誰が得するんだよこの本ランキング・2010

今年もやってまいりました、年間ベストを選出する企画「誰が得するんだよこの本ランキング」です。気持ちとしては「誰が損するんだよこの本ランキング」にしたいところですが、ブログ名との兼ね合いでこのタイトルになっています。実用書と小説それぞれベスト10を発表するので計20作です。





去年のランキングはこちら。

実用書 第10位 佐藤優「国家の罠」

鈴木宗男と共に国策捜査で起訴された外務官僚の暴露本。なぜ起訴されたのか、検察官との尋問でどのように議論したのか、そもそもこの捜査は国益にかなうものだったのか、など興味深いトピックが目白押しです。検察による役人の不当な起訴がなされ、検察の暴走だとか言われている今こそ読むべき一冊でしょう。また、ノンフィクションとしてすさまじい面白さがあり、文才を感じさせます。



実用書 第9位 リチャード・セイラー, キャス・サンスティーン「実践 行動経済学」

望ましい社会を設計できる、という設計主義は数々の不幸をもたらしてきました。そういった思い上がりのおかげで、共産主義みたいな馬鹿げた社会実験が実施されたのだとハイエクなんかはぼろくそに批判しております。しかし、政府は何もするべきでないなんて言っても誰も聞いてくれないわけで、ある程度政府が何をすべきかという指針は出す必要があります。本書が提示する指針は、誰も管理されていることなんか気にしない管理社会、であります。暴力ではなくデフォルトルールで「1984年」 をやろうという計画です。いろいろ批判はありますが、暫定的に僕はこの立場を支持しています。



実用書 第8位 ムハマド・ユヌス「貧困のない世界を創る」

銀行なら決して負わないリスクを負って、貧者にお金を貸し、高利貸しなら決してしないような良心的な利子だけを取る、というソーシャル・ビジネスを始めたユヌスの本。僕はどちらかというと夢も希望もないニヒリスティックな本が好きなのですが、これは例外的にオススメです。世界を変えようという言葉が、空虚に響くことなく胸を捉える偉大な提案。




実用書 第7位 東浩紀・宮台真司「父として考える」

今の若者は不幸っていうけど、それって自分が不幸なのではないかという不安を感じているだけなのでは、と思う。幸福であることのハードルを無理に上げてしまって、その無理ゲーにいつのまにか流されてしまっているというか。こういう問題意識があるなら、本書は間違いなく楽しめるはず。対談本なので読みやすいですし。




実用書 第6位 エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」

フロイト心理学を基にした定性的な分析が大半で、ともすれば「何言ってんのこのおっさん」状態になるかもしれない。しかし、「近代人は自由になったが孤独になった」というテーマはまるで今の日本を見てきたかのような説得力があります。答えを知るための本というよりも、問題提起のための本。僕の書評もこれが年間ベストだと思います。




実用書 第5位 P・W・シンガー「戦争請負会社」

国家は暴力を合法的に独占した暴力装置であるというのが社会学の見識らしいですが、いやぶっちゃけ独占できてませんから、というのがこの本。現実には暴力装置に成りきれなかった破綻国家が、民間軍事会社を利用することで内戦を終わらせ、なんとか国家としての体裁を保っているというケースがあるのですよ。そうすると、もはや国家というものがなんなのかよくわからんですね。まあ、民間軍事会社なんてものがいるから、その市場である紛争・内戦がいつまでも終わらないという側面もあり、すさまじく厄介です。とにかく考えれば考えるほど疑問が噴出するので、国際社会に興味ある人は読んでみてください。


実用書 第4位 ジョン・グレイ「アル・カーイダと西欧」

アル・カーイダほど近代的なものはない、という主張からはじまる一連の評論集。近代をどう定義するかが非常に面白いです。






実用書 第3位 永井均「これがニーチェだ」

常識や社会的正義なんかをなぎ倒しながら、ありとあらゆる前提を徹底的に批判し尽くそうとした本。これほど何もかもを敵に回す本はなかなかない。しかも単なる反体制にとどまらず、反体制であろうとする自分自身ですら否定していくので、終着点がどこに行きつくのかまったく予想できない。ニーチェに興味があるなら読むべきです。
平岡公彦のボードレール翻訳日記「力への意志と肯定――ジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』を読む」も参照。いつかこちらも読もうと思っています。



実用書 第2位 ハイエク「隷従への道」

冷戦期に書かれた本ということもあり、少々古臭いところもある。たとえば社会主義自由主義かの二択しかないような極端さは、社会主義国家が軒並み崩壊した今となってはピンとこないでしょう。それでも、この本は読むべき価値がある。経済が停滞し、政治への不満が蓄積し、民衆がますます政府にあれをしろこれをしろと請願するようになった1930年代に、本書が批判する計画化は進行した。最近の日本もなんとなく1930年代と同じような鬱積をためているので、僕としては大変心配しています。


実用書 第1位 ニーチェ「善悪の彼岸・道徳の系譜」

一見議論をしているように見せかけて、実は《信仰》や願望を垂れ流しているだけ、というのはひどく滑稽です。野球にたとえるなら、試合をしていると見せかけて、実際はお互い選手宣誓しあってるだけという状況です。言葉のキャッチボールはおろか、そもそもゲームのルール自体をよくわかってません。感動的な選手宣誓をすれば、それがそのまま事実となり、自分たちの勝利につながると素朴に信じているのです。

困ったことにこの野球にはジャッジがいません。いるのは観衆だけです。これらの観衆は、より自分たちに都合のいいスピーチをしたほうを「勝者」にしようとします。選手は野球もせず、ただスピーチしているだけなのに、どうやって「勝者」を決めるというのでしょう? 

答えは簡単です。気に食わないほうを暴力でボッコボコにするのです。

殺してしまえば「死人に口無し」というわけです。狂人のレッテルを貼って社会的に抹殺するのも同じです。そうすれば、自動的にもう一方が不戦勝となります。もちろん、この乱闘騒ぎに選手自身も参加しています。「野球しろよお前ら」とツッコミをいれる人は一人もいません。歴史上初めてのツッコミは、ニーチェが行った道徳批判ですが、その声はあまりにも小さいので、今も世界各地でこの乱闘騒ぎは続いています。






小説 第10位 東野圭吾「名探偵の掟」

東野圭吾でこれがオススメとかどういうことだよ、と言われそうなんですが、僕にとっては誰が何と言おうとこれなのです。主人公である探偵役はこれがミステリ小説であることに自覚的なので、ミステリでよくある設定(密室、アリバイ、無駄に凝ったトリック)が出てくるたびにそれをいちいち茶化しながら、事件を解決していきます。ミステリがどれもこれも同じようなパターンの焼き直しに見えてきたらこれを読むといいでしょう。筒井康隆と同じくらい笑えます。



小説 第9位 貴志祐介「新世界より」

ファンタジーの王道に飽き飽きしている人にもオススメしたい最高に読ませるエンタメ。魔法が万能ではなく、むしろ魔法があるがゆえにいびつな社会構造をとらざるをえないというのがこの作品の肝。だから無邪気に学園ものをする余裕はなく、安全保障のために平気で人命を犠牲にするシビアさがあります。





小説 第8位 田中ロミオ「人類は衰退しました 3」

貴志祐介「新世界より」もそうなんですが、僕は文明が崩壊した未来で遺跡を探検するシチュエーションがかなり好きす。人類の栄光が廃墟になっている有り様に、なんだか遠いところまで来てしまったな、という漠然としたノスタルジーを感じるのです。この小説はそうしたノスタルジーがにじみ出ていて不思議と読み返したくなります。シリーズものなので1巻から読んだ方がいいんですが、これから読んでも楽しめます。




小説 第7位 小林泰三「海を見る人」

最近の小林泰三はネタ切れ感が強くてあまり食指が動かないんですが、この作品みたいな光り輝く短編をぽろっと出してくるから油断なりません。とにかく異常なシチュエーションばかりで、風景を描写しているだけなのに相当わけのわからないことになっています。だがそれがいい



小説 第6位 ジョージ・オーウェル「1984年」

古典とはとても思えない(褒め言葉)。僕は古典厨とか教養厨が大嫌いなんですが、今回ばかりは彼らに追随してオーウェルくらい読んどけよ、と言っておきましょう。これは、運命に抗う人生の話なんです。ソ連のような社会主義国で情報統制機関に勤める役人の主人公が、体制の監視から逃れて、自分の審美感に忠実であろうする、その個々の局地戦の記録なのです。敵はあまりにも強大で、敗北は予め決しているようなものなのだけど、それでも主人公は日々の局地戦を戦い抜こうとする。本当にただそれだけの小説ってことでいいんじゃないかな、とすら思うのです。


小説 第5位 山本弘「アイの物語」

しょせんSFなんてオタクの現実逃避だ夢物語だなんて言われますが、この本はそうしたフィクション批判を自己言及的に取り込んでる。「現実逃避? そんなに現実って素晴らしいのか?」とフィクションそのものが反論してくる。まるで本そのものと対話しているような感覚になるんですよ。そしてその対話の中で「たかがフィクション」だったのが「ああ、やっぱりフィクションっていいなあ」と徐々に切り替わっていく。またこのリアルとフィクションの対話が、人類と人工知能の対話にもなっているところが感動的です。これは、人間の醜さを乗り越える美しい物語という古典的なテーマでもありながら、人類の次を指し示すという未来的なテーマでもあるのです。


小説 第4位 東浩紀「クォンタム・ファミリーズ」

「いまやもっとも重要な問題は、富の再配分ではなく尊厳の再配分なのだ。希望の再配分とも言ってもいい。そこで問題を縁取るもっとも過酷な条件は、世界の富の総量は「クリエイティブ・クラス」の「イノベーション」でいくらでも増やすことができるかもしれないが、世界の尊厳=希望の総量は決して変わりはしないという単純な事実だ。ある個人に尊厳=希望を与えれば、別の個人が必ず尊厳=希望を奪われ地下室に堕ちる。」
この文章にぴんと来たら読んで損はないです。似たような問題意識をもった伊藤計劃「ハーモニー」と比べて着地点が全然異なるのが面白い。ただ結論にはけっこう不満ですけどね。永井均「これがニーチェだ」とは真逆の方向性。

小説 第3位 グレッグ・イーガン「ディアスポラ」

読みやすさで言ったらベスト100位くらいにようやく入ってくるような小説ですが、その衝撃たるやベスト1位にしてもいいくらい。本当にすごい小説を挙げろ、と言われたらおそらくこれお推したであろう。とにかくスケールが大きい話です。





小説 第2位 村上龍「半島を出よ」

基本的に村上龍の小説は没交渉な性格の人間に居心地いいように作られています。要するに「普通」とか「一般」から浮いたアウトサイダーやマイノリティに向けて書かれた小説なので、そういったある種の痛々しさ・普通にするすると生きていけない不器用さをもっている人がどっぷりとハマるわけです。まあ自分がそうなので多分他の人もそうなんじゃないかと推測するんですが。




小説 第1位 グレッグ・イーガン「万物理論」

物理学における統一理論をめぐるハードSFであり、なおかつ価値観の多様化によってどんどん分断されていく人類へのささやかな希望をこめた文学。性別を持とうとしない人、健康を相対化して自閉症の治療を拒む人、無政府状態の人工島「ステートレス」に住む人などなど、常識外れの価値観を持つ人がたくさん出てくるが、そうした人々と分かり合おうと対話するシーンはとくに興味深い。
この本は僕の人生の中でもとくに大切な本なので、面白いとか下らないとか、そういった評価ができる次元ではないです。「万物理論」は人生。そのくらいのレベルです。