暁の寺―豊饒の海・第三巻 / 三島由紀夫

恍惚のかたまりを輪切りに薄く切って、その一枚一枚をほうばるような、そんな体験でした。
本書の主人公は、肝心なところで人生を思い通りにできなかった本多なのですが、彼はもうなんかどうでもいいやとやけになって、ひたすら快楽を追求しようとします。そしてそのテーマを支えるように、この小説を読むことが、極上の酒をちびりちびりと飲むような、そんな愉悦を与えてくれるのです。テーマと文体の奇跡的なコラボレーション。
ただ途中の仏教の話はアホにはよくわからなかったでした。京極夏彦「鉄鼠の檻」みたいにアホの子でもわかる仏教論をやってほしかった。ただ、難解な分だけ、神秘の雰囲気を醸し出すことに成功していますし、一概に悪いとは言いません。
さて、恒例の文体紹介。

「いくら悲しんだって、息子さんは生きて戻りませんよ。それにあなたは、御自身の心の風船に夾雑物が入って来ないように、いつも悲しみだけでそれをいっぱいに膨らまして、安心していらっしゃるんじゃないですか。もう少し失礼なことを言えば、あなたの心の風船を、もう他の人がふくらませてくれないだろうと決め込んで、いつでも補給の利く自家製の悲しみのガスだけで、ふくらませていらっしゃるんじゃないんですか。そうすればもう他の感情で煩わされる心配がなくなりますしね」*1

*1:226p