他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス / 若泉敬

核密約問題で注目されている外交当事者暴露本。沖縄返還交渉の表の外交チャネルが外務省だとしたら、作者の若泉敬が携わっているのは裏の外交チャネルである。沖縄返還というと、日本人にとっては当たり前のことであるが、アメリカ側からしてみたら戦場で獲得した領土をテーブル(話し合いの場)で返すというほとんどありえないような外交交渉だったのだ。当然そこにはなんらかの見返りが必要であるし、また沖縄が軍事基地の拠点として戦略的に重要だから返す必要なんてそもそもないんじゃね?という米軍部の意見にすらそれなり説得力があったのだ。
というわけで日本側には見返りと安全保障上必要な譲歩の2点をする必要があった。しかし、そんなことすれば当然国民は怒る。僕たちは短絡的にしか物事を見ないから、それがいかに駆け引き上不可欠なことでも「沖縄返還アメリカの保護貿易政策の道具にされた」「核兵器再持ち込みを認めるのは非核三原則に反してけしからん」などと批判して外交交渉をぶち壊してしまう。だからこそガラス張りの外交チャネルではない、もうひとつの影の外交チャネルも必要なのだ。こうして、表の外交交渉では国民が切れないような当たり障りのない発言をし、裏で「密約」を結んで実質的な取引をすることになる。
さて、こうした外交の実態に対して反論は2つほど出てくるだろう。

1点目「デモクラシーなんだから全部オープンしないと詐欺だよ!」派

デモクラシー(民主制)においては、政治家はあくまでも国民の代理人にすぎない。その代理人ごときが本当に偉い依頼人(国民)の目を欺いて裏でこそこそやること自体がけしからん。これに対する再反駁としては、政治家は「国益のために動くこと」を依頼されているので、依頼人がアホな場合は自分たちの裁量でいろいろやっていいんだよ! つーかお前らに外交問題なんてどうせわかんねえんだからガタガタ抜かすな!(言いすぎ)。

2点目「影でこそこそやった結果がこれだよ!」派

1点目は形式的な批判だが2点目は実質的な批判である。すなわち、影でこそこそやるからにはそれなりの実益がないといけないのに、あろうことか非核三原則に違反する「密約」なんてしでかしてますぜ! こんなんじゃすべてオープンにして議論したほうがマシだぜ! というものだ。

1972年の沖縄返還をめぐる日米交渉の過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が69年11月の首脳会談で取り交わした合意議事録の現物である。佐藤氏の遺族が保管していた。議事録は、米国は沖縄返還時にすべての核兵器を撤去するものの、極東有事など「重大な緊急事態」の際には沖縄に再び持ち込む権利を有することを明記し、日本側がこれを認めることを確認したものだ。末尾には佐藤、ニクソン両首脳のフルネームの署名がある。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/143133

これに対する再反駁としては2点あり、そもそも「重大な緊急事態(extreme emergency)」が起きた時には日本が攻撃されるかされないかみたいな状況なので平時の平和政策である非核三原則を厳密に適用することに意味がない点が一つ。そして原子力潜水艦があれば核を自由にどこでも配置できるんだから、核を基地に持ち込むなんて軍事上あまり意味無いので適用されるケースはほぼ無いだろうという点で計二つ。さらに再々反駁するとしたら、密約を拡大解釈されてしまう恐れがあるということだが、そんな自体になるということは日米の信頼関係がガタガタで日米安保もヤバイというケースなので密約そのもののデメリットが深刻とは言えないだろう。

密約とかどうでもよくね?

まあぶっちゃけ佐藤栄作が作中でも語っているように、対外関係なんてのは形式ではなく力関係で決まるのだから、こんな密約程度で沖縄返還という実質的な取引ができたのだから十分だと思う。一応、契約なので法的な拘束力はあるのだが、そんなものは実質的な権力があればいくらでも踏み倒すことができるし、現に日本はソ連にそうやって踏み倒された。だから問題は結局、日本の国力をどれだけ維持できるかにかかっている。その実質的な権力こそが、外交においてどれだけふんだくれるかの上限を決める。外交交渉そのものが結果に影響を及ぼす度合いなどたかが知れている。
この本の表題にあるように、若泉敬自身は「これしか方法はなかったんだ! おれは精一杯やったけど核の持ち込みOKしてしまったし繊維問題でもいろいろややこしいことになってしまって悔やまれる」というスタンスである。そこには、交渉担当者の努力が足りないせいでこんな結果になってしまったという外交交渉を過剰評価する心情があるように思われる。

同書の上梓後、1994年6月23日付で大田昌秀沖縄県知事宛に「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自殺)します」とする遺書を送り、同日国立戦没者墓苑に喪服姿で参拝したが自殺は思いとどまった。その後、『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』英語版の編集に着手。完成稿を翻訳協力者に渡した1996年7月27日、癌性腹膜炎により福井県鯖江市の自宅にて逝去(享年67)。死因について実際には青酸カリでの服毒自殺だったとする説もある。
若泉敬 - Wikipedia

なんというか、頭の中はまんま憂国のサムライだったのだなあ。最後のほうで今の日本を金銭ばかり追い求める愚者の楽園だとかdisって、あげくに新渡戸稲造の「武士道」最高! とかいう蛇足きわまりない愚痴を吐いちゃってるし。いやあしかし外交史の一端が垣間見れてなかなか面白い読書体験でした。読み物としては全く面白くないけどな!