「こんなのSFじゃない!」という発言がいかにウザいか


「こんなのSFじゃない!」「じゃあ、どこからどこまでがSFなんだよ」というのは、不毛な会話の典型例です。そもそも「どこからどこまでがSFか」という考え方が不毛です。「どこからどこまでが文学か」と同じくらい不毛です。こういう無駄に深く掘り下げられる議論はスルーすべきなんですが、まあ、自分なりに考えるところがあるのでちょっと書いときます。興味ない方はさらっと聞き流してください。
まず「どこからどこまでがSFか」という捉え方が間違ってます。見方によってはありとあらゆることがSFです。なんらかの科学技術の使用が認められるのなら、一応サイエンスなフィクションです。というわけでそのSF成分が濃いか薄いかで判断するのが吉なんじゃないでしょうか(このSF成分=センス・オブ・ワンダーの定義についてはこのエントリ参照)。
というわけでSFを3段階に分けてみました。


A:ファンタジーのレベル

SF成分(テクノロジー)が小道具。あくまで小道具なので剣と魔法に変わってもいいし、理解不能の謎現象として扱っても大丈夫です。
例:筒井康隆星新一

B: ハードSFのレベル

SF成分(テクノロジー)が大道具。そのテクノロジーに科学的根拠がつき、ストーリーの中での役割が大きくなっています。ただし話の主題はヒューマンドラマであることが多いです。
例:小松左京ロバート・J・ソウヤースティーヴン・バクスター

C:イーガンのレベル

SF成分(テクノロジー)が話のメイン。そのテクノロジーでなければ有り得なかった問題を描く。
例:グレッグ・イーガンテッド・チャン伊藤計劃


いうまでもなく、エンタメとして成功しているのはA>B>Cなので、SF的なものにこだわればこだわるほど商業的にはしょっぱいようです。まあ、その辺のトレードオフはどの分野も一緒でしょう。
さてここで本題です。「こんなのSFじゃない!」と口走る人はだいたいSFをB〜Cのレベルに設定していることが多いです。無意識のうちにB〜CをAよりも高尚なものであると考えており、その高級なハードSF様がファンタジー風情と同類視されるのは耐えがたい、というわけです。上級者ぶりたいお年頃なんですね。その心理はわからんでもないんですが、やはりウザいと言わざるをえない。偏狭さはジャンルそのものの間口をせばめ、市場の衰退を招きます。初心者には取っ付きにくい難解なものばかりがもてはやされ、万人受けするエンタメが軽視されると徐々にジャンルが枯れてきます。ジャンルも山も広大な裾野をもっていたほうがデカイんです。「こんなのSFじゃない!」という物言いは、山を5合目からぶった切って、そのラインより上だけが真の山であるかのような偏屈じみた主張なのです。
まあ、私もよく口走ってしまうので自戒を込めてこのエントリを書いたんですけどね(おい)。このサイトでSFとしているのはA:ファンタジーのレベルからです。しかし非現実的な要素が少しでもあれば全部SFかというと、それも極端なので、このレベルでも一般小説扱いしているのはけっこうあります。わりと基準は曖昧。
ただ本音を言ってしまえば、Aのレベルの作品は小説だけでなく映像方面でも供給があふれかえっているので、どうせ小説で勝負するなら面白さが映像化不可能なB〜Cの作品できてほしいですね。まあ知的好奇心を刺激されたいならポピュラーサイエンスでも読んでろってことなんですが、でもやっぱりSFならではのはちゃめちゃさってあるじゃないですか。