パプリカ

爽快感のある映画でした。アニメ映画といえばジブリの独占市場なイメージがありますが、全く引けを取らない面白さがあります。筒井さんらしい意味不明なセリフもあり、ご本人も声優として参加しているので原作ファンも納得できるのでは。最後がやや急で超展開でしたが、原作はさらにカオスなことになっていましたし、尺を考えるとかなり綺麗にまとめてくれたので十分です。それに個人的には、考察しがいのある味わい深い謎を残してくれたと思います。原作よりも好きな映像作品なんて本当に久しぶりです。「蟲師」以来の大ヒット。
以下ネタバレあり。

考察:「夢見る子どもたち」の意味

ラストの刑事が「夢見る子どもたち」という映画を「大人一枚」と言って観る……というワンシーン。さらっと見逃してしまいがちですが、このシーンには様々な意味が込められていると思います。

  1. 友達と一緒に映画を作りたい! というまさに「夢見る子ども」だった刑事が大人の自覚を持った。
  2. 刑事は夢を叶えられなかったことをいつまでも悩んでいるほど子どもだったわけですが、その夢を叶えられなかったトラウマを克服しました。それも、もう一度夢を叶えようと頑張るなんていう単純な子どもっぽい手段ではなく、 もともと好きだった映画を観て楽しむ、そしてそれで満足する、という大人らしい手段で。
  3. そしてその映画のタイトルは「夢見る子どもたち」。ここで刑事は、「夢見るこどもたち」だった自分(そして自分の夢)を客観視する。夢から逃げるのではなく、夢を盲目的に追うのでもなく―――夢と現実の折り合いをつけるわけです。これは分別を持った、まさに大人の行為です。

考察:巨大パプリカはなぜ理事長を倒せたのか

夢にとらわれた理事長の闇を、この作品におけるスーパーヒーローであるパプリカが吸い尽くす というポカーンと呆れてしまうようなトンデモ展開ですが、子どものパプリカが夢を吸収するにつれて大人へと成長する、そして夢が覚めて現実に戻るってモロに作品のテーマですよ。誰もがある意味では「夢見る子ども」なんだけど、その夢を糧にして「大人」になるんだよ、と。
きっとあの闇は人間の抑圧された無意識なんでしょう。誰だって殺意や悪意なんかの負の感情をもっているけど、それを必死で隠しています。 理事長に限らず人の無意識なんてあんな感じにドロドロしているはず。でもそんな陰湿なモノを、パプリカは文字通り食べて、成長した。 つまり<抑圧されたモノ>から逃げるのではなく、それを認めて受け入れること それこそが人間としての成長である、と言いたいのです。「無意識領域に抑圧されたモノを自覚し、意識するようにする」ってのはまさにフロイトにおける精神治療法ですし、サイコセラピストのパプリカとしてはこれ以上無い方法だと思います。
まあ、これは簡単そうに見えてとても難しい。そもそも簡単だったら心の病気なんて存在しないわけです。誰だってあんなドロドロした闇は臭いものに蓋の要領で放置しておきたいです。しかし、その困難をふまえた上で、なお、「パプリカ」はこう言いたいのでしょう。
「そこ(無意識)にあるのがどんなゲテモノでも、全部受け入れてやれ」と。
抑圧されたモノを受け入れるとは、すなわち抑圧された感情を表現することでもあります。あの刑事の場合は「映画が好き、映画を作りたい」というものでした。それまで避けていた映画を見ようとする刑事は、自分の感情を表に出し、現実と折り合いをつけることに成功したのです。というわけで、この映画自体が一種のサイコセラピーのケーススタディだったわけですね。うん、やっぱ面白いですよこれ。