カエアンの聖衣 / バリントン・J・ベイリー

かつては名作と呼ばれた作品も、現代では手垢のついたネタと陳腐なアイディアからなる凡作となってしまうことは多々ある。名作だからこそ、二番煎じ三番煎じがつくのだが、その二番煎じから入った若者にはどうしてもかつての名作は古臭く感じられるのだ。もちろん、文体やストーリー、テーマの普遍性などが評価されれば今なお傑作として君臨できるだろう。けど、それはSFとしての傑作ではなく一般小説としての傑作である。
じゃあ陳腐化しない名作なんてあんのかよ?

ない、と答えるところだったが、この「カエアンの聖衣」に幸運にも出会ったおかげで、全力でYESと答えさせていただく。


例えば家でしか着ることのない薄汚れたジャージと、外でしか着ることのないおしゃれなジャケット、この両者を着たときのテンションって明らかに違いますよね? 例えばぼさぼさに伸ばし気味だった髪を美容院でカットしてもらった時には明らかに自分が変わったような感じがしますよね?
衣装というかファッションには、人の中身に多大な影響を与えています。たかがファッション。されどファッション。
この小説では極限にまで達した衣装の可能性が描かれています。

衣装だけでない。この作品は身体論SFでもあります。(そういや大学入試のときは身体論が流行ってると言われてたが、どうなってんだろ今頃)。
身体はどこまでが身体なのかといったテーマから、人間の本質は内面にあるのか外面にあるのかといったテーマまで、実に幅広い。人間の本質は意識・精神などの内面にあるというのがごく当たり前な意見ですが、コレに対して様々な異論を投げかけています。結局外から見えるのは外面だけだから人は外見が全てとか、自分の本質は外面にしかないと信じきっちゃってる人にとっても「本質は内面」説はあてはまるのか、とか。

リーダビリティも高く、エンタメとして文句なし。表紙もセンスいいですね。