性のない国、性のない結婚――「宝石の国」・「逃げるは恥だが役に立つ」

性別が無くなったら、そのとき人と人との関係性はどのようになっているのだろう……。そのような思考実験として、「宝石の国」を読んでみる。登場するキャラは、人間のようで、でも基本は鉱物なので、性別がない。しかも触れたら割れるのでスキンシップも危険なものとして避けられてる。
つまり、恋愛する必要もないし、頭ぽんぽんされたらなんか好きになったとかいう身体的反応経由の好意も生じえない。じゃあ、残るのは友情なのか、というと、なんかそうとも言い切れない。主人公フォスフォフィライトのシンシャに対する純粋な「かまってあげたい」感と、シンシャのそれに対するツンデレ的な対応は、友情というにはちょっと違うような気がする。

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とくに買いたいモノはないけど、とりあえず5000兆円欲しい人のための経済学

Twitterで5000兆円欲しい!というネタが流行っていたが、その金で何を買いたいか誰も話しておらず、みんな夢がないなあ、と思った。とはいえ、とりあえずお金が欲しい、将来が不安だからいっぱい欲しい、できれば5000兆円欲しい!という気持ちはよくわかる。というか、実際そうなのかもしれない。すべての家計がとりあえず5000兆円分の日本円を欲しがっているが、とくに買いたいモノ(財・サービス)はない、と仮定すると日本経済をうまく説明できる可能性がある。

1.モノの市場の需要と供給

  • 主流派のマクロ経済学では、買いたいモノがない、という状況は短期的にはありえても、長期的には解消される(はず)、と考える。どういうことだろうか。まず、買いたいモノがないということは、正確にいうと、買いたいほど魅力的なモノが売っていない、ということであり、さらに言うと、魅力的なモノが手頃な値段で売っていない、ということである。モノの売り手としては、お値段そのままで魅力的な新商品を開発するか、価格を下げて買ってもらうようにするしかない。
  • すなわち、モノが売れないという、そのモノの需要に対して供給が過剰になっているという状態(=モノの需要不足の状態)は、長期的には、モノの品質上昇か価格下落によって需要と供給が一致するところまで調整が進み、やがて解消される。

2.資産の市場の需要と供給

  • 一方、買いたいモノがないけど、5000兆円欲しい人は何を考えているのだろうか。この家計は、給料がATMに振り込まれたら、必要最低限のモノを買う分以外は、なるべく消費せず、貯蓄に回そうとする。なにせ5000兆円もの大金が自分の銀行預金口座にあるのを見ないと満足できない人たちだ。不要不急の消費はなるべく避け、できるだけ預金に回さないと安心できないのである。
  • そうすると、モノの市場の需要不足(供給超過)は長期的に解消することが仮に正しいとしても、見通せる将来にわたっては、いつまでたっても需要不足は解消せず、所得は延々と預金に回されることになる。すなわち、モノの市場の需要不足と、資産(日本円、銀行預金、国債、有価証券等)の市場の需要超過(いわゆる「金あまり」)が同時に発生する。

3.貯蓄超過となった企業

  • とはいえ、モノを買うのは家計だけではない。企業もまた、将来時点でより儲けるために、工場を買ったり、オフィスを広げたり、機械化投資を行う。こうした企業の支出(設備投資)によって、モノがばんばん購入されるのであれば、モノの市場での需要不足は起こらないはずだ。とりわけ、企業は銀行や投資家から資金調達して設備投資を行う主体であるはずなので、金あまりで金利も安くなっているのだったら、がんがん設備投資するはずだろう。
  • しかし、企業が設備投資するのは、あくまでも将来「家計がモノを買ってくれる」ことが前提になっている。設備投資は、そのような楽観的な売上見通しを立てられるような時期にのみGOサインが出せる挑戦なのだ。そうすると、現在も「家計がモノを買ってくれる」景気のいい時期に自ずと限定されてしまう。例外的には、家計が今モノを買っていないけど、将来(人口が増えるといった理由で)モノを買うようになる、と予想できる場合は別だが、このケースはあまり存在しない。
  • 実際、資金循環統計をみると、1998年度から、企業は貯蓄超過の主体となってしまった。国際的にみても異常事態である。上場企業に占める実質無借金経営企業の割合も年々増加し、5割を超えている。賃上げによって労働者に分配もせず、増配・自社株買いによって株主に分配もせず、ひたすら現金をため込む、要塞化する企業の出現である。
  • 脇田成「賃上げはなぜ必要か」によれば、1997〜98年の金融危機時に銀行による貸し剥がしを経験したのがトラウマで、「借金を返し貯蓄を積み増して、細く長く行こう、と企業幹部が思っている。この状況で1社だけが思い切って大規模投資をしても報われない。金融危機の後遺症が大きく、羹に懲りて膾を吹く」*1状態だという。しかし、そうした金融危機の後遺症がこれほど長引いている背景としては、「とりあえず5000兆円欲しい家計」の存在と、モノの市場の恒久的な需要不足が挙げられるかもしれない。
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ただのポスドク残酷日記じゃない。もっと恐ろしいものの片鱗を(以下略)――前野ウルド浩太郎「バッタを倒しにアフリカへ」

面白かったです。いまだにバッタが大量発生して穀物被害が生じているということも知らなかったし、ファーブル昆虫記にはまって昆虫学者を目指していたら人生が修羅になったというポスドク残酷日記としても学びがあります。博士号とってもなかなか安定しない、研究もままならない、みたいな話は聞いてはいましたが、ここまでシビアだとは思いませんでした。まあ、著者はバッタの研究という、日本においては、ニーズ?なにそれ? みたいな領域を専攻しているので余計にそうなのかもしれないのですが。とにかく、周りが実験室においてバッタの研究をしている中で、まだ手付かずの生態の研究のためにモーリタニアに渡って、広大な砂漠の中でバッタの群れを追い回す、という行動力がすごいです。
それでも学振(国内3年+海外2年)という研究費補助制度を使い切って、就職先も決まっていない無収入状態になってしまうわけですが、ここからもなかなか真似できない展開です。ふつう、無収入で、しかも専攻がバッタとかいう謎領域だし、もう人生終わった、と絶望するターンじゃないですか。しかし、著者はこの逆境を、ネタとしておいしい、「売り」にできる、と考えるのですね。そこから雑誌や各種メディアを使いながらファンを増やし、知名度を上げ、なんとか態勢を立て直すのです。「他人の不幸は蜜の味」なので、自分が絶望的な状況にあればあるほど、他人は喜んで話を聞いてくれるわけですね。やはり天才か……。
それだけでなく、昆虫を研究したいという欲望のために、「アフリカにおけるバッタ被害を食い止め、ひいては日本の国際協力にも資する」という大義ですら使っています。まあ、やってて楽しいことをやるのが人生なのであって、大義のために自分の人生があるわけではないですからね。ただ、結果として社会貢献にもつながれば、ヒトも金も集まって活動が持続的になる、というだけで。要は昆虫大好き少年が、大人になっても工夫をこらして好き勝手やっているということなので、変に意識高くなくて好感が持てます。いずれにせよ大義である。大義大義

スペース・コロニーとか心底どうでもいい人でも読める倫理学――稲葉振一郎「宇宙倫理学入門」

正直、宇宙にはあんまり興味がない(ついでに言うとガンダムも観たことない)。マイクロ波送電による宇宙太陽光発電の実用化(「100年予測」参照)や、さらにその先の軌道エレベーター実用化ぐらいになってくると、新たな産業としての興味も沸いてこようが、ロケットの打ち上げに一喜一憂している程度の現状において、なにか考えるべきことがあるのだろうか、というスタンスであった。多くの人にとっても、宇宙とは、遠すぎる場所であり、人間として生きるには極限状況すぎる論外の場所なのではないだろうか。
本書も、宇宙における倫理学というよりも、人間が宇宙に行く意義とその物理的な困難性を比較したうえで、生身の人間には荷が重い、と結論づけている。これ自体に異論はないだろう。面白いのは、さらにその先で、生身の人間には無理でも、身体改造した人間にはできるかもしれないし、アップロードされた人間の知性を備える機械にだったら余裕だろう、という話になることで、宇宙という物理的なフロンティアを舞台にすることで、“人間”の定義におけるフロンティアが、実際の問題として立ち上がってくることだ。
この問題には、ポリスの時代の哲学者も、近代の自由主義者も、うまく答えることができない。

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「BLAME! THE ANTHOLOGY」読書会の模様

映画化もされた伝説のネバーエンディング増殖都市マンガ「BLAME!」を原作に、今を時めく作家陣が好き放題書いたアンソロジー。誰得読書会の課題本にしました。読書会では10点満点で点数をつけて参加者一同で選評したのですが、一番高得点を獲得したのは飛 浩隆「射線」(平均8.6点)。茫漠としたスケールの大きさ、想像を超える美しい風景の描写といった点が原作とも親和的であり、高評価されました。10点満点つけた人も3人もいました。実際すごい。
以下は、各短編の僕の採点(10点満点)、そして議論の過程で出てきた主な意見の紹介となります。 

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京極夏彦をやりたくて清涼院流水となったバカミス――「うみねこのなく頃に」

孤島の密室で連続殺人事件が起きる。それも人間には絶対に不可能に思える方法で。人間にできないなら、魔女の仕業。魔女は”い”る。
いやいや、んなわけねーだろ、こんなの全部人間のトリックで説明してやるぜー、魔女の不在を証明してやる!
……という、魔女はいるよ派(というか私こそが魔女だよ派)と、魔女なんていないよ派の、逆魔女裁判が本作の前半なんですが、これだけ聞くとけっこう面白そうなんですよね。魔女だと認めてもらいたい容疑者。これは斬新。
ところが、エピソード5から、魔女なんていないよ派だった主人公が急に悟ったような顔して、魔女はいるよ派に転向して、なんでそんなことになったかも含めて謎解きしないといけなくなり、正直カオスです。迷走しているとしかいいようがない。一応、エピソード8で、すべてが明らかにされるのですが、そこに至る過程が色々おかしい。

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イエスタデイをうたって

かなり好きな作品。マンガの絵というよりも、美大生が書いたという方がしっくりくるような、素晴らしい絵。ストーリーは恋愛を中心にしてはいますが、けっこうぐだぐだなんで、どうでもいいです。4巻くらいまでは最高なんですが、「めぞん一刻」の管理人さんを数倍めんどくさくしたヒロインが、すべてをめんどくさくしていきます。ただ脇役も含めキャラと、何気ない日常の空気感は素晴らしく、居心地がよい。夢見がちな大学生気分が抜けなくて、とりあえず生活のためにコンビニでバイトして、でもアート的なものから完全に抜けられるわけでもない、そんな主人公の成長物語として読むこともできるかもしれません。

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