果しなき流れの果に / 小松左京

小松左京の代表作。永遠に砂の落ち続ける砂時計を太古の地層から発見した主人公が、何十億年もの時空を超えた戦いに巻き込まれるというストーリー。宇宙になぜ人間のような知的生命体がいるのか、という問いに挑んだ作品。アシモフ「永遠の終わり」を豪勢にした感じです。科学・未来予想・オカルト・伝説・神話など、全方位的な知識をまるで幕の内弁当のごとく詰め込んでいるので読み応えがあります。
以下ネタバレ。
たしかに古いなあと思う箇所はあります。たとえば知性や意識について考察するシーン。言いたいことはわかるんだけど言葉のチョイスがまずいです。

それ自体は物質そのものでもなければ、エネルギーそのものでもなく、そのいずれをも超えるものだ――物質を認識してエネルギーの法則を認識できるもの――物質やエネルギーを前提しながら、そのいずれからも、はなれているもの――『負』の存在、マイナスの場、マイナスのエネルギー、マイナスの時空間――存在の『鏡』

ようするに情報・認識パターンについて言っています。これらは物質を媒介としながらも、物質に依存しません。15という数字は、ディスプレイ上だろうが紙の上だろうが頭の中だろうが、等しく15です。その情報をマイナスの場だとかマイナスのエネルギーだとか言っちゃうのは、物理学者に怒られそうです。実際にヘンドリク・カシミールという学者はマイナスのエネルギーの存在を実証したんですが、それはこの文脈における意味とは全然違います。*1
一方、こういう宇宙と人間の関係をテーマにしたSFがお約束のように使うアイディア「人間原理」の話が一切出てこなかったのはかえって新鮮でした。
核となるアイディアをわかりやすいイメージで簡潔に説明している点もよかったです。過去と未来がつながっている・時間の輪がリングのように閉じているというアイディアだけならよくあります。画期的なのはその時間を2次元的に捉えたことです。一本の未来だけでなく、無限の平行世界を考えると、時間軸はx軸のような直線ではなく、x軸・y軸をもった平面となります。過去と未来がつながるとき、直線の時間軸なら円ができますが、この平面の時間軸は丸まって球となります。
じゃあ、その球の中身はどうなってんの? これは、x軸・y軸の時間軸に対してz軸を考えればいいのです。球の中心に伸びていく流れ、時間も空間も越えた意識の進化の階段、それこそがz軸です。人間をはじめとした知的生命体は、その認識を進化させ、知性をz軸方向に伸ばしていくための宇宙的道具だというのです。
なんで宇宙はそんな面倒くさいことやってんの? という疑問にはこう答えています。知性を進化させることで、存在の虚像たる認識が、逆に存在そのものを支えるようになるから、と。抽象的すぎてよくわかりませんが、球のイメージで考えるとわかりやすい。表面(通常の時空間=物質世界)だけがあっても中身(時空間を認識するプロセス=物質を記述する情報)がスカスカだったら、なんとなく球(宇宙)全体も危うい気がします。ビニールの風船みたいに軽いショックで、ぷすーと破けてしまいそうです。スイカじゃありませんが、やはり宇宙という球も中身がつまってるほうがよろしい、と強引に解釈できなくもないです。
奥歯に物が挟まったような言い分ですが、実際のところあまり説明されてないんですよね。結論だけどかーんと言っといて、根拠のほうをぼかしているんで、ちょっと残念です。でも球のイメージがやっぱり強烈で、それに引きずられるかたちで色々と解釈を立てられます。メタファーを最大限に利用した力業は、まさにSFならではの醍醐味でしょう。
「ビットからイット」理論と方向性は一緒ですね。

*1:最初キップ・ソーンだと書きましたが間違ってました。正確にはキップ・ソーンは負のエネルギーがあれば理論的にタイムマシンが可能であると証明しただけです。カシミールが、負のエネルギーの存在を1948年に予言し、1958年に実証しました。一般にはカシミール効果と呼ばれています。