玩具修理者 / 小林泰三

小林泰三のデビュー作。表題作と中篇「酔歩する男」収録。「玩具修理者」はグロさに定評のある佳作ですが、プッシュしたいのはなんと言っても「酔歩する男」です。凄いです。いや、凄いなんてもんじゃない。
史上最高のホラーといっても過言ではありません。時間と意識を扱ったハードSFでもありますね。

「怪談」のブレイクスルー

「酔歩する男」で使われた手法は凡百のホラーとは一線を画すものです。
「怪談」の基本は読者を安全な日常・現実から異世界に連れ去ることにあります。その異世界とは、既知外の大量殺人鬼だったり、呪った相手を祟り殺す悪霊だったり、触手蠢くエイリアンだったり、人類を滅ぼす気満々のウィルスだったりします。どれもこれも日常ではそんなことありえないから怖いのです。もちろん日常の中にだって怖いことはいくらでもあります。交通事故に遭ったり、留年したり、会社をクビになったり、果ては主観的世界の破滅と同義である自分の死だったりと、日常も怖いことづくしです。しかし、これらの恐怖は日常の一部として了承されているがゆえに、本当に怖いとは言いがたい。みんな「そういうこともあるようね」と納得済みなのです。逆に、日常の外=異世界で起こる恐怖は「そんなの納得いかねぇ!」という恐怖だから怖いのです。
だけど異世界での恐怖にもまた弱点があります。それは日常という避難所があるためです。どんな恐ろしい怪物が出てきても、「でも現実にそんなのいないしな」と安全な日常へと退避することができます。所詮出口(逃げ場)のある「お化け屋敷」的エンタテイメントに過ぎません。「酔歩する男」は違います。この作品を読むと、いかに今まで安全だと盲信していた日常が実がグロテスクで不安定なものだったかを思い知らされます。たとえるなら、出口の見つからない「お化け屋敷」。散々迷ってやっと日常へ帰れると思ったはずが出口の外も延々とお化け屋敷だった、いや、今までの日常すらも広大なお化け屋敷の一部でしかなかったといったところか。避難所であるはずの日常・絶対確かなはずの現実をここまで異世界へと変容させられると、読者としては逃げ場の無い恐怖にただ翻弄されるのみ。日常・現実そのものがいつのまにか非日常・非現実に侵蝕される、まさに「怪談」のブレイクスルーと言っていいでしょう。
なぜそんなことが可能かというと、この作品は論理の精度が異常に高いんですよ。「そんなこともあるよね」→「じゃあこういうこともあるよね」という個々の論理の飛躍はごくごくわずかなのです。しかしそんな「当たり前」から始まったはずの論理がいつの間にかとんでもない結論に至ってしまう。「そりゃねーだろ」と読み返してみてもそれぞれの論理は固く結び付けられているので、認めざるを得ない。たとえ全部が嘘っぱちでも、本気で信じてしまいそうなリアリティと説得力があります。*1
本書で崩す日常は、「時間」「意識」「死」などです。これらを盲信している方は読まないほうがいい。読後、マジで眩暈を覚えることでしょう。ていうか子供に読ませたくない本NO.1です。18禁、いや21禁あたりが妥当。………なんて書くと向こう見ずな中学生あたりが手を出しちゃうんだろうなあ。残念だがそれはすでに私が通った道だ! まあオススメなんで是非ご一読あれ。

*1:この手法はハードSFでよく使われる手法ですが、普通なら気持ちのいいセンス・オブ・ワンダーになるところを、極上のホラーにしてしまうところが小林泰三クオリティって感じです。