伊藤計劃の死と「ハーモニー」再考

伊藤計劃が死去した。もともと好きな作家top10に入るほど好きだったし、「虐殺器官」→「ハーモニー」という作品の発展性を見てもダントツで新作が楽しみな作家だった。つーか2007年デビューの新人だぞ。まだまだこれからって感じなのに。今日ほどザオリクが唱えられないのを腹立たしく思った日はない。


伊藤計劃:第弐位相


日記の最後が「生存報告」になっている。ガンマ線ナイフやら謎の嘔吐やら、思わしくない単語が出てくるので心配だったのだが、まさかマジで「生存報告」になってしまうとは。なぜか口惜しい気持ちでいっぱいになる。てか、追悼トラックバックがたくさんついててなんだか墓標みたいだ。
……かけるべき言葉が見当たらない。
ご冥福をお祈りします? 
天国信じてないしなあ。
お疲れ様でした? 
そんな軽いノリじゃない。
というかアレだ。まだまだ死を実感できないので、別れの言葉を言いたくなだけなのかもしれない。でも言わないといけないんだよなあ。ああ。マジでなんで人って死ぬんだろうなあ。今まで本当にありがとうございました。まだ未読の作品もあるし、再読とかもするんだろうけど、とにかく、ありがとうございました。


というわけで自身がガンと闘いながら書いた医療ハードSF「ハーモニー」オススメです。この本は本当に不思議な本で、後味が悪いというかある種不愉快なところがあります。それは生ものとしての人間の脆弱さとか、自意識とかいうものを抱えながら生きていかなくてはいけない生の厄介さとか、死の恐怖とか、そういう生きていく上でぶち当たるさまざまな問題が持つ不愉快さなのです。しかもそうした不愉快さにたいして、ふつうの小説なら意志の力とかコミュニティの力とかで解決していくんですが、伊藤計劃はそれをしない。では何をするかというと、テクノロジーが出てきます。このテクノロジーは不愉快さを浮き彫りにしたり、時には人間的努力をあざ笑うかのように問題を解決しちゃったりします。
キャラに人間味を感じないとか、そういうドラマ上の欠陥もあるかもしれませんが、この人間的な描写が薄いという点は重要です。人間らしさが失われているということではなく、むしろ人間らしさというものが物理的要因に依存していて、テクノロジーによって容易に変わってしまうということが描かれているのです。そのテクノロジーを創るのもまた人間ですから、結局人間らしさってなんなのよ? という疑問につながります。その疑問はあまりにも大きく、人によっては不愉快です。実際、読者の人間観によって「ハーモニー」の結末はハッピーエンドにもバッドエンドにもなるでしょう。しかしあえてそういった領域に分け入って豪快に問いかけるところが本書の傑作たるゆえんなのです。
伊藤計劃の作品が私に残した衝撃はおそらく消えません。それどころか、これから人生を生きていく上で彼の作品に現実のテクノロジーが追いついたりするなど、幾度となく考えさせられる機会があるんでしょう。それは知的好奇心あるものにとってなかなか愉快なことです。そんなチャンスを与えてくれた伊藤計劃に心から感謝を。