ジョーカー―旧約探偵神話 / 清涼院流水

清涼院流水のJDCシリーズ「コズミック」の続編。幻影城と呼ばれる館で連続殺人事件が起こる―――と書くといかにもありがちなストーリーですが、この物語が事件に巻き込まれている小説家によって執筆されたノンフィクションだという設定が面白い。ノンフィクションですから、事実をありのままに記載しているはずですし、作中の登場人物によっても「真実そのままを記述している」と言及されています。しかし、あくまでもそういう設定ですから、いつ覆るかわかったものじゃありません。いきなり「―――という小説を書いてみたんだけど、どうだい?」などと、今までの物語が作中においてすらもフィクションだったことが明らかにされる展開もありうるのです。一体この文章は虚構内現実なのか、それとも虚構の中においてさえ嘘っぱちな虚構内虚構なのか、一風変わった緊張感が味わえます。しかもそのノンフィクションを書く小説家の名前は、濁暑院留水という作者の清涼院流水をもじったもの。この符号にも何か意味があるんだろうと読者を深読みさせます。

ノンフィクションという形式なので、一個人が観察できる範囲の顛末だけが書かれているはずです。つまり記述者以外が知りえない情報―――他人の心情や行動範囲を超えた場所で起こる出来事などが記述されていた場合、それはノンフィクションの一部ではなく地の文、虚構内現実だとも勘繰ることもできます。あるいは、全ての事件が終わったあと関係者に事情を訊いた上でその文章が書かれたとも解釈できます。とすれば、記述者は事件を生き延びることができる、と予想できます。ほかには、このノンフィクション自体が嘘っぱちで、実は記述者が犯人だった、という可能性もあります。
事件が全て誰かの手記、それも進行中の事件に巻き込まれている作家の手記という設定は、それだけで様々な謎を呼び起こします。
しかもその事件は、「推理小説構成要素三十項」を網羅するものになりそうなのです。「推理小説構成要素三十項」とは「ノックスの十戒」や「ヴァン・ダインの二十則」を踏まえた上で小説家・濁暑院留水によって考案されたものです。もともとこれは、彼がミステリの総決算のような作品を書くために考案したものですが、作中の現実の事件が推理小説的アイディアによって装飾されることで、ますます虚構内現実と虚構内虚構がごっちゃになるという効果があります。そして事件が成就した暁には、濁暑院留水のノンフィクション自体が、ミステリのオール・イン・ワン―――ありとあらゆる要素を備えたミステリ―――となるわけです。もう濁暑院留水は怪しすぎですね。しかしこのミステリの構成要素には「意外な犯人」という項目もあるので、怪しすぎるのは逆に怪しくない、とも言えます。なんという複雑さ。
もともとメタフィクションは好きなので面白かったです。ただ文章が稚拙なのが鼻につきました。地の文で☆や♪が使われていたりするのは明らかに筆が滑っているでしょう。この作品を楽しめた方は、舞城王太郎「九十九十九」東野圭吾「名探偵の掟」筒井康隆「朝のガスパール」小林泰三「超限探偵Σ」(「目を擦る女」収録)円城塔「Self-Reference ENGINE」がオススメ。
以下重度のネタバレがあるので未読の方は注意。




不満が残る真相

犯人は誰でもいいということですが、そう解釈し得るというだけで実際には物理的な犯人がいます。その犯人として挙げられたのが小杉少年ですが、その根拠が

  1. 魅山薫は平井玄次の息子でない
  2. 源氏物語」においては薫の真の父は光源氏ではない。ゆえに魅山薫は平井玄次の息子だと「源氏物語」と事件が符合しない
  3. 小杉少年はピッチングが上手く、雪の密室を作り上げる可能性がある
  4. 作中における天才探偵が魅山薫を真犯人だと指摘した時の、小杉少年の反応が怪しかった

で、どれも不十分。それぞれ

  1. 魅山薫が間宮ていの息子であることは変わらないし、幻影城という出生の地に恨みを抱いていることは変わらない
  2. そもそも「源氏物語」と事件が符合する必然性はない
  3. 可能性があるだけで中一の子どもが行う殺人事件としては無理がある
  4. あくまで主観であり、客観的根拠となりえない

以上の理由から、やっぱり犯人は魅山薫という説が一番妥当だと思います。


トリックとしてのトンネル効果

宇宙開闢以来のスーパーラッキータイムが到来して、トンネル効果で首が鎧を通り抜けて完璧な密室が生まれた、という説明には「ご都合主義ここに極まれり!」と噴飯する人が出てくるんじゃないでしょうか。
だがこの究極のご都合主義こそが重要な伏線なのではないでしょうか。作中で登場人物はさんざん自分が推理小説の中に紛れ込んでしまったようだ、すべては三次元の現実ではなく二次元の虚構なのではないかと訝ります。単なる心情描写にしてはしつこいくらいに繰り返されているこの、こんなの現実にありえねーという感想はまさに正鵠を射た直観なのではないでしょうか。推理小説めいた現実を考えるよりは、まさに推理小説そのものと考える方が自然です。つまりこのノンフィクションは水無瀬なぎさ*1によるフィクションであり、虚構内現実と思われたものは全て虚構内虚構だった、と解釈すべきでしょう。ノベルス版660ページにはこういう表現もあります。「解決篇に夢中で、気づかなかったわ」「五ページほど前から、ここにいました。」、これらのセリフは登場人物たちが自身を小説内の存在だと気づいている証です。舞衣の「解決篇」という言葉は真相の暴露の言いかえとも取れますが、九十九十九の「五ページ」発言はもう疑いようがありません。確実に狙ってやってます。九十九十九は神=作者の代弁者という設定ですから、もう「全て虚構内虚構」説で決まりでしょう。


コズミック総評

ミステリは読んでいる時はそこそこ面白いんですが、トリックが明かされ事件が解決すると、クソ下らない茶番に付き合わされたっていう感じがします。この小説では特にそれを感じました。(とりあえず謎を残すことなくちゃんとオチをつけたのでミステリとして評価します。松尾芭蕉の密室殺人と「1200年密室伝説」をJDCに送った人物についての謎は残りますが、前者はピアノ線を利用した自殺、後者は真相に気づいた信者の行動という説明がつくので、まあいいでしょう。)
それにしても呆れた小説です。真犯人である密室卿が、言葉の正確な意味での確信犯であるというのはいいんですが、それが密室教というバカ宗教だというのはぶっちゃけどうよ? この宗教の教義は信者自身が謎に満ちた密室で殺されることにより、伝説の事件の被害者として後世に名を残し永遠の存在となろう、というものです。
何かが存在するということは、誰かに観測されるということでもあります。とすれば、たとえそれが名前だけという記録であれ、後世まで残れば人々の記憶にのこる不滅の存在となるなでしょう。しかし、それは永遠とは程遠いものです。50億年後には地球は太陽の膨張により蒸発しますから、たかだか50億年記録が保管されるだけです。現在100億年以上とされる宇宙の年齢と終局を迎えるまでの永劫の時間を考えれば、一瞬ともいえる時間です。真に永遠の存在となるためには、記録を時間的無限大まで保管する方法を確立し、かつその記録を時間的無限大にいる究極観測者によって観測してもらわなければいけません。*2
記録に残ることばかりに腐心し、記録を残すための手段を講じないのは片手落ちにも程があるということです。密室教の教義は常識的にもふざけたものですが、その念願を成就する上でもどうしようもなくお粗末です。
どうせなら記録の永久保管を目的とする科学結社を創ればよかったのに。数十万人もの人間が1200年間命を懸けて技術開発に臨めば、少なくとも連続密室殺人事件よりはマシな結果になるでしょう。映画のスタッフロールみたいに、テクノロジー開発に少しでも関わった人間はその名前が残るシステムにすれば科学者以外も納得するでしょう。もともとは不老不死が目的ですから、医療技術にも精を出して社会福祉にも貢献できますし、いい事尽くめですよ。まあ、ミステリにSFの論理で不満を言ってもしょうがないですが。


コズミック・ジョーカー総評

コズミック60点、ジョーカー80点、総評70点。作品の評価は高くないですが、話題性はありますね。なんだかんだいって書評もかなり長文になりましたし。高見広春「バトル・ロワイアル」と同系統の作品です。あと、これはジョーカーの方を先に発表すべきでしょう。「コズミック」で登場人物の多くが密室教信者だったことがネタバレされるので、先にコズミック読んじゃった人は興ざめもいいとこですよ。(まあ清涼in流水を作りたかったんでしょうが)。
「ジョーカー」のレビュー「不満が残る真相」で犯人は魅山薫だと言いましたが、濁暑院留水や小杉少年を含む幻影城の使用人全てが犯人なんでしょう。「1200年密室伝説」とは直接関係ありませんが、同じ連続密室殺人事件なので、この幻影城殺人事件も密室教のシナリオのうちかもしれません。
また「ジョーカー」を虚構内虚構と断定しましたが、虚構内現実の幻影城殺人事件とも酷似したものなんでしょう。ちょうど「コズミック流」と「1200年密室伝説」が酷似しているように。
ああ、それにしてもムカつきます。これだけ壮大な設定があるSFなら読後もさぞや素晴らしい余韻に浸れるのに、ミステリだとなぜこうも騙されたというかがっかりな気分にさせられるのか。

*1:もちろん彼女も作者・清涼院流水が創作した存在です

*2:詳しくはスティーブン・バクスター「時間的無限大」、ミチオ・カク「パラレルワールド―11次元の宇宙から超空間へ」をどうぞ。