脳と仮想 / 茂木健一郎

脳科学の分野で有名な茂木健一郎のポピュラーサイエンス。世界のありとあらゆる物事は頭蓋骨の中にちょこんとある、1リットルの物理的な構造物の中身で起きた現象に過ぎない。単なる脳内現象ですから、数式で全て記述できてしまうようなものだ。が、「今、ここ」にあるリンゴの赤い感じとか質感はその数式では表すことはできない。この主観的体験の質感をクオリアと呼ぶ。今の科学ではこのクオリアを記述できないではないか、こいつはおかしいぜ! という話。
本書ではさらに一歩先に進みます。主観的体験は全てクオリアである。いってみれば現実そのものでは決してありえない、単なる現実の写しである。つまるところ全ては仮想にすぎない。カントも「純粋理性批判」で言っているではないか。物自体を知覚することは人間には無理だと。だから人間は現実を仮想として体験しているにすぎない。
うん。まあ納得できる。だけど取り立てて新しい意見ではない。というか現状の科学で記述し得ない領域をクオリアという文学的な表現で呼んでいるだけで、その見方には新しい科学によってすぐに駆逐されてしまうような胡散臭さがあります。要するにこんなに世界は美しいのに、こんなに世界は世界世界しているのに、それが味気ない方程式でちゃちゃっと表現されてしまうのは変だろ! という素朴なパッションが伝わってくるのです。
そしてその思いを補強するために筆者は数多くの芸術論・美学を展開するわけですが、そんなに古典LOVEな感性で語られてもドン引きですよ。伝わらない人には単なるスノッブの薀蓄語りとしか思えません。はいはい。わかった。わかった。感動したんだ? うん。よかったね。
とはいえ、この主観的体験の質的な感動が一切伝わってこないというのは、自己と他者の深い断絶を語る上で必要だったのかもしれません。筆者自身が後述するように、人間には他人の考えていることを100%正確に把握することできません。他人の経験を分かち合うことはできないのです。そして読者は気づきます。ああ、クオリアの問題って要するに、この「主観を客観的に分かち合えない」ただそれだけのことなんじゃないかって。