ランドマーク / 吉田修一

吉田修一ははじめて読みましたが、巧いなあと感心しました。鉄筋工と設計士という対照的な二人の日常を描いたストーリー。はっきりいってヤマなし・オチなしなんで、エンタメとしては失格です。フィクションとして読者を楽しませようという気概がこれっぽっちもありません。でもそこがストイックというか、無機的な感じがしていいんです。嘘と願望と幻想にまみれた夢物語も好きなんですが、夢が全くない人生の瞬間というのは厳然と存在しますし、そういうところだけを切り取って作られた小説というのだって、あっていいじゃないですか。
この作品を象徴していると思ったところを抜粋します。

いやなんだよ、お前らみたいなのに囲まれて、毎日毎日、重い鉄筋担いで組んで、これで人生終わってくのかと思ったら、イライラしてしょうがねぇはずなんだよ。なのに、ぜんぜんイライラしねぇから、こうやってわざとイライラしてんじゃねぇか。

世間一般の評価では、鉄筋工:設計士 = 負け組:勝ち組 = 奴隷階級:支配階級 でしょう。で、やっぱ負け組の人はつらいんだろうなあ、とか社会への怒りとかがあるんだろうなあ、とか思うわけです。けどよぉ、と鉄筋工は考えます。けどぜんぜんイライラしねぇんだよ、飼いならされていることにムカつくはずなのによ。
そしてあえてイライラするために、男性用貞操帯をつけて生活するようになります。ぶっちゃけ意味不明ですし、本人も自分がなんでそんな意味不明なことをしているかわかりません。実際つけていても何にもメリットはないし、ただイライラするだけなのです。
そんな変なものをつけているのがバレたらやばいので、当然鉄筋工は隠します。まあ、一応隠すけどすぐバレて笑われるんだろなあと考えながら、隠し続けます。しかし予想に反して誰も気づきません。そりゃあ隣人が貞操帯なんてつけてたらビックリしますが、貞操帯をつけてるかどうかを気にしながら生きているのでない限り、気づくことはありません。
そこで鉄筋工は思います。なんで誰も気づかねぇんだよ、おかしいだろ。っていうかおれが何をしようが周りにとっちゃたしかに関係ねぇけどよ、なんかあんだろ、もうちょっとぐらい関心持ってくれてもいいだろ、無関心すぎんだよこの世の中。なんつーの? 「世界に一つだけの花」のはずなんだよな、おれらって、でもよ、オンリーワンってぶっちゃけどういうことだよ、貞操帯つけてる男はかなりオンリーワンだと思うけど、その辺の雑草よりも存在感ねぇよ。
「自分は特別、だから自分って素晴らしい」という思想は自己中心的ですが、たしかに心地いいものです。しかし欺瞞でもあります。主観的には特別でも、客観的に見て特別な人間というのはほとんどいません。そもそもレアで数が少ないからこそ特別なのです。
しかもこの思想が厄介なのは「特別じゃない人は素晴らしくない・価値がない」だから「特別な自分を見つけるべきだ」という、自分探し病を発症させる点です。特別への意志を植え付けるこの教育は、苛立ちを生みます。特別じゃない人・世界を支えている大多数の奴隷、そんな人に「特別になれ」なんて言うのは残酷じゃないですか? 東南アジアで売春している少女・アフリカで金持ちのために働く使用人、そういう人に「君は世界に一つだけの花だね。オンリーワンだよ」と言うのは欺瞞じゃないですか?
そういう様々な思惑をひっくるめて筆者はこう言うのです。そんなに特別になりたかったら貞操帯でもつけてみればいいんだよ、と。特別とは希少であるということですから、世の中には必ずその特別の枠からはみ出る人がでてきます。そんな凡人である私たちに「特別であれ」と言っても一体何ができるんでしょうか。「いやいやおれは特別ですよ」という自負を持っている人はちょっとだけ客観的に今の自分を眺めてみてください。それは主観的にはどれほど特別なことでも、世間一般からしてみれば貞操帯をつけてる程度の些事かもしれません。凡人が持つ特別への憧れと、その願望をインスタントに満たそうとする行為が決して社会的には評価されないであろうことを象徴したのが、貞操帯だったのです。