ハサミ男 / 殊能将之

少女を殺してハサミを突き刺すというサイコな連続殺人事件が起きる。犯人は世間でハサミ男と呼ばれ、恐れられている。そんなハサミ男が3人目のターゲットを殺そうとしたまさにその時、当の少女はすでに殺されていた。しかも自分が殺そうと思ったまさにその方法で……というストーリー。ミステリという大枠の中で主人公のウィットに富んだ軽口を楽しむというスタイルは伊坂幸太郎と似ているが、こっちのほうが断然に面白い。伊坂幸太郎には決定的に欠けている毒があります。まあ毒があればいいってもんじゃないですが、ブラックユーモアは好きなのでこれはポイント高いですよ。それと伏線回収の手際も見事で、ラスト100ページは字面を追うのも煩わしいほど熱中できました。どうなってんだよ一体! はやく教えてくれよ! という欲望が強すぎて、読むスピードがそれに追いつかないのです。こんなにエンタメとして優れたミステリは久しぶりでした。


主人公は極度のニヒリストです。ニヒルときくと「どうせ何やっても無駄だし」というような悲観的なスタンスを想像しますが、虚無主義とはそういうことではありません。悲観も楽観もどっちでもいいというな、価値観に興味を失ってしまった状態を指します。
たとえば娘との関係に悩む母親が出てきます。この娘はリアクションに乏しい性格で、何を考えているのか全く分からず、母親である自分を愛していないように見えたのです。それでも母親は一生懸命この娘を愛そうとするんですが、その愛が伝わったかどうかは娘が死んだ今となっては分かりません。
主人公はそれにたいして、こう言います。1)母親が娘を愛してたかどうかで2通り、2)娘が母親から愛されてると感じたかどうかで2通り、3)娘が母親を愛してたかどうかで2通りある。真相はこの順列組み合わせ、すなわち2の3乗で8通りである。この8通りの中から好きなものを選べばいい。

  • 楽観主義者なら1)母親は娘を愛していて、2)娘も母親から愛されていると感じたため、3)娘は母親を愛していた、となる。
  • 悲観主義者なら1)母親は娘を愛してはいず、2)そのため娘も母親から愛されていると感じず、3)娘は母親を愛していなかった、となる。
  • 悲劇がお好みなら1)母親は娘を愛していたが、2)不幸にも娘は母親から愛されていると感じていなかった、3)そのため娘は母親を愛していなかった、となる。
  • 複雑なストーリーを望むなら1)母親は娘を愛していなかったが、2)それでも娘は母親から愛されていると感じた、3)にもかかわらず娘は母親を愛していなかった、となる。

お前は一体なにを言っているんだ。と思う方もいるでしょうし、この母親も主人公の話についていけません。要するに母親は「本当の」関係がどうだったかを知りたいのですが、主人公のほうは「本当の」なにかに興味がないのです。結局「本当の」ところどうだったかなんてわかんないから、自分の好きなように物語を作ればいいよ、というわけです。この価値観をおちょくる姿勢が虚無主義です。*1 本書ではこういう主人公の醒めた皮肉がたっぷりあって楽しめました。
虚無主義のいいところは「いい話」を否定することです。たとえば人はなにか深刻な問題について語るとき、自然と「いい話」を構築しようとします。道徳や倫理という名の見えない圧力が、私たちに「いい話」をするよう強要するのです。たとえば自殺について語るとしましょう。どんな議論の場でも「自殺はよくない」という結論に至ると思います。議論に参加する人が多くなればなるほど、結論は最大公約数的な「いい話」へと近づきます。
しかし虚無主義者は「いい話」に興味がありません。だからみんなが言いたくても言えない話をズバズバ言ってくれます。たとえば、自殺未遂がウザいのは自殺というパフォーマンスによって他人を支配しようとするからだという意見は面白い。

別れるくらいなら死んでやる、とか叫んで、剃刀で手首を切ってみせるやつが典型的な例だね。わたしは自殺というふつうの人間にはできない行為を試みた。ゆえに他人はわたしの言うことを聞かなければならない。そんな馬鹿げた論理を押し付けようとする。

しかしこの面白さも、自殺未遂者への同情と憐憫によってもみ消されます。みんながみんな可哀相といってるその場でこんなこと言えば、確実に「空気読めよ!」と非難されます。「いい話」が嫌いだということではないんですが、「いい話」ばっかじゃ飽きませんか? とくにミステリ的に問題なのは「いい話」で満たされた世界では、猟奇殺人というイベントを描けない、ということです。
キチガイという例外的な存在を出すことで安易に解決する作品が多いんですが、そもそもキチガイ=「いい話」の文脈から外れた存在なわけで、ぶっちゃけ説明を放棄しているだけです。また、世間の空気と違う価値観を無理やり「いい話」の中に組み込んでも「心の闇」みたいなわけのわからない理屈が生まれるだけです。*2 しかし、この作品は虚無的な言説をこれでもかっていうぐらいに積み込むことで、「いい話」の圧力から解放されています。それゆえに異常者であるハサミ男を描くことに成功しています。サイコサスペンスものでは今のところNO.1です。*3
余談。新米刑事のイメージが浦沢直樹「MONSTER」の新米刑事です。ビジュアル的には「20世紀少年」のほうですが。

*1:京極堂なら、この8通りの真相の中からベストなチョイスをして事態を丸く収めるんですが、この主人公にはそういうアクティブさはありません。

*2:まるで自分たちが光で、サイコ野郎は闇であるかのような物言いです。FFやドラクエのやりすぎじゃないでしょうか。あまりにも素朴すぎる考え方です。

*3:本当は京極夏彦のミステリのほうが好きなんですが、あっちはサイコサスペンスというより妖怪小説としてカウントしたほうがいいと思うのでこの評価に。