遠き神々の炎 / ヴァーナー・ヴィンジ

ヴァーナー・ヴィンジのどこが好きと訊かれたらこう答えるほかない。なにもかも!なにもかもだよ! と。遥か未来の宇宙で、様々な種族がゆるやかな通商によって結び付けられたネットワーク銀河が舞台。そこで人類がパンドラの箱を開けてしまい、宇宙規模の災厄がもたらされる。宇宙を救うために銀河を股にかけて活躍するのかと思いきや、犬形集合知性体の星に墜落して現地の抗争に巻き込まれてしまうというストーリーです。
本書はバリントン・J・ベイリーに近い奇想SFですが、さらにスペースオペラやファンタジーも内包した、実に読み応えのある小説です。本を読む楽しさを久しぶりに体感させてくれました。もっと言えば小林泰三「ΑΩ」筒井康隆「旅のラゴス」ロバート・J・ソウヤー「スタープレックス」を足して3で割らない、という感じです。(グロは無いのでご心配なく)。それとほんのちょっとだけMagic: The Gatheringっぽいかなあ。*1
ラゴスっぽいキャラとして巡礼というのがいるんですが、こいつはいい味出してますよ。SFの王道みたいな清々しさが好きです。以下、ネタバレにならない程度に紹介します。


犬型集合知性体:鉄爪族(てつづめぞく)

本書の一番の魅力は鉄爪族という群体精神を生き生きと描いているところです。人間の脳は神経ネットワークの結合ですから、脳同士のネットワーク結合でも知性が発現してもいいのでは? というアイディアが秀逸ですね。ディティールもよく練られています。固体同士が4〜6匹集まって集合意識をもつのですが、そのコミュニケーション方法が音なので、何かを考えると <思考音>が生まれます。この思考音のせいで群れ同士が近づきすぎると、音が混ざって意識が混濁してしまうのです。また固体のそれぞれが異なる性格を持ち、その個体の集合がひとつの人格をつくるという設定なので、固体が欠けたり増えたりすると性格が変わります。つまり精神の品種改良が可能なのです。自分に都合のいい性格の固体を残し、あとは間引きすれば物理的に精神を変えられます。競馬でいえば、馬主 兼 牧場主 兼 種牡馬 兼 繁殖牝馬みたいなもんです。ダビスタなら簡単に劣った血統を切り捨てられますが、その劣った固体ですらも自分の一部なわけですから、そう簡単にはできませんが。また、サンデーサイレンスノーザンダンサーのような一流の血統があれば、社会全体の資質を向上させるなんてこともできます。 <血統判断>というのもあり、これはナスルーラの3×4とかそういう話ではなく、群れに外部の固体を加える時の、どの固体同士なら相性がいいかというものです。


考察:銀河の場所によって物理法則が異なるのはなぜ?

本書の設定でもうひとつ面食らうのはコレでしょう。物理法則が普遍的なものとして考えられているので、宇宙のどこでも同じはずだ、というのが普通です。作中ではこの設定の根拠は明らかにされませんが、人間原理を相対化しよう」ということなのかなあと推察しました。なんのことかさっぱりだと思うので順を追って説明します。
人間原理とは宇宙の構造が奇跡的なまでに人間に適していることへの説明として、「宇宙が存在するのではなくまず人間が存在し、その人間が自身を存在させるために宇宙をそのように都合よく観測した」という宇宙論です。*2
さてこの人間原理ですが、なにも世界を観測しているのは人間だけじゃありません。猫や犬だって世界を観測してもおかしくはありません。犬原理や昆虫原理があってもいいでしょう。さらにいえば異星人原理だってあるかもしれません。この考えをさらに押し進めると、宇宙はその観測者の生存範囲によって異なる物理定数を持っていると言えます。人間が観測できる範囲は人間原理が適用され、異星人が観測できる範囲は異星人原理が適用される。ではそれらの原理が適用できない範囲はあるのか?

これらの記事を参考にすると、銀河系の中心部は生命の存在を許さない環境であるといえます。このことを(強引に)人間原理に当てはめて考えると、

  • 銀河の中心部:生命が存在しないため、生命の存在を許す物理定数を持つ必然性が無い
  • 銀河の外縁部:生命が存在するため、生命の存在を許す物理定数を持つ
  • 銀河の周辺部:さらに高度の存在を許す物理定数を持つ?

……というわけで銀河の位置によって宇宙の性質そのものが変わってもいいんじゃないかというのが、「遠き神々の炎」のアイディアです。本書の、「銀河の外縁部から中心部に移動するだけで知性が鈍り、生存が不可能になる」という設定はたしかに突拍子も無いです。ですが、こうも考えられるのです。多くの知性の存在によってかろうじて宇宙が正常に機能しているのが外縁部なのでは? 生命の存在しない(あるいは少ない)中心部では人間原理が適用できるほど多くの観測者がいないため、外部から進入した知性体の生存を宇宙が許さないのでは? と。つまり観測者による多数決、人間原理版の民主主義というわけです。*3 ハードSFファンには荒唐無稽に思えるでしょうが奇想SFとしてならまさに金字塔です。

*1:つっても、ヨーグモスっぽいヤツがファイレクシアっぽい侵攻をふっかけるんだけど、ウルザっぽいのとジェラードっぽいのが立ち向かう、という程度です。

*2:グレッグ・イーガンの「宇宙消失」や「万物理論」が詳しいです。

*3:イーガンの「順列都市」は人間原理版の適者生存でしたね。より整然とした美しい理論を持つ観測者がいれば人間原理はその異星人原理の前に崩れ去る、という話でした。