが承認欲求よりも強い人だとこうなると思います。孤高です。でもマズロー的には自己実現欲求は承認欲求が満たされて初めて湧いてくるものなので、あんまりそのレベルに達している人はいないんじゃないですかね。 僕個人の経験からいっても、外部に評価者がいない作業って面白くないです。それが否定的な評価でもいいから、「お前ってこういうやつだよね」と言ってもらえるような空間は、やっぱり燃えます。うおお、やってやるぜえ! という気持ちになります。
さらに個人的な話をすると、他者と接してコミュニケーションを取っているときのほうが、自意識が吹っ飛んで気持ちいいんですね。僕は町田康「告白」を読んで「お前は俺か」と思うくらい、自意識過剰な人間でして、一人で作業していると「こんなことやってなんになるんだろ、俺……」とうだうだ考えてしまいます。この内省のおかげで自己実現欲求をうまく満たすことができないのです。
逆に他者と会話しているときなんかは反射的にレスポンスを返さなくてはならないので、思考に自意識を介在する余地がありません。この自動的に生きられる瞬間が快楽なのです。わかるかなあ、この感覚。
(この辺の話はフロム「自由からの逃走」永井均「これがニーチェだ」も参照)。