象られた力 / 飛浩隆

国産SFの最高峰でしょう。2004年度「SFが読みたい!」国内篇第1位の、飛浩隆の短編集。テッド・チャンと並び賞されうる才能です。型破りなアイディアとそれをストレートに伝える清新な文章。作品のテーマは様々なんですが、強引に一くくりにするなら美術SFであり芸術SFと言えます。人が何かを美しいと感じる時、その「美」はどこから生まれてくるのか。美術評論家だけが気にするような話題ですが、これをSFという視点で捌いたとき、誰もが目を瞠るような美しさがたち現れます。一見、ただキレイなだけの文章を並べているかに見えます。しかし美を解き明かすというテーマを考えるとそれは間違いです。全てがその中身と表面において美しさを象っており、それゆえにこそ清冽な感動がありました。以下かるくネタバレ。

デュオ

倒叙ミステリかつ音楽SF。双子の天才ピアニストを殺したその驚くべき方法と理由。この短編集の中で一番好きな作品です。どこからどこまでが生きるということなのか、人はなぜ芸術を好むのか、というテーマが両立した傑作。
人の欲求のひとつには表現欲というのがあります。たとえば誰にも何にも伝えることができないという人生を想像してみてください。当人以外には誰もその存在を知らない人生……はたしてそれは「生きている」と言えるんでしょうか? 
普通の人間は生きている = 生活している = 人と関わっている、というプロセスの中で知らず知らずのうちに表現欲(おれを見てくれ! おれに構ってくれ!という願望)を満たしています。しかし、そんな普通の関わりじゃ満足できない人もいるでしょうし、物理的にそういった関わりが極端に制限されている人もいるでしょう。そういった人にとって表現することというのは、とても大切な生きがいなんだと思います。むしろ、生きること = 表現すること ぐらいにはなってそうです。
その表現の最も純粋なかたちが、芸術です。では、逆に芸術の最も純粋なかたちとはなんでしょう? それは、「生きること」と「表現すること」が「≒」ではなく「=」でつながれた瞬間に実現します。陳腐な表現ですが、芸術とは魂の叫び・自己の存在をかけた表現形式なのです。とすれば、魂そのもの・自分が生きていると証明する唯一の表現形式こそが真の芸術ではないでしょうか。

呪界のほとり

宇宙の法則が通常とは異なる領域・呪界をめぐる冒険。ヴァーナー・ヴィンジ「遠き神々の炎」をより幻想的にしたような世界観です。

夜と泥の

漫画版「ナウシカ」みたいなSF。独特の生態系と、想像を絶する生の選択の形。壮大なんですがどこか感傷的なラストが沁みます。

象られた力

かたちSFという驚異のジャンル。図形とデザインをめぐる様々な考察は衝撃的です。たとえば、英語と日本語という異なる記号が同じ内容を表現できるように、文字ではない図形でも意味のある内容を表現できるでしょう。この文章とそっくり同じ意味をもつ記号だってあるかもしれません。このような図形言語が発達した社会が舞台です。バリントン・J・ベイリー「カエアンの聖衣」とちょっと似てますね。そして世界を一変させる力を持った文様を探求するというのがストーリーです。
あらゆるかたちはそれ自体がひとつの情報です。他の情報に影響を与える情報というのは数多くあります。「風が吹く」という情報が「桶屋が儲かる」につながったり「大陸の反対側で台風を生む」につながったりします。この書評だってあなたに影響を及ぼし、購買意欲を増減させるでしょう。では、他のかたちに影響を与え、あらゆるかたちを支配するようなかたちも存在するのではないか。ひとつのプログラムがOSごとクラッシュさせることがあるように、世界のバグのようなものとして在るかたち。グレッグ・イーガン「万物理論」みたいに、他のあらゆるものを根源的に捉えなおすようなかたち。
しかし、よくよく考えてみると、そのようなかたちがパンドラの箱のごとく存在するというのは少し変です。ソシュールという偉いおっさんが言っていたように、かたちの認識は恣意的だからです。どのようなかたちをそこにみるかは、見るものの文化・知識・その時の気分に大いに左右されます。

  • たとえば ☆ は、世界中の多くの人間にとって星を表すでしょう。
  • でも 0 ならどうでしょう? 数字のゼロかもしれませんし、アルファベットのOかもしれませんし、図形の楕円かもしれません。
  • 0_0 なら顔文字かもしれませんし、楕円2つと線分1つによる図形かもしれませんし、id:daen0_0のことかもしれません。

要は、読者次第なのです。そう考えると、全てを破壊する引き金となった例の図形だって、読者がそう読み取ったから生まれたのかもしれません。パンドラの箱そのものではなく、世界からパンドラの箱を読み取ってしまう読み方・文化のほうが、元凶だったのでしょう。
ってまんま「ビットからイット(It from bit)」理論じゃないですか。いいかげんこのネタで解説するのも飽きてきました。もっと新しい読み方ができればいいなあ、と思う今日この頃です。小説という情報の塊り・文字で綴られた一連のかたちを、最大限楽しみつくすような読み方を私は模索しています。