セクシュアル・マイノリティの視点でみる「他人の嗜好に土足で踏み込むマジョリティの無神経さ」 ――「わたしはロランス」

セクシュアル・マイノリティを描いた映画。マイノリティであることを変に持ち上げたり、ヒロイックな気分に浸るための手段として利用したりせず、ただただ淡々と、息苦しいシーンが続く。印象に残ったシーンは3つある。
1つは、肉体的に男性の主人公が、自分のジェンダーは女性だとカミングアウトし、大学教師としてクラスに登壇するシーン。昨日までは長身イケメンの教師がいきなり化粧して女装してくるわけではある。クラスの空気は真冬の釧路湿原みたいに凍る。このときの、居た堪れなさはすごい。
2つ目は、主人公が教授会から圧力をかけられて辞職せざるを得なくなった日に、やさぐれながらバーに入って酒をあおろうとしていた時に、見ず知らずの男が興味本位で声をかけてきた時、主人公がぶちぎれるシーン。この個人の趣味の問題に、他人が土足でずかずか足を踏み入れてきた感じが、半端ではなく、ついかっとなって殴った主人公の気持ちが大変よくわかる。たしかに、殴りたくなるほどうざい。特に悪気があるわけではないマジョリティの、異質なものに対する「それってちょっと変じゃないですか」というツッコミが、いかに無神経で、腹立たしく、そして寛容さに欠けるものであるかを鮮烈に描いている。
3つ目は、主人公が元恋人(女性)と何年かぶりに出会って、よりを戻すのかと思いきや、なんか会話が上滑りして、以前みたいな親密な感じでなく、結局ほとんど会話を交わすことなく立ち去ってしまうシーン。かなり不思議なシーンで、状況だけみると、とても悲しい出来事ではあるのだけど、なぜか解放感のあるような演出になっている。自分のジェンダーをカミングアウトした結果、職を失い、恋人(ヘテロ)にもふられ、息詰まる思いを抱えながら放浪した主人公が、恋人を失うことが決定的になったシーンなのである。もうこれで失うものは何もない(あとの人生にはアップサイドしか残っていない)という、開き直りなのだろうか。よくわからない。