言壺 / 神林長平

言語SFでポスト構造主義SF。言葉のルールを解体しちゃったらどうなるの? 通常の言葉とは違うルールを持つ言語は可能なの? という話。とてつもなく面白かったです。今のところ神林長平ではベストかな。






言葉のあやふやさ

まずポスト構造主義ってなんだよ、という話からはじめましょう。まあ付け焼刃の知識なんで間違っているかもしれませんが、一応解説します。ポスト構造主義とはありとあらゆるイデオロギーを言葉で解体しようというものです。どんなイデオロギーも言葉をベースにしています。でもこの言葉っていうものは意外とあやふやなものです。たとえば「言葉」について辞書で調べてみましょう。

【言葉】
人が声に出して言ったり文字に書いて表したりする、意味のある表現。

では、その「意味」を調べてみましょう。

【意味】
言葉が示す内容。

おい! また「言葉」に戻ってきちゃったよ! このように、言葉というものはそれ自体で成り立っているわけではありません。全ての言葉は他の言葉との関係性の中で、はじめて成り立つものなのです。

ことばの意味なんてものは、際限のない、それからまた循環したりもする、そうしたことばの戯れの副産物に過ぎないってんだから過激だよね。
筒井康隆「文学部唯野教授」

ポスト構造主義というゲーム

ポスト構造主義はこの言語の曖昧な性質を利用して、言語で表現される全てモノを解体しようとしました。イデオロギーVSイデオロギーの闘争に疲れた人たちの手により、ついにイデオロギー自体の基盤をぶっ壊す運動が始まります。

一貫したイデオロギーなんてものは、むしろおれたちの敵だったのだ。よし。そんならいっそのこと、言語の構造を破綻させて、イデオロギーの意味をなくしてしまってやれってわけ。別に言語をどうこうしたからといって警棒で頭をぶん殴られる心配はない。政治理論なんてものはもう古いのだ。こうしてポスト構造主義は政治的な問題を全く無視してしまえる便利な手段になりました。これがたちまち、運動に挫折した左翼の大学人の間で大流行します。『現実的に』とか『科学的に』とか『論理的に』なんてことを言うと、たちまち『形而上学的だ』『古くさい』『意味がなんにもない』といって罵倒されるようになっちまったんだからひどいもんだよね。
筒井康隆「文学部唯野教授」


このポスト構造主義は結局知的ゲームの域を出ていません。いくらイデオロギーが言語に寄りかかっているからといっても、そのイデオロギーは現実に確固たる力を持っています。そのイデオロギーによって大勢のものが生かされ、大勢のものが殺されているのです。単なる言葉遊びがこの現実に与える影響はごくわずかです。
だが待てよ。実際に言葉遊びによって現実の社会が劇的に変わることだってあるんじゃないか? たとえば言語によるコミュニケーションが過剰に発達した社会なら、その言語がささいなバグを抱えるだけで崩壊することもあるんじゃないか? この小説では、ポスト構造主義的悪夢ともいうべき可能性が描かれています。
以下ネタバレ。




最終章の「碑文」では「我、勝てり」と一言だけ書かれているんですが、この勝者は一体誰なんでしょう? いろいろ考えられます。

  1. 我は「綺文」の主人公。言語を崩壊させようという試みが成功したことが勝利。
  2. 我は「栽培文」の主人公。「綺文」の主人公によって汚染された言語から脱却し、新しい言葉を育んだことが勝利。
  3. 我は言葉そのもの。ある意味、「乱文」の真の主人公。使い手に支配される言葉が逆に使い手を支配するようになったことが勝利。
  4. 我は言葉そのもの。言葉の持つ本質的なメタフィジカルな性質が、フィジカルな宇宙への勝利。


4つ目の可能性についてもう少し詳しく書きます。まず注目すべきは他の章では人間(あるいはワーカム)のドラマがあったのに、この最終章にはドラマが一切ないことです。ただ文章だけがある。このただ文章だけが残っているというのが、言葉の使い手が絶滅して、言葉それ自体が遺跡のように残っている状態を暗示しているのでは? 現実との相互作用を失い、ひたすら言葉だけで自らの世界を築き上げることになった言葉。時間も空間もない、ただ意味と情報だけの世界になった言葉。そんな言葉はある意味現実を超越しているのでは? 
たぶん「我、勝てり」と記述される、それだけでもう「勝った」ことになるんだと思います。だって宇宙にはもともと勝ち負けなんて概念はないんですから、それこそ言ったもん勝ちです。記述することで「勝利」という概念ははじめてこの宇宙に存在するようになるわけです。「我語りて世界あり」とするならば「我語りて勝利あり」なんでしょう。
たとえその文章が書かれた本がエントロピーの増大という自然の力によって崩れ去ることになろうとも、誰かがそのことでケチをつけないかぎり「勝利」は「勝利」です。誰かに言及されないかぎり、「我、勝てり」は言ったもん勝ちのまま永遠にそのままです。まあ、だからどうしたって話ですけどね。