2014年最大の収穫かもしれない――上田岳弘「太陽・惑星」

とんでもない新人が出てきたな、と読了して思った。本書は中編が2つ入っているが、そのどちらも長編3冊分くらいを凝縮したような濃度となっており、大変読みごたえがあります。まず「太陽」。これは、人類の歴史をものすごくミクロな、俗っぽい個人の描写をつなぎ合わせて、最終的には人類の終末、そして太陽の終末まで持っていくという、疾走感のある作品です。舞台の中心は現代で、その中で、まあ色々な人間が、色々な欲望を持ちながら生きているなあ、という、いかにも典型的な文学パートがあるんですが、そこから急激に時代が1万年ぐらい経って、「人類の第二形態」とかいう話になるんですよ。すごい。進化してる。ポケモンか。
で、この「人類の第二形態」が何かというと、それはもう、技術が発展しすぎて、ありとあらゆる不自由がなくなり、人類がみな平等の状態、と説明されます。素晴らしいじゃないか、と「人類の第一形態」であるところの僕たち現代っ子は思うのですが、実際、人類みな平等というのはそれはそれで地獄なのでした。
なぜかというと、その世界ではありとあらゆる経験が、富が、快感が、いともたやすく得られる世界なので、いかなる希望も、絶望も、それはコンビニ行くよりもたやすく気軽に得ることのできるチープなものでしかなく、何をしようと、何を考えようと、すべてが、ありきたりな one of us でしかない世界なのです。いかなる生も、他者と差別化できない、そのような世界で、真に独創的なことをして、生の意味を少しでも実感しようと思うと、それはもうとんでもなく馬鹿げたことをするしかない。という感じで、非常にあっさりと、「太陽の核融合を無理やり進めて、その過程で重金属である金を大量に作る(この過程で太陽は爆発的に反応し、人類は滅亡する)」というプランが実行されます。わーお。
僕の好きな小説で、イーガン「しあわせの理由」という、快感と不快感を自由にコントロールできるテクノロジーを扱った作品があります。この小説を読むと、人間というのは、脳内のちょっとした化学反応を引き起こすために、大変に迂遠な努力をしているなあ、というふうに思えます。そうした中、「たかが、しわせごときに右往左往されるってぶっちゃけどーよ」という感じになって、「何が何でもしあわせにならねばらない」という価値観から、少し自由になれます。本作は、もう少し別の角度から、しあわせを相対化しているな、という感じ。つまり、完全に、しあわせが、そしてその他の感情も感覚も自由に、摂取できる世界になってしまったら、その時、しあわせのかつて持っていた重みは失われてしまう、ということです。そして、しあわせの価値が暴落する世界は、同時に生の価値が暴落する世界です。
そういう意味で、「太陽」の結末は、人類の終末として、意外と納得できるものなんですね。いや、本当に、とんでもないのですけれども。まあ、個人的には、たとえ「人類の第二形態」に移行したとしても、真理の探究とか、超長期的には熱的な死を迎えるこの宇宙からの脱出(ワームホールの利用)とか、色々とやるべきことは残されているので、人類はしぶとく生き残り続けると思いますけどね。生に飽きてしまったミームは淘汰されていくでしょう。イーガン「ディアスポラ」的な。

次の「惑星」。
これもまあ、面白い。「最終結論」を自称する精神科医が出てくるんですけど、こいつの特殊能力は全知全能です。過去から未来まで、ほぼありとあらゆる人類の思考・経験を把握できる、というものでして、しかもそいつの敵のようなものとして「最強人間」とかも出てきます。うわあ。すごい。なんか、こういう、中二病バトルもの好きですよ、ええ。とか思っていると、別にバトルするわけでもなく、なぜ「最終結論」がこのような謎の能力を持っているのか、という点を簡潔に説明して、小説は終わります。
ネタバレしてしまうと、人類補完計画ですね。人類がすべて連結して、一つの巨大な夢を見ている状態になってしまっていて、その夢の一人称が、「最終結論」、つまり、人類は結局このような形態に落ち着くしかなかった、という自己認識なのですね。だから、「最終結論」は人類のことは基本的になんでもわかる、と。
で、この小説の面白いところは、その「最終結論」さんが、本当にこの結末でよかったのか、とわざわざ、一人の個体の形を再構成して、延々と悩んでいる、というところなのですね。実は、全然、最終的な結論になり切れていない。色々とほかの道もあるのではないか、と模索している。あえて、「最強人間」という敵を配置し、そいつとの論争をするという形で、自問自答している。このような、群体としてしか、人類はありえないのか、と。個体が、それぞれバラバラに、協力し合ったり、反目しあったり生きていくという、形式はありえないのか、と。
まあ、でも、ちょっと人類補完計画になってしまう経緯がぼかされている点が不満ですね。別に、オンラインゲームみたいな形で、各個人がそれぞれのアイデンティティを保ちつつ、アバターを駆使して仮想現実を生きる、というのでも全然アリなのではないかと思います。むしろ、その世界から、なぜ、いかにして、各人の輪郭が溶融して一つになってしまう人類の統合に至ってしまうのか、まったくもって謎。例えば、各人のアバターをそのまま管理するハード側の計算能力が足りなくて、運営側が開発した計算量削減を目的としたサービス「みんなとひとつになろう!」が爆発的な人気を得て、人類は進んで、一人でいることの孤独から、統合へと逃げ出してきた、みたいな話とかが必要なのではないですかね。フロム「自由からの逃走」をオンラインゲーム上でやったら、全体主義でなくて、一個の統合された人類ができてしまいました、みたいな。
因みに、作中で紹介されるレム「ソラリス」はあんまり面白くないので、「虚数」の方でも読むことを推奨します。